メインコンテンツへスキップ
見出し画像

本能寺の変1582 【重史165】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

    【重史165】 『信長公記』 

    はじめに ←目次 ←【重要史料】 【重史一覧】 ←  
    →重要 ◎目次 
    →重要Point ◎目次 重要Point 通し ◎目次 
    →テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次 
    →【シリーズ】
     信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道 1 2 3 4 5 
    →その一因 目次大 概説大 目次中 →
     1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
     4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
     3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
    →見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
    →【人物】 【信長の人物像】 
    *◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
     そ=その一因 テ=テーマ別 
    *加筆修正 250518 

    【重史165】 ◎第11話 5~6/19

    ①五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。

    ②然るところ、(信長に)一旦の届けこれなく、                    

                          『信長公記』


     天正八年1580、八月**日。
                 1580008**
      【重史163】 1~2/19 【重史164】 3~4/19 【重史165】 5~6/19
      【重史166】 7~10/19

     信長は、報告を重視した。
     これが、信長流。

     光秀は、洞察力に優れていた。
     信長の性格を知悉していた。

     当然、このことをよく知っていた。

     なれど、信盛は、これに気づかず。
     その末路が、今、ここにある。
       
     信長は、信盛の器量の程を知っていた。
     その上での起用だった。
     しかし、これ程までとは、思ってもいなかった・・・・・。

     【参照】そ第7話⑭ 天正4 原田直政の後任人事
         要するに、困ったときの間に合わせ。

     信長は、典型的な戦国武将。
     信長は、信盛の不甲斐なさに憤りを感じていた。
     「武篇道ふがひなきにおいては」

     そればかりに、あらず。
     以下では、コミュニケーションの拙さを指摘している。

     信盛は、信長に報告しない。
     「職務怠慢」
     そう、言っているのである。

     5 一、武篇道ふがひなきにおいては、
        属託を以て(人を使って)、調略をも仕り、
        相たらはぬ所をば、我等にきかせ、相済ますのところ、

     「油断・曲事の事」
     大坂攻めの総指揮官としては、致命的な欠陥だった。

        五ヶ年、一度も申し越さざるの儀、油断・曲事の事。
                               (『信長公記』)

     信長は、忍耐強い。
     そして、執念深い。
     長い間、我慢していた。

     信長は、光秀の報告のあり様に満足していた。
     以下の如し。

     【重史044】 そ第78話⑯            天正02 157400729
       書中、具(つぶさ)に候へば、見る心地に候     「細川家文書」

     【重史045】 そ第78話⑯            天正07 157900809
       惟任、右の趣、一々、注進申し上げられ、      『信長公記』

     【重史159】 そ第11話⑪            天正08 158000813
       ①其国(丹後)に至り、早々、参着候由、尤も以って然るべく候、
       ②様子に於ては、惟任かたより、具(つぶさ)に申し越し候、
                               「細川家文書」

     それに引き換え、信盛は、・・・・・。
     「少しは、光秀を見習え」
     そう、言っているのである。

     信盛は、手を抜いた。
     「安田の儀」
     宿老故、古株故の、「甘え」なのだろうか。
     否、信長を、避けているのか・・・・・。
     
     6 一、やす田(保田安政)の儀、
        先書注進、彼(大坂)の一揆、攻め崩すにおいては、
        残る小城ども、大略退散致すべきの由、紙面に載せ、
        (佐久間)父子、連判候。

        然るところ、(信長に)一旦の届けこれなく、
        送り遣(つか)はす事、手前(信盛)の迷惑、
        これを遁(のが)るべしと、事を左右に寄せ、
        (信盛が安政に)彼是(かれこれ)、存分申すやの事。
                               (『信長公記』)

     信長は、多忙である。
     心中、穏やかならず。
     波立っていた。 

     光秀ならば、・・・・・。

     【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ 第10~15話  ◎小   小  
       ◎第10話① ◎小10①  第10話①   小 伽藍炎上
       ✓            第10話②   小 塙直政
       ◎第11話  ◎小11   第11話    小 折檻状①~⑥/⑲
       ◎第12話  ◎小12   第12話    小
       ◎第13話  ◎小13   第13話    小
       ◎第14話  ◎小14   第14話    小
       ◎第15話  ◎小15   第15話    小

     【参照】 (3)光秀の嫡男 2-3-3粛清 の怖れ
       そ第11話⑬ 3 31佐久間信盛1 油断         ◎11 11
       そ第11話⑭ 3 32佐久間信盛2 油断 再編 柴田方式 ◎11 11
       そ第11話⑮ 3 33佐久間信盛3 油断 経歴1     ◎11 11
       そ第11話⑯ 3 34佐久間信盛4 油断 経歴2     ◎11 11
       そ第11話⑰ 3 35佐久間信盛5 油断 経歴3     ◎11 11


     【引用】◎第11話 第11話



     ⇒ 次へつづく

     
     
    ただただ、真実を知りたい。この一念が原動力になっています。「本能寺の変」「その原因・動機を究明する」。この一点に焦点を絞りました。数多ある史料。精査・検証等々。長い時間を要しました。そして、ついに辿り着きました。これが、光秀謀反の真相です。只今、鋭意執筆中!!ご期待下さい!!

    あなたへのおすすめ