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本能寺の変1582 【重史167】 250519 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史167】 『信長公記』    250519

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    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 250519 

    【重史167】 ◎第12話 11~12/19         250519

    ①先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、

    ②時にあたつて、信長、面目を失ふ。 

    ③甚九郎、覚悟の条々、

    ④書き並べ候へば、筆にも墨にも述べがたき事。                  

                          『信長公記』


     天正八年1580、八月**日。
                 1580008**
     【重史163】 1 ~ 2/19 【重史164】   3~ 4 /19 【重史165】 5~6/19
     【重史166】 7~10/19 【重史167】 11~12/19 

     信長は、誇り高い男。
     忘れもしない、あの日、あの時。
     信長は、鮮明に記憶していた。

     天正元年1573、八月十三日夜中。
     「朝倉破軍の刻」                  →『信長公記』
     朝倉勢を、急襲・追撃して、大勝利した時の戦い。
     信盛の一言が、後に大問題となる。
     「信長、御腹立ち斜ならず」             →『信長公記』
     信長は、面目を潰された。
     という、一件があった。

     信長は、堪えた。

     信長は、忍耐強い。                 →【重史165】
     そして、執念深い。

     長い間、我慢していた。

     信長は、そのことを決して忘れない。
     根に持つタイプなのである。
     特筆すべき性格。
     後で、必ず、蒸し返す。

     光秀は、洞察力に優れていた。            →【重史165】
     信長の性格を知悉していた。

     当然、このことを知っていた。
     この時、光秀も、同陣していた。           →『信長公記』

     【ここがポイント!!】
     このことが、やがて、四国問題、そして、足蹴事件へと繋がり、
     最終的には、本能寺の変の一因となる。

     【参照】光秀と長宗我部元親 ◎第147話② 状況一変 
         石谷頼辰、未だ帰らず。

     【参照】【重史040】 そ第78話⑥
         信長は、立ち上がり、怒りを込め、一度か二度、明智を足蹴に
         したということである。            (『日本史』)

     なれど、信盛は、これに気づかず。
     これすなち、「油断」。
     そこに、「隙」が生じた。
     その結果が、これである。

     信長は、そのことを、引き合いに出した。

     11一、先年、朝倉破軍の刻(きざみ)、
        見合せ、曲事(くせごと)と申すところ、
        (信長が、信盛らの見通しの誤りを叱責したところ)

        迷惑と存ぜず、結句(けっく)、身ふいちやう(吹聴)を申し、
        剰(あまつさ)へ、座敷を立ち破りし事、
        時にあたつて、信長、面目を失ふ。

        その口程もなく、永々、此の面にこれあり、
        比興(ひきょう=卑怯)の働き、前代未聞の事。

     そればかりに、あらず。 

     信長は、信盛の息子 信栄の行状に呆れ果てた。
     父が父なら、・・・・・。
     子も子である。
      
     12一、甚九郎、覚悟の条々、書き並べ候へば、
        筆にも墨にも述べがたき事。
                             (『信長公記』)

     中でも、信栄の茶狂いは有名だった。
     津田宗及の「天王寺屋会記」にも、頻繁に登場している。

     【参照】
     そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断
     そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式
     そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1
     そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2 茶狂い
     そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3 茶狂い

     信長は、視野が広い。
     重臣の子供たちへも注目していた。
     信長は、光秀の子らのことも、よく知っていた。
     細川藤孝、然り。
     荒木村重、同。
     ・・・・・。


     【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ 第10~15話  ◎小   小  
       ◎第10話① ◎小10①  第10話①   小 伽藍炎上
       ✓            第10話②   小 塙直政
       ◎第11話  ◎小11   第11話    小 折檻状 1~6/19
       ◎第12話  ◎小12   第12話    小
       ◎第13話  ◎小13   第13話    小
       ◎第14話  ◎小14   第14話    小
       ◎第15話  ◎小15   第15話    小

     【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3粛清 の怖れ
       そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断         ◎11 11
       そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式 ◎11 11
       そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1     ◎11 11
       そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2     ◎11 11
       そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3     ◎11 11


     【引用】◎第12話 第12話



     ⇒ 次へつづく

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

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