
「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第二十七回●後京極摂政前太政大臣●〜
今回登場する生き物は「きりぎりす」です。でも!実は今の「コオロギ」の古称で、当時きりぎりすはコオロギと呼ばれました。呼び名が逆でした。
貴族たちは籠に入れたり庭に放して鳴き声を楽しんだりし、秋に悲しみをかき立てる声として愛でていました。
後京極摂政前太政大臣こと藤原良経(1169〜1206)は後鳥羽院に信任され、その子・土御門天皇の摂政になり従一位摂政太政大臣にまで上りつめました。妹は後鳥羽院の中宮であり、超がつくエリート貴族。
父と共に、皇太后宮大夫俊成(第十五回)および息子で百人一首撰者定家のパトロンとなり支援。本人も和歌や漢詩を愛し、多くの作品を生みました。
そんな彼が詠んだ歌とは。
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む

意味)コオロギが鳴く霜の降りている寒い夜、私は狭い筵に自分の衣だけを敷いて、一人さみしく寝るのだろうか。
華やかな経歴とのギャップがすごく、本当に本人の歌か疑いたくなりますが、この歌が詠まれる直前、彼は妻を亡くしています。秋の夜の孤独感は実体験だったのでしょう。

「さむしろ」は「寒し」と「狭筵(幅の狭い筵」」を掛けています。「衣かたしき」は一人寝の寂しさを表します。
従一位摂政太政大臣まで上りつめた2年後、父親より早く38歳で亡くなってしまいました。あまりにも突然すぎる死から暗殺説まで生まれたほど。

百人一首には早逝の歌人もたくさんいますが、どれほど権門の家に生まれて栄華を極めようと、人は孤独や死からは逃れられないという無常観を強く感じます。
また興味深いことに『古今集』には「さむしろに衣かたしき今宵もや 我をまつらむ宇治の橋姫」という恋歌(よみ人知らず)があり、こちらもそこはかとない寂しさが漂っています。
以下余談ですが、伝統的な「虫売り」(スズムシ・マツムシ・キリギリスなど鳴く虫をカゴに入れて売る文化)は江戸時代から続き、昭和~1980年代頃まではデパートや夜店でよく見られましたが、現在はほぼ姿を消しています。
デパートだと夏の限定販売、専門オンラインショップなら購入可ですが猛暑時は採集・販売を見合わせることもあるようです。
では最後にもりやま作を。
さむしろや 霜夜の枕 きりぎりす
君をなぐさむ 響きあるかな

最後までお読みいただきありがとうございました。次回からは「雪」を詠んだ歌をご紹介します。どうぞお楽しみに!!
前回・第二十六回後徳大寺左大臣、第十五回皇太后宮大夫俊成については下記よりご覧いただけます⤵︎