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Photo bymarimo_0892

僕らはなんのために勉強するのか

    子供のころ、勉強が嫌いだった。

    というか、勉強しなければいけない理由がよくわからなかった。

    「なんで勉強しなきゃいけないの?」

    子供のころに一度くらいは考えたことがあるんじゃないでしょうか。僕はけっこう本気で疑問に思っていた。

    「子供だからだよ」
    「いい大人になるためだよ」
    「いいからやりなさい」

    まぁ、だいたいそんな感じで返される。

    いや、そういうことを聞いているんじゃないんだけどな、と思っていた。勉強が得意ではなかったから、やらなくていい理由を探していた部分もあると思う。でも、それ以上に納得できないことをやるのが苦手だったんですよね。

    親や先生に聞いても、これだと思える答えが返ってきた記憶はない。たぶん、大人もよくわかっていないんじゃないか。なんとなく昔からそういうものだから、子供にも同じことをさせているだけなんじゃないか。そんなことを考えていた。

    テストでいい点を取れば褒められる。志望校に合格すれば喜んでもらえる。それが将来につながることも、なんとなくわかってはいた。でも、だからなんなんだろう。いい成績を取って、いい学校に行って、その先に何があるんだろう。

    当時の僕には、勉強と自分の人生がつながっていなかった。

    ただ、大人になって働くようになり、いろいろな経験をするなかで、少しずつ考えが変わってきた。勉強はテストでいい点を取るためだけにあるわけじゃないんだな、と。

    自分の人生を、自分で選ぶために必要なんじゃないか。

    最近、そんなことを思います。

    勉強すると、世界の見え方が変わる。

    僕は以前、採用の仕事をしていた。毎日のようにいろいろな人と話す仕事です。

    そのなかで、物事をよく知っている人や、自分なりの考えを持っている人と話すのはおもしろいなと感じていた。

    ここでいう「知っている人」というのは、難しい言葉をたくさん使う人とか、知識をひけらかす人のことではない。映画でも、漫画でも、スポーツでも、歴史でも、なんでもいい。自分が興味を持ったことについて、自分の言葉で話せる人。ひとつの出来事を違う角度から見たり、そこから別の話につなげたりできる人。

    そういう人と話していると、自分ひとりでは思いつかなかった考えに出会える。

    同じものを見ていても、知っていることが違えば、見えるものも変わるんですよね。

    たとえば、目の前で何か問題が起きたとする。知識がなければ、ただ困った出来事で終わるかもしれない。でも、似たような事例を知っていたり、社会の仕組みを理解していたりすれば、別の解決策を思いつくかもしれない。

    そう考えると、勉強というのは、頭の中に情報を詰め込むことだけではないんだと思う。自分が世界をどう見るか、その選択肢を増やしていくことでもある。

    学校の数学で習った公式を、大人になってから直接使う機会はあまりないかもしれない。僕も日常生活でルートやコサインを計算しているわけではありません。

    でも、情報を整理して、条件を理解して、答えを導き出す。そういう考え方は、仕事でも生活でも使うことがある。

    勉強したことが、そのまま役に立つとは限らない。むしろ、何の役に立つのかわからないことの方が多い気もする。それでも、あとになって「ああ、こういうことだったのか」と思うことがある。

    もちろん、知識があれば必ずおもしろい人間になれるわけでもないし、勉強ができれば人として優れているという話でもない。

    ただ、知っていることが増えると、世界を楽しむための入口も増えていく。僕はそういう意味で、勉強には価値があると思う。

    勉強しないと、選びたくても選べないことがある。

    もうひとつ、現実的な理由もある。

    社会に出てから、学歴や資格、スキルによって、できることの範囲が変わる場面を何度も見てきた。

    僕は28歳のとき、未経験からIT業界に入った。新しい仕事に挑戦しようと思ったとき、応募条件に「大卒以上」と書かれている求人があった。

    そのとき、学歴というものが単なる成績や肩書きではなく、挑戦するための入口にもなっているんだなと感じた。

    学歴がなくても活躍している人はいるし、学歴が高ければ人生がうまくいくわけでもない。そんなことはわかっています。

    でも、現実には応募条件を満たしていなければ、そもそも選考に進めないことがある。やりたい仕事を見つけても、必要な資格がなければできないこともある。

    これは、なかなか残酷な話だと思う。

    自分が何をしたいのか、まだよくわからない子供のころに、将来の選択肢を増やすために勉強しなさいと言われても、そりゃあピンとこないですよね。僕もそうだった。

    10年後の自分が何をしたいと思うのかなんて、わからない。今は興味がない分野に、いつか関心を持つかもしれない。人生の途中で考え方が変わることだってある。

    だからこそ、今の自分には必要ないと思っている知識が、将来の自分を助けることもある。

    勉強は、未来の自分に選択肢を残しておくためのものなのかもしれない。

    ただ、ここで少し考えてしまう。

    選択肢を増やすために勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って、そこでまた評価されるために勉強して。そうやって選択肢を増やしたはずなのに、いつの間にか、その選択肢のなかから「社会的に正しい」とされるものを選ばなければいけない気がしてくる。

    いい大学、いい会社、安定した収入。もちろん、それらが自分にとって大切なら目指せばいい。

    でも、それが自分の望んでいるものなのかは、別の話ですよね。

    選べるようになることと、世間が用意した正解を選ぶことは違う。

    せっかく勉強するなら、選択肢を増やすだけではなく、自分が何を選びたいのかを考える力も身につけたいと思う。

    知らないまま生きるのは、ちょっと怖い。

    最近、勉強の意味について考えるとき、もうひとつ思うことがある。

    それは、知らないことで損をしたり、誰かの都合に振り回されたりすることがある、ということです。

    税金、社会保険、投資、契約、広告、ニュース。社会には、知っているかどうかで判断が変わるものがたくさんある。

    仕組みを知らないまま契約して、あとから必要のない出費だったと気づく。広告で見かけたものを、なんとなく必要だと思い込んで買ってしまう。周りが当たり前にやっているからという理由で、自分も同じことをする。

    そういうことは、たぶん誰にでもあると思う。僕だって、すべてを理解して生きているわけではない。

    ただ、知らないこと自体よりも、知らないと気づかないまま、考えることをやめてしまうのが怖いんじゃないかと思う。

    たとえば、世間ではこうするのが普通だと言われたとき。本当にそうなのか、自分にとっても必要なのか、少し立ち止まって考えてみる。何かを買うときも、契約するときも、仕事を選ぶときも、どういう仕組みになっているのかを知ろうとする。

    それだけでも、判断は変わるかもしれない。

    僕自身、働くことや自分の生き方について悩むようになってから、当たり前だと思っていたことを考え直す機会が増えた。

    なぜ働くのか。なぜこんなにお金が必要なのか。なぜ人は、多少しんどくても会社に通い続けるのか。なぜ休むことに罪悪感を覚えるのか。

    以前の僕は、そういう疑問を持っても、結局は自分が頑張ればいいんだと思っていたところがある。うまくいかないなら努力が足りない。しんどいなら自分が弱い。そう考える方が簡単だったのかもしれない。

    でも、立ち止まって考えてみると、個人の努力だけではどうにもならないこともある。自分の性格や能力の問題だと思っていたことが、環境との相性だったり、働き方の問題だったりすることもある。

    もちろん、知識があれば何でも解決できるわけではない。考えすぎて、余計にわからなくなることもある。

    それでも、知らなかった仕組みを知ることで、自分を責める以外の考え方が見つかることはあると思う。

    勉強というと、机に向かって教科書を開くことを想像しがちだけど、世の中の仕組みを知ろうとすることも、誰かの話を聞いて自分なりに考えることも、広い意味では勉強なんじゃないでしょうか。

    勉強は自分の人生をラクにしてくれる。

    こうして考えてみると、子供のころに知りたかった答えは、少しわかってきた気がする。

    勉強するのは、いい点数を取るためだけではない。いい学校に入るためだけでもない。誰かに褒められるためでもない。

    自分の世界を広げるため。未来の選択肢を残しておくため。そして、誰かが決めた正解や、世間の空気に流されるだけではなく、自分の頭で考えて、自分で選べるようになるため。

    僕は、そんなふうに考えています。

    ただ、勉強すればするほど、わからないことも増えていくんですよね。何かを知ると、それまで見えていなかった問題に気づく。ひとつ答えが見つかると、別の疑問が出てくる。人間や社会について考えていると、これが正解だと言い切れることなんて、案外少ないのかもしれないと思う。

    でも、だからこそおもしろいのかもしれない。

    世の中には、学校を卒業したら勉強は終わり、という雰囲気があります。働き始めたら仕事を覚えて、生活費を稼いで、休日は疲れを癒やす。それだけで毎日が過ぎていくと、新しいことを知ったり、自分の考えを深めたりする時間は、後回しになりがちです。

    僕も、日々の仕事や生活に追われていると、自分の頭で考えることを忘れてしまうことがある。

    だから、もう少し勉強したいと思う。

    何かの資格を取るためだけではなく、誰かに評価されるためだけでもなく、自分の人生を自分で理解するために。

    知らないことを知る。今まで信じていたことを疑ってみる。自分とは違う考え方に触れてみる。そうやって少しずつ、自分で選べる範囲を広げていきたい。

    勉強は、人生を立派にするためのものというより、人生を少し自由にするためのものなのかもしれません。

    なんで勉強しなきゃいけないのか。

    子供のころの僕に今の僕が答えるとしたら、こう言うと思う。

    「自分の人生なのに、何も知らないまま、誰かの言うとおりに生きるのはもったいないからだよ」

    まぁ、当時の僕がそれを聞いて、素直に勉強するようになるとは思えませんが。

    それでも、あのころの疑問は、今になって少しずつ自分のなかでつながってきた気がする。

    大人になってからでも、勉強はできる。知らなかったことを知るたびに、世界の見え方は変わっていく。

    僕もまだまだ知らないことだらけです。

    だから、これからも勉強していこうと思います。自分の人生を、少しでも自分で選べるように。

     
     
    探究し、探求する。人生は壮大な自由研究。人は誰もが何かの研究者。好奇心の赴くままに自分と世界を探求しています。哲学・心理・死生観・働き方などを通して、当たり前を疑う新しい視点や、自分らしく自由に人生を楽しむヒントをお届けします。

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