
『ダ・ヴィンチ・コード』が映した2006年――宗教論争と「真実」を検索する時代
2006年5月、
『ダ・ヴィンチ・コード』は世界中の映画館で公開されると同時に、宗教界からの強い反発という
予期せぬもう一つの興行を巻き起こした。
ロン・ハワード監督とトム・ハンクス主演という手堅い布陣で送り出されたこの作品は、単なる
娯楽超大作として消費されることを許されなかった。
原作小説はすでに世界的なベストセラーとなっており、その巨大な知名度が、映画化によって
生じた反発まで世界規模に拡大させた。
公開前から米国カトリック司教会議が公式サイト上に反論・検証のための特設情報を掲載し、
フィリピンでは上映禁止を求める動きが起こり、インドでは公開をめぐる騒動が起き、
バチカン関係者からも公然と批判の声が上がるなど、国や地域ごとに異なる形で摩擦が広がった。
物語はパリの夜、
ラングドンが講演のため滞在していた
ホテル・リッツにフランス司法警察が急行する
場面から幕を開ける。
ルーヴル美術館の館長ジャック・ソニエールが、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「ウィトルウィウス的人体図」を模した姿で
殺害されていたという衝撃的な報せが、
以後二日間にわたる逃亡劇の引き金となる。
ラングドンは宗教象徴学の専門家として捜査協力を求められるが、実際には第一容疑者として疑われており、彼は館長の孫娘で暗号解読官の
ソフィー・ヌヴーとともに警察の追跡を振り切りながら、館長が死に際に残した暗号を解いていくことになる。
もっとも、この映画をめぐる論争の本質は、
宗教間の対立というより、キリスト教内部、
とりわけカトリック教会と作品の歴史観・神学観との衝突にあった。
9・11から5年、
宗教が政治や社会の問題として
世界的に強く意識されていた時代であったことは、この論争が単なる一本の映画評をこえて
社会現象化した背景として無視できない。
そうした空気のなかに、キリスト教そのものの
正統性を内側から揺さぶる物語が飛び込んできたのだから、反応が過熱するのも無理はなかった。ロバート・ラングドンという主人公が体現していたのは、まさにこの時代が渇望していた
第三の視点だったと言えるかもしれない。
彼は不可知論的な立場にありながら宗教を
軽んじることもなく、仏陀やムハンマドを好意的に引用し、フリーメイソンの友人を持ちながら
自身は非会員という、あらゆる陣営から一歩引いた場所に立つ知性である。
ハーヴァード大学で宗教象徴図像学を教える彼は、古文書解析、暗号解読、建築物の象徴性、
美術史、宗教史を横断的に理解する知の冒険者として描かれる。
もっとも、ラングドンの専門とされる
「宗教象徴学」は、彼のような専門家像をそのまま現実の学問制度に置き換えられるものではなく、その設定にはフィクションならではの大胆な
簡略化も含まれている。
それすらも史実とフィクションの境目を試す
仕掛けの一部として機能していたと見ることも
できる。
オドレイ・トトゥ演じるソフィーの繊細さと、
イアン・マッケラン演じるティービングの飄々とした怪しさが、この知的な設定に血肉を与えていた。
幼少期に井戸に落ち5時間立ち泳ぎをして
生還したというトラウマゆえの閉所恐怖症は、
圧倒的な知性を持つ人物にすら消えない弱さが
あることを示し、エレベーターを拒否し石棺の
中でパニックに陥るという描写が、知性の強さと絶妙なコントラストを描き出している。
同時に2006年は、
人々の知の獲得手段が根本から
変わりつつあった年でもある。
前年に開設されたYouTubeはこの年10月にGoogleに買収され一気に社会的存在感を増し、Google検索やWikipediaが日常の
「ちょっと調べる」を担う存在として急速に浸透していた時期に、『ダ・ヴィンチ・コード』は冒頭に「FACT」という表記を掲げ、作中の芸術作品、
建築、文書、秘密の儀式について、事実であるかのように提示する仕掛けを持っていた。
しかも重要なのは、
この「FACT」が映画の演出ではなく、
そもそも原作小説の冒頭に置かれていたことだ。このFACTという一語こそ、
フィクションと史実の境目を曖昧にし、
作品を「本当かもしれない歴史」として読ませる仕掛けだった。
実際、
サン・シュルピス教会には原作のヒット以降
観光客が押し寄せ、教会側が作品に描かれた
「ローズライン」などについて、実際の教会とは
異なる点を説明する事態にまで発展した。
物語が現実の観光行動そのものを変えてしまったこの出来事は、2000年代半ばの情報文化を
象徴する現象のひとつである。
ソフィー・ヌヴーという女性暗号解読官が物語の鍵を握り、聖杯そのものが女性性と血脈の象徴として描かれる構造は、男性中心に語られてきた
キリスト教史を、女性の血脈と身体性から
読み替えるものであり、2000年代の文化状況とも響き合っていた。
祖父ソニエールが死の間際まで孫娘への継承を
優先し、暗号という形で知を託したという設定も、血縁と象徴を通じて知が受け渡されるという物語全体のテーマを補強している。
ルーヴル美術館からサン・シュルピス教会、
ウェストミンスター寺院、テンプル教会、そして最終的にロスリン礼拝堂へと続く
聖地巡礼のような旅は、観客を実在の建築物と
架空の陰謀の狭間へ誘い、信仰とは制度なのか、それとも個人の内側にある感覚なのかという問いを静かに投げかけ続ける。
脇を固める人物たちもまた
主題を補強する設計になっており、
秘密と権力の狭間で揺れる銀行支店長ヴェルネ、聖杯探求への執着で知性と狂気の境界を曖昧に
する学者ティービング、忠誠と裏切りを体現する従者レミー、制度化された信仰の権威を体現するオプス・デイの代表アリンガローサ、
肉体への苦行を通じて贖罪を求める殺し屋シラスが、それぞれ欲望や狂気のグラデーションを担っている。
彼らを追う側では、理性の象徴として振る舞う
警部ファーシュと、その部下でありながらより
柔軟な判断を見せる部下コレとの対比が理性と
信仰の綱引きという構造を物語全体に貫かせ、
サン・シュルピス教会の修道女シスター・
サンドリーヌが体現する静かな信仰の純粋性が、
こうした欲望渦巻く登場人物たちの中で対極と
して際立っている。
ハンス・ジマーによる音楽は
2007年のゴールデングローブ賞作曲賞に
ノミネートされ、3735館での大規模公開と
1億2500万ドルの製作費が、この作品にかけられた期待の大きさを物語っていた。
そもそも物語の発端に置かれた
レオナルド・ダ・ヴィンチという存在そのものが、この映画の主題を先取りしている。
しばしば「ダ・ヴィンチ」と呼び習わされるが、これは本来ヴィンチ村出身であることを示す表現にすぎず、個人名としては「レオナルド」と呼ぶのが正確である。
とはいえ本人や同時代人が自らを
「ダ・ヴィンチ」と記した例も残っており、
まったくの誤用とも言い切れない。
この呼称ひとつを取っても、
史実と通念の間には曖昧な余地が残っている。
万能の天才と称される彼が絵画から解剖学、
建築、光学に至るまで広大な業績を遺したことはよく知られているが、その手稿の全貌や研究内容には現在も研究が続く部分があり、
館長ソニエールが遺した暗号がダ・ヴィンチの
作品を媒介とするのは、こうしたいまだ解かれきっていない知という性格と物語上の必然性で
重なっている。
裁判もまた、
その余地をめぐる争いのひとつだった。
『ホーリー・ブラッド、ホーリー・グレイル』の
著者マイケル・ベイジェントとリチャード・リーが、自著のアイデアを無断で借用されたとして
ダン・ブラウンを著作権侵害で訴えた裁判では、2006年4月、英国高等法院が原告側の主張を退けている。
史実をどう解釈し、
それを物語としてどこまで自由に扱えるのか、
という線引きそのものが問われた裁判だったと
言えるだろう。
世界興行収入は約7億6000万ドルに達し、
この年を代表するヒット作のひとつとなった
一方で、批評家の評価は必ずしも高くなかった。観客の熱狂的な関心と批評家の冷めた評価との
落差もまた、この作品らしい現象だった。
それでも公開直後からカンヌ国際映画祭の
オープニング作品として上映され、上映後の
記者会見では宗教的な描写をめぐって記者から
ロン・ハワードに厳しい質問が相次ぐ一幕もあったが、賛否両論を含めて大きな話題を呼んだこと自体が、この作品の文化的存在感の大きさを
物語っている。
この後シリーズは2009年の『天使と悪魔』、
2016年の『インフェルノ』、さらに2021年の
ドラマ『ロスト・シンボル』へと続いていくが、公開のたびに検証記事やファクトチェックが世界中のメディアを賑わせたのは第1作の頃ほどではなく、宗教と検証をめぐる熱狂が、
これほど大きな社会現象として可視化されたのは、やはり2006年のこの一本が特筆すべきだった。
つまり『ダ・ヴィンチ・コード』は、
秘密を解き明かす物語であると同時に、
その秘密を現実の世界で検索して確かめたくなる物語でもあった。
こうして見ていくと、
『ダ・ヴィンチ・コード』が本当に描いていたのは、特定の宗教論争そのものというより、
真実が検索エンジンによって簡単に手に入ると
思われ始めた、その過渡期の空気だったのではないか。
「本当なのか」と疑い、
「検索してみよう」と調べ、
「しかしその検索結果も本当とは限らない」と気づく――そうした、現在の情報社会にそのままつながる感覚を、この映画は先取りして見せていた。宗教映画としてではなく、
真実そのものが
エンターテインメントになった
映画として振り返るとき、
『ダ・ヴィンチ・コード』と
2006年という年は、
初めてひとつの像を結ぶのかもしれない。
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