
「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第九回●清少納言●〜
第九〜十一回までは「歌の家」として誉れ高かった清原氏3人の和歌を紹介していきます。まずは清少納言(生没年不詳)から。
何かと紫式部と対比されがちですが、敢えてここでは歌人としての個性にのみ焦点を当てたいと思います。
清原氏は主に天武天皇の皇子舎人親王の子孫。親王の母は天智天皇の娘であり、天武・天智の血を引いています。清少納言の父は清原元輔、曽祖父に清原深養父がいて3人とも百人一首歌人。
さらに清少納言の息子・娘も勅撰集に選ばれているので、見事なまでの歌人一族と言えるでしょう。
清少納言は中古・女房三十六歌仙の一人。一条帝后・定子を讃美しつつ独特の感性を発揮した『枕草子』にも溢れんばかりの才気を感じます。
そんな彼女は歌にも和漢の知性がダダ漏れ。解説がないと深読み難しです。
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ

意味)まだ夜が明けてないのに、あの孟嘗君の食客のように鶏の鳴き真似で私を騙そうとしても、逢坂の関守は許しませんよ。(私も騙されて貴方に逢ったりはしません)
親しい男女が互いに共通認識として解りあえる深い教養に基づいて歌われたもので、ここではそれが何かと言えば中国の史書『史記』です。
現代の感覚で言うならラテン語やギリシャ語、ホメロス、オデュッセイアなどのエピソードを引用しているようなハイスペック歌のように思えます。
清少納言と夜更けまで語り合っていた藤原行成(清少納言の親友)が用事があるからと言って慌てて帰ってしまった。
朝になって「夜明けの鶏の声で慌てちゃってね」と言い訳してきたところ、彼女は「函谷関の鳴き真似かしら。陳腐ね」と返し、「函谷関じゃなくて逢坂関です。貴女と結ばれたいと思っているのだから」とダブル言い訳する男。

漢詩に精通していた清少納言が、『史記』孟嘗君伝に登場する「函谷関の鶏鳴」の故事を引き合いにして返歌したのが冒頭の歌。
秦に招かれた孟嘗君一行は朝にならないと門が開かない函谷関で斉に暗殺されるのを恐れていたところ、偶然、鶏の鳴き真似を得意とする食客による機転で無事に関を通過できました。
このように漢籍をベースにした百人一首歌人は他にもいるのでまた取り上げていきますね。
「夜をこめて」は「夜が明けないうちに」、よには打ち消し表現を伴って「決して」の意味。「逢坂の関」は今後も頻出しますが「関を越える」「逢ふ」いわゆる「男女の仲になる」の平安貴族タームです。

きらきらしい清少納言の才に圧倒されていますが、もりやま作で締めくくることで後味が悪くならないことを願います。
うつし世を いかにか詠まむ 君が才
清らに照らす 花の如しも

意味)現代を見たならば、貴女はその才能でどう詠んだでしょうか。清らかに照らされた花のようだったかもしれないですね。(そう願います)
清原氏なので清の字を入れました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
次回は清少納言の父・清原元輔です。
どうぞお楽しみに!!
紫式部については下記記事もご覧下さい⤵︎