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「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第三十六回●前大僧正慈円●〜

     今回は前大僧正慈円こと慈円(1155〜1225)です。
     彼は父に藤原忠通(法性寺入道前関白太政大臣・百人一首歌人・5代前は藤原道長)を持ち、同母兄に九条家の祖・九条兼実(摂政・関白)がいます。兄弟で政治・宗教面で協力関係にありました。

     出家した身なので直系子孫はいませんが、九条家を通じて摂関家・鎌倉将軍家に強い影響を持っていたようです。

     慈円は11歳で比叡山に入り生涯で4回天台座主(比叡山トップ)になったほか『愚管抄』著者としても知られます。詳しいことは後述するとして、まず家系図がこちら⤵︎

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     後鳥羽院に対しては公武協調を理想とし、朝廷と鎌倉幕府の調和を勧め、承久の乱(後鳥羽院は後に敗北して隠岐へ流罪)には反対しました。
     極めて朝廷側に近い立場にいながら、源頼朝と幕府を現実的に捉える視点が『愚管抄』全7巻にもよく表れています。平仮名で書かれているので資料価値も高く、興味がある方はぜひ現代語訳版をお読み下さい!

     そんな慈円の歌がこちら。

     おほけなく うき世の民に おほふかな
     わが立つ杣に すみ染めの袖

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     意味)身の程もわきまえず私は憂き世の民に問いかける。伝教大師こと最澄が、わが立つ杣(そま)と呼んだ比叡山に住む身として。この袖を。

     4度比叡山のトップになる以前、30歳前後に詠まれた歌です。平安末期には保元・平治の乱などの戦、疫病そして地震や飢餓などの天災により多くの人の命が失われていました。

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     慈円の人柄と意気込みが伝わってくる一首です。謙遜しつつも人の上に立ち、導いていきたいという思い。慈円自身は権門の子ということもあり、出家しても昇進して僧官の最高位になりましたが、この歌からは慈しみ・優しさ、そして現実的な目線を感じます。

     「おほけなく」は身の程知らずにも。「わが立つ杣」は比叡山。「すみ染めの袖」はすみと住みの掛詞。墨染めの袖は、黒色で僧侶が着る法衣。

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    イラスト短歌 

     若干入っているのが「鎮護国家」思想です。7世紀頃から存在した考えで、仏法の力で国家を守護するというもの。奈良・東大寺の大仏建立などがそれですね。

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     ちなみに第二十七回で紹介した後京極摂政前太政大臣こと藤原良経は、慈円と直接の叔父と甥の関係に当たります。新古今和歌集でも二人は関わりが深く、良経が急死した際には慈円が悲しんだ話も残っています。

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    フォト短歌

     また『千載和歌集』にある慈円のこんな歌も個人的に好きです。

     草木まで 秋のあはれをしのべばや
     野にも山にも 露こぼるらむ

     平易な言葉で紡がれる自然の美しさ。目線の優しさ、繊細さ。あたかも一つの旋律のよう。

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     では最後にもりやま作を。

     迷ひつつ うき世の空や おほけなく
     春の夜の夢 覚めぬばかりに

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     最後までお読みいただきありがとうございました!第二十七回・後京極摂政前太政大臣については下記よりご覧いただけます⤵︎

     次回からは「難波」の歌を取り上げていきます。どうぞお楽しみに!!

     
     
    ⚫︎旅と写真(カメラ)を愛する歴史オタク⚫︎ピアノ・バイオリン・フルートなど楽器も弾く⚫︎音楽全般好き⚫︎好きな言葉は距離感・連続性⚫︎多趣味で無鉄砲な早稲田大学英文科卒⚫︎国内外一人旅派⚫︎短歌・俳句を詠む⚫︎主にCanon EOS90D愛用⚫︎英語イタリア語フランス語ドイツ語少々⚫︎イラスト少々

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