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デビュー24年目の自分を振り返る④~一人暮らしのはじまり~

    前回は、代アニ時代の1年を経て、81養成所・東京校に合格したところまでを辿りました。

    養成所への入所手続きを終えて、ついに東京に行く時がやってきました。
    地元・加古川とは一旦お別れです。

    期待に寂しさが入り混じった、なんともいえない心境で地元を後にしました。

    東京に行き、最初にしたのは物件の契約でした。

    初めての一人暮らし。
    右も左もわかりませんでしたが、両親が一緒に来てくれたので、不動産屋さんを一緒に見て回ることができました。
    (弟は友人宅にお泊りをしてお留守番でした)

    養成所は当時下北沢にあったので、住むなら小田急線沿線がいいなと思っていました。
    経堂に希望条件に合う物件があったのですが、タッチの差で他の方に決まってしまい・・・。

    最終的に決めたのは、京王線『幡ヶ谷』駅でした。

    明大前に出れば井の頭線で下北沢に出られる。
    新宿にも渋谷にもアクセスしやすい。
    少し歩けば渋谷駅行きのバスもある。
    近くには大きな商店街があり、生活しやすい。

    閑静な住宅街にある1Kの物件が、一人暮らしデビューの部屋となりました。

    父がパイプベッドを組み立ててくれて、母が一緒に他の家具を設置してくれて。
    その夜は3人で狭い部屋で眠りました。

    翌日。
    生活の基盤が整ったことを見届けて、両親が加古川に帰っていきました。

    「玄関まででいいよ」というので、そこで二人を見送りました。

    ガチャン。

    重いドアが閉まった瞬間、私は泣きました。
    突然、こみ上げてくるものがあったのです。
    それは、ニュージーランドで経験したホームシックの何倍も強いものでした。

    私が声優の道に進むことを反対していた父。
    そっと背中を押してくれた母。

    二人の優しさを、その時改めて思い知ったのです。

    玄関先に蹲り、声を殺して泣きました。
    泣き声を聞かせてしまったら、きっと二人は心配で帰れなくなってしまう。
    そして私も、心がぐらついてしまうかもしれない。
    「玄関まででいいよ」と言った父と母は、そんな私のこともお見通しだったのでしょう。

    こうして。
    あんなにも楽しみにしていたはずの新生活は、涙とともに始まりました。

    ホームシックは、同じ時期に上京してきた代アニ時代の友人たちと会うことで乗り越えることができました。

    そして、レッスンがスタートした養成所での新たな出会いもあり、友人たちとの充実した日々へと変化していったのです。

    ちなみに父からは毎朝7時に電話がかかってきました。
    最初は嬉しかったのですが、あまりにも毎日続くので、徐々に回数をへらしてもらいました。
    お父さん、あの時はありがとう。
    そして回数減らしてもらってごめん(笑)。


    『京王線』と『京王新線』の違いを理解していなかったので、『京王線』に乗り続け、何度も新宿と笹塚を往復し、家に帰れないというベタな経験をしたことも、今となっては良い思い出です。

    「東京の罠や!!!!」

    ・・・と思っていました(笑)。

    さて、次回は東京でのアルバイト探しです。
    どんなバイトを選んだのか、お楽しみに。

     
     
    81プロデュースの声優・ナレーター。 人生のデトックス中。 日常のことや仕事のことを気ままに綴っていきます。 毎週月曜(たまに木曜にも)更新予定。

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