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お姫様扱いされたい私、お姫様扱いできる女がいる俺


    「お姫様扱いされたい」という願望はすべての女性に少なからずあると思うが、「お姫様扱いできる女がいる俺」に酔っている男性も一定数いるのではないだろうか。

    一回り年上の元パートナーと付き合い始めたばかりのころ、彼は外で私を「お嬢」とか「姫」と呼ぶことがあった。恥ずかしくて何度もやめてほしいと言ってやっとやめてくれたが、私は当時20代半ばだったし男性に溺愛されるのは初めてだったので悪い気はしなかった笑。彼は家などでふたりできるときは「姫」などと呼ぶことはほとんどなく、親戚や知り合いの前では大きな声で呼ぶことがあったので若いパートナーを溺愛している自分が誇らしかったのだろう。

    最終的には私に若さがなくなり(相手も年老いているのに!)、結婚願望も出産願望もなかったので別れることになったが、彼は自分は溺愛して生活費を出して旅行やプレゼントもして多く与えてきたのだから結婚して子どもを産んでくれるだろうと私に見返りを求めていた。私は付き合う前から「結婚はするかもしれないが子どもを持つことは考えられない」と伝えていたのだが、彼は10年以上私の気持ちが変わるのを待っていたことになる。それについては申し訳ないと思っているが、私は家事などで彼の生活を支えたりプレゼントをしたり旅行の手配をしたりと自分なりに「お返し」をしていたつもりだったし、妊娠、出産、育児はかなりの体力と時間をつかう大変なものなので体が丈夫ではなくうつも経験した私は選択できなかった。彼にとっては「お姫様扱いできる女が年老いたし、見返りも期待できなくなったので別れた」、それだけのことだ。私は「彼に溺愛されている自分でなくなった」ことにショックを受けただけで彼と別れることに関してはすぐ受け入れることができたのでお互い様だ。

    「お姫様扱い」で優越を感じるためには他者の視線が必要だがインターネットとSNSがある現代ではそれが容易に確保できるし、写真も投稿できるので言葉は最小限でいい。承認欲求が強く、「お姫様扱い」や「映える写真」が好きな人たちは競うようにSNSを更新する。その先には何があるのだろう。より美しくて珍しくて高価で刺激的なものを追い求めてほんとうに自分が価値を感じていて好きなものがわからなくなってしまうのではないだろうか。

    私は10代のころから写真を撮るのが好きで、デジタルカメラで撮ったものはinstagramで公開している。(https://www.instagram.com/m_nishimura_/)私が撮る写真は「映え」とは無縁で地味なものばかりだ。見たものや好きなものを撮っていると自然とそうなってしまうのだが、私が尊敬する写真家の方々も仕事以外の写真はそのようなものが多い。私が尊敬する写真家のひとりが「写真を撮るのは人に見せてコミュニケーションをしたいからだ」とおしゃっていてなるほどなと思った。私は自分の写真はほとんど撮らず、見たものを撮っている。これは誰かに見せて話をしたいと思って撮っているのだ。

    生きること、生活することは基本的に地味なことばかりだ。そういう中にも心動かされるものや美しいものはたくさんある。移動中に見た夕焼けがきれいだったとか旬の果物がおいしかったとか友人の赤ちゃんの目が友人とそっくりだったとか好きなひとの笑いジワがかわいかったとかそういうことの積み重ねが生きることなのだろう。

    尊敬する写真家のひとりが撮った海外のごみ箱の写真は忘れられない。街中にあるごみ箱で、街灯か何かのポールに底が浮いた状態で取り付けられて下に開閉できる蓋がついていてそこからごみが回収できるものだ。写真は下の蓋が開いた状態でごみが地面に散らばっているものだった。ごみは汚いし積極的に見たいと思う人はおそらくいないだろう。でも、私はその写真が美しいと思った。街中にあるごみ箱にごみを入れる人がいてそれを回収する人がいる、何か不具合があって下の蓋が開いてごみが散らばる。生きるために人は外出して仕事をしたり買い物したり誰かと会ったり食べたり飲んだりしなければならず、それらをすると当然ごみが出る。私は人々がそこで生活している息遣いと輝きを感じたのだ。

    「お姫様扱い」に話を戻そう。「お姫様扱い」を人に誇示したくてSNSを更新する人たちは天災や病気などで一般的な「映える写真」が撮れなくなったらどうするのだろう。被害状況や高価なお見舞いの品の写真を投稿するのだろうか。私は一見不幸や不運であることにもある種の価値やおもしろさや美しさを感じる。私は父に虐待されて育ち、就職氷河期に就活をしたが内定が出ず非正規で働き、ストレスと疲労で20代前半でうつになり、長く事実婚状態だったパートナーと40歳目前で別れ、自殺未遂した父を一番最初に見つけて救急車を呼んだりしてきた。なかなか波乱万丈な人生だ。父に虐待されてきたが経済的には困らなかったし、非正規でいろんな仕事ができたのはいい経験になったし、希死念慮があるうつ状態はかなりしんどかったが生きてる今は楽しいし、パートナーと暮らして家事と車の運転ができるようになったし彼の車で旅行したのはいい思い出だ。

    不幸や不運は精神的に肉体的にもつらくて大変だったが、私の糧となり成長につながったので無駄ではなかった。パートナーと別れてからは実家に戻り、在宅仕事をはじめて自室で作業する日々で(父が自殺未遂してからいろいろあったが興味がある方は私のnoteを読んでほしい)、家族以外と話すことがない日が何日も続いたり、自炊が面倒で毎日同じようなものを食べたりしているが地味な生活の積み重ねて今の自分があるし、自分軸で生きるようになったので誰かに溺愛されなくても「お姫様扱い」をされなくても充実した人生を送っている。

    「お姫様扱いされたい女」と「お姫様扱いできる女がいる男」は他人の視線を意識しながら生活することに価値を見出していて、それを続けることで充実感があるならそうすればいいと思うが、それは他人軸で生き続けることになる。一部の芸能人やインフルエンサーは自分やパートナーやある種の「お姫様」を偶像のように祭り上げてSNSなどで公開して収入を得たり、承認欲求を満たしているように見える。それは誰の人生を生きているのだろう、いつまで続くのだろう、どこまでエスカレートしてしまうのだろうと考えてしまう。

    余談だが私は子どものころ、お姫様より魔法使いになりたかった。着飾って白馬に乗った王子様を待っているより、魔法を使って楽しいことをしたり誰かを助けたりしたかったのだ。その気持ちは今も変わっていないし、魔法使いのように生きるために今やるべきことをやっている。


     
     
    写真、コーヒー、服好きのロッテファン。 持病がある高齢両親との日々を記録した『ソフト介護日報』はじめました。 誹謗中傷があった場合は弁護士に相談し開示請求いたします。 インスタ→https://www.instagram.com/m_nishimura_/

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