
デビュー24年目の自分を振り返る③~代アニ時代の1年間~
前回は、『役者の道を目指すことを決意する』というおはなしでした。
期待と不安で緊張するかと思っていた、高校卒業後の春休み期間。
私はもう早く新しい生活を始めたくてウズウズしていました。
新たな勉強を始める。
県外の学校に通う。
楽しみなことしかない!!!!
18歳の私は相当浮かれていたと思います。
アルバイト探し、スタート
新生活に向けた準備のひとつは、アルバイト先を探すことでした。
高校はバイト禁止だったので、社会に出て何かをするのはこの時が初めて。
右も左もわかりません。
探しにいく前に、自分の中で「こうしたい」という希望を出してみました。
いろいろ考えた結果、はずせない条件として挙がったのが、
・『ここで働きたい』と思えること
・実家からの通いやすさ
の2つ。
それをもとに自転車であちこち巡って探した結果、よく行く商業施設内にあるCDショップの求人を見つけました。
接客はたぶん得意な気がする。
J-POPは詳しくないけれど、音楽自体は好き。
ポップを描いたりする仕事もある。
何よりこのお店でCDを買ったことが何度もある。
これは、申し込まない理由がない。
店頭でそのまますぐにアルバイト希望であることをスタッフさんに伝え、後日、人生初の履歴書を持って面接へ。
ありがたいことに採用していただき、これまた人生初のアルバイトがスタートしました。
それからしばらくして、CDショップは突然閉店することに。
仲良くしていただいたスタッフの皆さんとは、閉店後もしばらくお付き合いがありました。
私はすぐに次のバイト探しを開始。
地元の最寄り駅近くのコンビニでバイトをスタートさせ、代アニを卒業して上京するまで、そこでお世話になりました。
代々木アニメーション学院 大阪校へ
2000年4月。
入学式を経て、無事に授業がスタートしました。
私が通うのは、『声優タレント科』午後クラスの、月Pクラスでした。
午前帯に3クラス、午後帯にも3クラス・・・だったと思います。
なので、科全体では相当な人数がいました。
新しい環境に震える私。
ここで学びながら、年明けには学内オーディションを受けて、次に進む道を決めるんだ・・・!!
もう、希望しかありませんでした。
地元が同じクラスメートと仲良くなったり、2026年現在も交流がある友人ができたのも、この時。
代アニでの1年間は、役者人生の土台を作ってくれた、かけがえのない時間になりました。
基本はことばのレッスン。
たまに歌やダンスがありました。
文化祭のような代アニ全体のイベントもありました。
卒業公演では舞台にも立ちました。
レッスンが終われば友人たちとごはんに行ったり、ゲームセンターで遊んだり。
入学直後、梅田で何度も道に迷ったのも、今では良い思い出です(笑)。
成績が良い自覚はありました。
そのための努力は惜しまずやってきた自負があったからです。
演技も歌もダンスも、全てが大好きな私にとって、その勉強だけに全力を注げる環境は最高でした。
『在学中に仕事をする』という目標も達成し、いくつか仕事をいただきました。
父の変化
そんな私を見て、父は次第に応援してくれるようになりました。
高3の夏休み。
突然、大学進学を蹴って役者を目指すことにした娘。
ここまで普通に勉強してきてたのに、なんでやねん。
父はきっとそう思っていたはずです。
子を持つ親となった今では、父の気持ちが痛いほどわかります。
我が子には、幸せでいてほしい。
苦労はなるべくしてほしくない。
親とは、そういうものです。
でも父は、我儘を貫き通した娘が頑張る姿を見て、親としてまた寄り添ってくれるようになりました。
私はそれがとても嬉しくて。
心配をかけてごめん。
でも頑張るから、見てて。
そんな気持ちで、代アニ時代を駆け抜けました。
進路を決めるオーディション
充実した学びの時間はあっという間に過ぎて、進路を決める学内オーディションの話が出る時期になりました。
どの養成所のオーディションを受けるか。
クラスはその話で持ちきりになりました。
私は、受けるなら東京にあるプロダクションの養成所がいいと決めていました。
関西でも仕事はできるだろうけれど、やるならば早いうちに東京に出て、もっと学びたいと考えていたからです。
最初に候補に挙げたのは、実は81の養成所ではありませんでした。
養成所期間が短く、早くに結果が出るところがいいと思い、別の養成所を候補に挙げていました。
しかし、受講していた英語クラスの成績優秀者が行けるアメリカ研修の日程と、その養成所のオーディション日程が被ってしまったのです。
さて、どうするか。
そんな時にふと目に入ったのが、81の養成所でした。
ことばのレッスン。
ダンスあり、日舞あり、声楽あり。
そして何より、81年設立。
私も81年生まれ。
何故ここを見逃していたのだろうというくらい、私にぴったりな養成所だと思いました。
81の養成所は、東京校と、当時は大阪校もありました。
両方を受けることもできましたが、私は東京校1本に絞ってオーディションを受けることにしました。
英語クラスのアメリカ研修にはしっかり参加し、帰国してからのオーディション。
そして、見事合格しました。
東京で学ぶということが、現実になった瞬間でした。
次回、舞台はついに東京へ。
81プロデュースへの第一歩が始まります。
お楽しみに。