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David Sylvian & Ryuichi Sakamoto「Forbidden Colours」──禁色と、二つの旋律

    最終更新: 2026年9月23日

    Forbidden Coloursを何度も歌ってきた。

    編成が変わり、そのときの声も少しずつ変わった。同じ音程をたどっていても、身体の状態によって響き方は違うし、以前なら選ばなかった歌い方をすることもある。うまく歌えたと思う日もあれば、途中で何か違うと思う日もある。

    曲を覚えることと、それをどう表現するかは別の次元にある。これはForbidden Coloursに限らない。歌ってきた経験、音楽との付き合い方、年齢とともに変わる身体や声、ボイストレーニングを通して知った発声や呼吸、身体の使い方、和声やリズム、アレンジといった音楽の知識。その曲がいつ、誰によって、どんな状況で作られたのかを知ることも、歌へ少しずつ入り込んでくる。

    知識は、ときに味方になり、ときに敵になる。以前には聞き取れなかった音へ耳が向くようになり、声の選択肢が増える一方で、知っていることを意識しすぎれば、音より先に頭が動く。「こう歌うべきだ」という考えが、その日の身体を狭くしてしまうこともある。

    Forbidden Coloursを歌うと、そうしたことをよく考える。坂本龍一のピアノが鳴り、少し後から声を入れる。次に何の音が来るかは知っている。それでも、その数秒のあいだに決まることは毎回少し違う。
    (下部へ続く)

    「禁色」という言葉

    「Forbidden Colours」という題名は、三島由紀夫の長編小説『禁色』から取られている。

    『禁色』第一部が新潮社から刊行されたのは1951年。美青年・南悠一を中心に、男性同士の欲望、美、嫉妬、愛情、他者へ向ける視線が複雑に絡み合っていく。三十年以上が経った1983年、その題名をDavid Sylvianが歌に使った。

    歌詞を書く際、Sylvianは坂本龍一からいくつかの文学作品を読むよう勧められ、その中に三島の『禁色』があったと振り返っている。ただし、歌詞の中にある宗教への問いや葛藤はSylvian自身のものでもあった。当時の彼はキリスト教への関心と疑いを抱えており、信仰、罪、苦しみ、愛といったものを自分自身の問題として書いている。

    さらに時代を遡ると、坂本龍一の父・坂本一亀と三島由紀夫がいる。河出書房の編集者だった坂本一亀は、若い三島に書き下ろし長編を依頼し、1949年に『仮面の告白』が刊行された。『禁色』そのものの担当編集者ではない。三島が『仮面の告白』を書いた1949年、『禁色』第一部が刊行された1951年、そして1983年のForbidden Colours。三つの作品の間には三十年以上の年月がある。

    因果関係を示す証言は確認できないが、同じ名前の周囲を文学と音楽が長い時間をかけて通っている。

    坂本龍一が作ろうとした音

    『戦場のメリークリスマス』で坂本龍一が音楽を担当したのは、映画音楽の作曲家として初めての仕事だった。

    坂本は後年、映画の音楽について、西洋的なものと東洋的なものを単純に組み合わせる発想ではなかったと話している。西洋の人にも東洋の人にも、どこか懐かしく、それでいて異国的に響くもの。どこにもない場所から聞こえてくるような音を求めていた。

    映画には、日本と英国、軍人と捕虜、ヨノイとセリアズ、ロレンスとハラといった複数の関係がある。坂本は映像だけでは語り切れない心理を、音楽の中で扱おうとしていた。

    あの旋律にも、最初から「日本の音」や「西洋の音」という明確な所属はない。耳にした瞬間にはどこか懐かしいのに、どこで聴いた記憶なのかは分からない。

    私はForbidden Coloursを長く歌ってきたが、この坂本自身の言葉を知ったのはずっと後だった。知ったことで旋律が別のものになったわけではないが、それまで自分が感じていた曖昧さの中に、作曲した本人も立っていたことを知った。

    ヴォーカル版は坂本龍一から始まった

    「Merry Christmas Mr. Lawrence」に声を加えるという発想も、坂本龍一自身から出たものだった。

    映画会社から求められた企画ではなく、坂本が自分でヴォーカル版を作ろうと考えた。最初に声をかけたのは、映画でセリアズを演じたDavid Bowieだったという。しかしBowieは、この作品には俳優として集中したいと伝え、歌うことを断った。

    そこで坂本が声をかけたのが、すでに「Bamboo Houses / Bamboo Music」で一緒に制作していたDavid Sylvianだった。

    Sylvianは引き受けた。

    坂本は後年、Sylvianが素晴らしい仕事をしてくれ、完成したものを皆が気に入ったこと、そしてこの曲が自分にとってもSylvianにとっても大きなものになったと振り返っている。

    1983年2月、東京銀座にある音響ハウス。Sylvianはひどい風邪をひき、十分に声が出ない状態で録音したという。

    あの声も、その日の身体から生まれている。

    二つの旋律

    Forbidden Coloursについて知った事実の中で、私が歌う側として特に興味を持ったのが、David Sylvianが坂本龍一の主旋律をそのまま歌わなかったことだった。

    坂本は、自分が書いた旋律に歌詞が乗ることを想定していたという。Sylvianは一度それを試したが、自分には難しく、またその方法で歌いたいとも思わなかった。そこで、元の旋律と同時に成立する別のメロディを書いた。

    カウンター・メロディ。

    坂本龍一の旋律は、ヴォーカルが始まってからもそのまま進む。その上をSylvianの声が別の線として動いていく。二つが近い音へ集まるところもあれば、それぞれが別の場所へ向かうところもある。

    歌っていると、この構造はかなり身体的に感じる。Sylvianの声だけを追えば、坂本の旋律が別の方向で動いている。ピアノへ耳を寄せすぎると、今度は自分の歌が引かれていく。

    私は長いあいだ、この曲の難しさをSylvian特有の低い声、発音、息の量、語尾の処理に感じていた。もちろん、それらも大きい。ただ、その下で鳴っているものが、自分の声を支えるためだけの伴奏ではない。

    歌いながら、もう一本の旋律を聴く。

    「カウンター・メロディ」という名前を知るより前から、身体ではその二本を相手にしていたことになる。名前を知ってからも、歌うことが簡単になったわけではない。ただ、自分がどこで迷っていたのかを少し言葉にできるようになった。

    知識が味方になる瞬間の一つ。

    Japanのあと

    Forbidden Coloursが作られた時期は、David Sylvian自身の音楽にも変化が起きていた。

    Japanは1982年に活動を終えた。Sylvianはその後、しばらく曲を書かず、次に何を作るのか定まらない時間を過ごしている。そこへ坂本龍一から『戦場のメリークリスマス』の音源が届いた。

    Sylvianは後年、Forbidden Coloursを書いたことで再び曲が流れ始めたと語っている。それまでのようにイメージの後ろへ自分を隠さず、自分の中にあった問いをそのまま書くことができた。彼自身が転機と呼んだ一曲だった。

    翌1984年には初のソロアルバム『Brilliant Trees』を発表し、その後『Gone to Earth』『Secrets of the Beehive』へ進んでいく。

    Forbidden Coloursの歌詞にある宗教への問いも、その後のSylvianの人生の中で同じままではなかった。2003年には、曲を書いた当時のキリスト教への考えから自分が変化し、この歌と深いところでつながることが以前より難しくなったと話している。

    書いた本人も変わる。
    その声を聴く人も変わる。
    曲は、その間に残り続ける。

    国とジャンルを越えて

    Forbidden Coloursは1983年に英国でシングルとして発売され、全英シングルチャート16位を記録した。

    その後も坂本龍一とDavid Sylvian自身が何度かこの曲を録音し直している。1998年の坂本のオーケストラ公演で演奏された音源には、Sylvianが新たに録音したヴォーカルが加えられ、後に『Cinemage』へ収録された。

    さらに、この曲は二人から離れた場所へも渡っていった。

    英国のSarah BrightmanはForbidden Coloursを録音している。『La Luna』制作時に録られたもののアルバム本編には収まらず、後に<Harem>ツアーの限定CDなどで発表された。Sarah自身も、その録音が『La Luna』の他の曲には合わず、当時は完成させなかったと説明している。

    David Sylvianの低いバリトンから、Sarah Brightmanのソプラノへ。同じ歌詞と旋律が、まったく異なる声の身体へ渡った。

    アメリカでは、ダークウェイヴやエセリアル・ミュージックを長く手がけてきたBlack Tape for a Blue Girlが、チェロを加えた「Forbidden Colors」を録音している。クラシカル・クロスオーバー、ダークウェイヴ、ロック。国も、発声も、音楽の組み立ても違う。

    四十年以上の時間の中で、さまざまな人がこの曲へ声を入れてきた。

    HYDE

    日本でForbidden Coloursを長く聴き、歌ってきた人の一人がHYDEだった。

    2017年の黑ミサ TOKYOでこの曲を歌う前、HYDEは10代の頃からDavid Sylvianが大好きだったこと、Forbidden Coloursが特に好きな曲となり、その後何百回も聴き続けたことを話している。さらに、自身の『ROENTGEN』について、Forbidden Coloursがそのもとになっていると言っても過言ではないとまで語った。

    HYDEは後年、『ROENTGEN』であえて低い声を意識した背景にもDavid Sylvianがいたことを話している。実際にライブで歌うようになると、低いキーでは表現しづらい場面もあり、年齢や現在の声に合わせてキーを変えるようになったという。

    ここにも、歌い続けることによる変化がある。

    2026年にはHYDE Orchestra Tour 2026 JEKYLLでもForbidden Coloursを歌い、5月にはウィーン・コンツェルトハウス大ホールでオーケストラと共演した。

    10代で何百回も聴いた曲を、何十年も経った身体で歌う。

    私はそのことに惹かれる。

    坂本龍一が最後に選んだDavid Sylvian

    坂本龍一とDavid Sylvianの共同作業は、Forbidden Coloursの前から始まり、その後も続いた。「Bamboo Houses / Bamboo Music」「Heartbeat」「World Citizen」。坂本はSylvianのソロ作品にも参加している。

    2023年、坂本龍一が亡くなった後、自らの葬儀で流すために作っていた33曲のプレイリストが公開された。

    32曲目にDavid Sylvianの「Orpheus」がある。

    『Secrets of the Beehive』に収録された曲で、坂本龍一自身もピアノとシンセサイザーを弾いている。

    坂本がなぜこの曲を選んだのかを説明した言葉は、私が確認した範囲では残っていない。

    「Orpheus」。

    最後に聴こうと選んだ音楽の終盤に、David Sylvianの声と、自分自身が弾いたピアノが残された。

    歌う

    私もForbidden Coloursを何度も歌ってきた。

    以前より低い声を安定して使えるようになり、ボイストレーニングを通して発声や身体について知ることも増えた。音楽の理論やアレンジを以前より考えるようになり、この曲が生まれた背景についても、最初に聴いた頃とは比較にならないほど知っている。

    そのすべてを、歌っている数分間に持ち込むわけではない。

    三島のことを考える日もあれば、まったく思い出さない日もある。カウンター・メロディだと知っていても、声を出す瞬間には身体が先に動くことがある。発声について知っていることが助けになる日もあれば、考えすぎて一度全部捨てたくなる日もある。

    どこまで声を響かせるか。息をどれだけ残すか。低い音を太くするか、そのまま通り過ぎるか。言葉をどこで離すか。

    選べるものは、若い頃より増えた。

    その日の答えは、その日にしかない。

    Forbidden Colours

    坂本龍一のピアノが鳴る。

    私はまだ歌わない。

    何度も聴き、何度も歌ってきたので、その先に何が来るかは知っている。身体も覚えている。

    少し待つ。

    声を入れる場所が来る。

    その日の最初の一音は、出してみるまで分からない。

    関連リンク

    参考資料

    参考資料

    三島由紀夫『禁色』新潮社、1951年。

    三島由紀夫『仮面の告白』河出書房、1949年。

    田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』河出文庫。

    大島渚監督『戦場のメリークリスマス』1983年。

    坂本龍一『Merry Christmas Mr. Lawrence』Virgin Records、1983年。

    Ryuichi Sakamoto & David Sylvian「Forbidden Colours」Virgin Records、1983年。

    David Sylvian「David Sylvian’s Guide To The Work Of David Sylvian」The Quietus、2012年。Forbidden ColoursがJapan解散後の作曲再開につながったこと、坂本龍一の主旋律とは別のカウンター・メロディを書いたことについて。

    David Sylvian関連インタビュー、1983年。『戦場のメリークリスマス』本編を見る前に歌詞を書いたこと、坂本龍一からヴォーカル版制作を依頼された経緯について。

    『Merry Christmas Mr. Lawrence』Blu-ray収録 坂本龍一アーカイブ・インタビュー。ヴォーカル版が坂本自身の発案だったこと、最初にDavid Bowieへ依頼したこと、その後David Sylvianへ声をかけた経緯について。

    坂本龍一『Tokyo Melody』関連インタビュー。『戦場のメリークリスマス』の音楽で、西洋と東洋のどちらにも懐かしく、同時に異国的に響く音を目指したことについて。

    David Sylvian『Brilliant Trees』Virgin Records、1984年。

    David Sylvian『Gone to Earth』Virgin Records、1986年。

    David Sylvian『Secrets of the Beehive』Virgin Records、1987年。

    Ryuichi Sakamoto『Cinemage』Sony Classical、1999年。

    坂本龍一「Ryuichi’s Last Playlist」2023年。David Sylvian「Orpheus」収録。

    Sarah Brightman『Harem Tour Limited-Edition CD』。「Forbidden Colours」が『La Luna』制作時に録音されたこと、その後ツアー限定盤へ収録された経緯について。

    Sarah Brightman『Rarities』。「Forbidden Colours」収録。

    Various Artists『Ornamental』Projekt Records、2012年。Black Tape for a Blue Girl「Forbidden Colors」収録。

    Various Artists『British Airwaves: 19 UK Classics Remodelled by an All Australian Cast』Groovescooter、2004年。Don Meers「Forbidden Colours」収録。

    HYDE『ROENTGEN』HAUNTED RECORDS、2002年。

    BARKS「HYDE Christmas Concert 2017 – 黑ミサ TOKYO -」ライブレポート。HYDEが10代からDavid Sylvianを聴き、Forbidden Coloursを何百回も聴いてきたこと、『ROENTGEN』への影響について。

    Universal Music Japan「HYDE Orchestra Tour 2026 JEKYLL in Wien」ライブレポート。ウィーン公演での「Forbidden Colours」演奏について。

     
     

    Naja

     
     
    Massive Attackを中心に、長く聴いてきた音楽を、人や制作背景、その周囲の文化まで辿って書いています。 Management/Consulting/Design/Photo/Music/Sculpture

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