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Lotus pink┊︎蓮、咲いているのに、どこか遠い。

    雪が舞っていた。

    映画『国宝』のラスト。
    主人公・喜久雄がずっと探しつづけ、やっと見つけた景色は、これでもかと降り注ぐ白い雪。

    「これだ」と、彼は舞台の上でつぶやく。
    父親を目の前で殺されたとき、
    その血とともに降っていたのが──雪。

    ただの風景ではない。
    憎しみと喪失の記憶に、
    いつのまにか美しさが混ざってしまった風景。
    意味はわからないのに、心がそれを探してしまう。
    ずっと胸の奥に残り続ける、因縁のような美しさ。

    カンボジアの「蓮」

    今年の5月、わたしはアンコールワットにいた。
    その街は敬虔深い。
    あちこちに、記号のように蓮が置かれている。

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    ▲アンコールワット近くのレストランにて


    その色があまりにも可愛らしかったので、
    ちょうど季節になる今、
    〝蓮のピンク色ロータス・ピンク 〟をテーマに、何かを書こうと思っていた。

    そんな先日、日本に一時帰国し、たまたま観た映画『国宝』。
    血や因縁、死や舞台。どれも、あまりに儚い。

    それらが蓮の花に重なるなんて考えたこともなかったのに、
    あの映画を観てから、うっすらと、ずっとロータスピンクの気配を感じている。

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    ▲ Raffles Hotel のアレンジ


    ── 蓮は、なんとなく他の花と違う。
    咲き方も、佇まいも、この世の重力から、ひとつ浮いている気がする。

    極楽浄土の花。
    泥の中から、まっすぐに立ちあがり、何事もなかったかのように、清らかなピンクの花を開かせる。
    パカッと。

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    ▲白塔の蓮(北京)
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    ▲蓮柄の食器でいただく飲茶(香港)


    北京の蓮

    北京ではこの季節、街角に蓮売りが現れる。
    食用にもされるので、野菜市場には蓮の実や、つぼみも並ぶ。

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    ▲野菜市場に並ぶ、蓮(北京)
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    ▲街のあちこちで蓮が売られる


    ──そんな北京の蓮事情を、以前、祖母にしたことがある。
    「ハスの花、北京から手に入らないかしら」
    そうつぶやいていた気がする。

    なにしろ祖母は、蓮をいろいろな手芸に使いたいようだった。蓮の実を乾かして、その実の穴に、ちりめんの小さな布玉を詰めたり。布は古い着物の端切れを使っていて、まるで祖母の手からこぼれた記憶が、小さな蓮に宿っているよう。

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    ▲祖母が作った乾燥させた蓮を使った飾りもの



    ──その祖母が、今年のはじめ、急に逝った。


    戒名には「蓮」の字が入っていた。
    みんなが口を揃えて言っていた。
    「おばあちゃん、ハスが好きだったもんね」と。

    私の中では、ただの記号だった蓮が、“彼岸の花”として浮かびあがってくる。

    見慣れたその蓮台を使った古布の手芸も、急に一つ一つのカラフルさが際立って思えて、同時に、生前に一言も気の利いた褒め言葉も言えなかったなと、どの色も、儚く見えてくる。

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    「一蓮托生」という言葉があるけれど、蓮という花には、抗えない運命を引き受けながらも、それでも共に極楽で咲こうとする──そんな、静かで深い決意が宿っている。

    綺麗なだけじゃない。
    懐かしさ、威厳、そしてほんの少しのこわさまでも纏った、特別な存在。

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    ▲タイルの模様が蓮に見える(シンガポール)


    いつか行きたい、タイ赤い睡蓮の海

    去年だったか、どこかの喫茶店のトイレのカレンダーに、はっと目を奪われた。

    ──タイの「タレー・ブア・デーン 紅い睡蓮の海」。

    冬になると、湖が真っ赤な睡蓮に覆われるという。
    まさに、この世のものじゃないような?
    (蓮ではなく、こちらは睡蓮だけど)

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    ▲赤い睡蓮が咲くという湖(タイ)
    (Canvaの写真素材よりお借りしました)


    ──う……行きたい。
    そっと“行ってみたい場所リスト”に加える。

    (※追記:2026年2月、訪れることができました)


     🪷 🪷 🪷 🪷 🪷 


    映画『国宝』は、終始、儚さが漂っていた。

    歌舞伎一家の「血」がその肉体に流れる者。
    その血に恋い焦がれ、芸でその血に染まろうとする者。
    いずれも、なぜかそこはかとなく、儚い。

    雪。桜。
    日本人の私たちは、その一瞬で消えゆく姿に、風流や雅を見いだしてきた。

    けれど──
    蓮の花には、また違った霊的なものが宿っている。

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    ▲古い寺にそっと顔を出す睡蓮(中国・山西省)


    蓮とその周りだけ、あの世からワープしてきたような。
    空の上からなにもかも悟られてる気がして、背筋を正したくなる。

    映画『国宝』は〝血〟が重要なテーマになっていたけれど、
    それこそアジア人としての「血」の中に、蓮の花への畏敬が、あらかじめプログラミングされているのかもしれない。

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    それは、まだ見ぬ極楽への憧憬なのか。
    あるいは──生まれる前にいたかもしれない、なつかしい場所の遠い記憶なのか──。

    蓮を見ると、『国宝』主人公・喜久雄のように、私も思ってしまう。
    「この景色を、探していたんだ」と。

    きっと、わたしだけじゃない。
    みんな、そう思ってる。
    それが蓮の持つ、美しさ、なのかな。

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    ▲暮らしているマンションの下の花屋さんにて(北京)


    意味なんてなくても、なぜか胸に残ってしまう色。
    わたしにとって、そのひとつが、ロータスピンク。
    今年もまた、その色が、静かに咲きはじめている。



    🖊️色ごとにエッセイを書いています📚


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    色フェチです。北京在住🥢「旅×写真×文字」を更新中📚“カラフル”を肴に、今宵も晩酌がてら、ニンマリひとつ。早稲田大学政経学部卒。創作大賞2025中間選考通過(エッセイ部門)🍷 旅の役には立ちません。暮らしの役にも、たぶん。 夫(🇯🇵)と二人暮らし。 ──なお、ブタは仮の姿です。

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