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サヌンチヌの倧ストゥヌパは想像以䞊珟存するむンド最倧・最叀玚のストゥヌパず華麗な圫刻に圧倒される

    【むンド・スリランカ仏跡玀行】17サヌンチヌの倧ストゥヌパは想像以䞊珟存するむンド最倧・最叀玚のストゥヌパず華麗な圫刻に圧倒される

    カゞュラヌホヌ滞圚を終えた私は次なる目的地サヌンチヌぞず向かった。

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    サヌンチヌの倧ストゥヌパ Wikipediaより

    サヌンチヌは珟存する最倧・最叀玚のストゥヌパで有名な䞖界遺産で、仏教の歎史を考える䞊で非垞に重芁な遺跡ずしお知られおいる。

    ストゥヌパずいうず私達日本人にはあたり銎染みのない単語だが、これはものすごくざっくり蚀うず「ブッダや高匟の遺骚を玍めたお墓」である。日本でいう卒塔婆の語源ずなった蚀葉でもある。

    「ブッダのクシナガラでの入滅埓者阿難ず共に最埌の旅ぞ出かけるブッダ。幎の生涯に幕を閉じる」の蚘事でも少しお話ししたが、ブッダ死去埌に火葬された遺骚は぀に分割され、各囜の王が管理するこずになった。そしおその遺骚をさらに䞇千に分割しおむンド䞭にその遺骚を祀るストゥヌパを䜜ったのがアショヌカ王圚䜍前268-232頃だずされおいる。

    それらストゥヌパは珟圚ではほずんど残っおいない。䞖玀から本栌化したむスラヌム勢力の䟵攻によっお砎壊されおしたったのだ。

    だが、ここサヌンチヌは奇跡的に砎壊を免れ、か぀おの姿をそこにずどめおいる。なぜサヌンチヌは砎壊されずに枈んだのかは前回の蚘事「なぜむンドの仏跡はむギリスに発芋されるたで忘れ去られおいたのかカゞュラヌホヌでその意味に気づく」でお話しした通りだ。ここも蟺鄙な堎所に䜜られ、さらには朚々に芆われ遠くからは芋えなかったのである。

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    サヌンチヌ倧仏塔ず北門、1861幎 Wikipediaより
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    サヌンチヌ倧仏塔ず東門、1875幎 Wikipediaより

    これらの写真を芋おみるず、遺跡がどんな圢で朚々や土に埋もれおいたかがむメヌゞできるのではないだろうか。

    カゞュラヌホヌから鉄道でボヌパヌルぞ

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    私はたず、カゞュラヌホヌからサヌンチヌ近郊の郜垂ボヌパヌルぞず鉄道で移動した。私にずっおこれがむンドでの初めおの鉄道だ。むンドの鉄道はカオスだず聞いおいたので緊匵感が高たる。たしかにこれは䞀人では来たくない。ガむドさんがいおくれおよかった。

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    私が乗車したのはこの写真の巊から二番目の車䞡だ。

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    私が乗車したのぱアコン付きの車䞡で、想像しおいたよりも快適だった。しかも定刻の時半ぎったりに発車したのには驚いた。これならペヌロッパの鉄道よりはるかによいではないか。幎に蚪れたドむツでは䜕床もひどい目に遭わされたものだった。

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    ここから目的地ボヌパヌルたではおよそ時間半。むンドの田園颚景を眺めながらゆったり過ごす。

    だが、私には切実な䞍安があった。

    どうしおもトむレに行きたくなかったのである。

    むンドのトむレ、特に鉄道のトむレはもう蚀葉にもしたくないほどだ。

    私は小ですら絶察に行くたいず腹を決めた。

    だが、時間半の長旅である。普段割ずトむレが近い私にずっおこれは実に苊しい戊いだった。この日は極力氎分を取らないようにしおいたがそれでもトむレに行きたくなったらどうしようず戊々恐々だったのである。

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    ボヌパヌル駅に到着
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    ボヌパヌル駅呚蟺

    しかしどうだろう奇跡が起きたのだ粟神が肉䜓を凌駕したのか、トむレを我慢するどころか党くその気配すらこの車䞭では感じられなかったのである。そしおボヌパヌルの宿に着いたのが深倜時頃。ここでようやく私はトむレに行ったのである。

    これはこれで私の身䜓は倧䞈倫なのかず䞍安になったがどうしようもない。人䜓の䞍思議である。

    䞖界遺産サヌンチヌぞ

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    翌朝、ボヌパヌル垂街からサヌンチヌぞ向けお出発。さすが倧郜垂。どこに行っおも倧混雑。

    むンドらしい喧噪の䞭郊倖ぞ向けお走る。

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    サヌンチヌぞはボヌパヌルからおよそ時間半ほど。郊倖に行くに぀れお䜕もない平野ぞず景色が倉わっおいく。

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    サヌンチヌのすぐ近くたでやっお来た。写真右の小高い䞘の䞊に倧ストゥヌパが少し芋える。遠くからこの䞘が芋えた瞬間私は興奮したこういう所にストゥヌパや僧院が䜜られおいたのだ

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    サヌンチヌの入堎ゲヌトたでやっお来た。

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    入っおすぐ芖界の先にストゥヌパが芋えた。綺麗に敎備された芝生ずの察比も矎しい。ここから芋ればその嚁容に萜ち着きを感じる。

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    しかし䞀歩䞀歩近づくに぀れ、私は驚きを隠せなくなっおきた。想像よりも、デカむのである

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    目の前たで来るずその巚倧さ、迫力に圧倒されたたさかこんなに倧きなものだったずは

    参考曞などでもサヌンチヌの写真は芋おはいたが、それらの本ではだいたい小さなサむズでの掲茉がほずんどだった。私はその小さな写真のむメヌゞでサヌンチヌを想像しおいたのである。

    正面の鳥居のような塔門トヌラナの巚倧さにも驚いたが、私はこの饅頭型のストゥヌパを囲む欄楯らんじゅん石垣の存圚感に打たれた。目の前にいる人達ず比べおみればその倧きさも䌝わるこずだろう。円柱状の岩がストゥヌパを䞭心にぐるっず円を描いおいるかのようで、ダむナミックな迫力を感じる。

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    そしおこちらが塔門に斜された仏教芞術だ。ここにはブッダの䌝説やゞャヌタカずいう仏教説話が描かれおいる。ブッダが亡くなったのは玀元前幎頃ずされおいるが、それから幎近く経った前䞖玀頃からこうした仏教芞術が生たれ始めた。

    この最初期の仏教芞術の特城はブッダの姿を盎接描かないずいう点にある。䞊の写真を芋ればそれがわかりやすいず思う。写真䞋郚でサルが台のようなものに向かっお捧げものをしおいるがその䞊にブッダの姿はない。あたりにも尊い存圚たるブッダを描くずいうのはそれだけでも畏れ倚いこずだったのである。この時代にはブッダを瀺す象城ずしおこの写真のような台座や菩提暹を描くのが普通のこずであった。仏像が造られ始めるのは玀元埌䞖玀頃たで埅たねばならない。

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    塔門から欄楯の䞭ぞ入るず、倖界から遮断された独特な空気感を感じた。やはりこの欄楯の迫力がものすごい。迫っおくるような圧力を感じる。

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    先皋芋たのは北門だったが、こちらは東門。このストゥヌパには東西南北぀の門がある。そしおこの東門には有名な圫刻が斜されおいる。それがこちらだ。

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    こちらはダクシヌずいう女神の像で、むンド芞術史においおも非垞に高い評䟡を受けおいる䜜品だ。むンド矎術の参考曞でも必ず出おくる。カゞュラヌホヌもそうであったが、ここ仏教の遺跡でも矎しい女性の圫刻が斜されおいるのは興味深い。

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    ちなみに、これは真埌ろからの写真だ。このアングルで芳るこずができるのも珟地に行ったからこそである。

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    それにしおも现かい。サヌンチヌの圫刻はどれもえげ぀ないほど粟緻に圫られおいる。圓時の芞術氎準の高さがうかがわれる。

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    そしおこちらが倧ストゥヌパのすぐそばにあるストゥヌパ第塔。ここはブッダの高匟サヌリプッタ舎利北ずモッガラヌナ目犍連の遺骚が玍められおいたストゥヌパだ。このようにアショヌカ王以降のむンドでは各地にブッダやその高匟達のストゥヌパが建おられ、信仰の察象ずなっおいたのである。

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    たた、これらストゥヌパの呚囲には倧芏暡な僧院跡も残っおいる。

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    僧院の先にストゥヌパの先端が芋える

    サヌンチヌでは墓であるストゥヌパず共に僧院生掻が営たれおいた。偉倧なる先人たちの足跡を蟿りながら圓時の僧䟶たちはここで修行をしおいたのだろう。

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    それにしおもこの倧ストゥヌパの巚倧さ、迫力には恐れ入った。私はこの地を歩きながら仏教孊者䞭村元先生の次の蚀葉を思い返した。

    芆鉢圢あるいは半球圢に近いかたちずいうものは、むンド仏教独自のものであるず思われる。䞭略西掋のピラミッド、オベリスクなどの建造物が尖っおいお、尖鋭ずいう印象を䞎えるのに察しお、ストゥヌパは円満で萜ち着いおいお、安らいでいるずいう印象を䞎える。䞭略

    ゆるやかな半球圢、土饅頭のかたちは、芋る人をしお、安らぎ、平穏の気持ちを起こさせる。それは和の理想をたやすく連想させる。そこには安定感がある。激怒や闘争意欲を起こさせるものではない。心をしお静かに寂静のうちに萜ち着かせる。仏教矎術は、決しお仏教の理想ず無関係ではない。

    春秋瀟、䞭村元『䞭村元遞集〔決定版〕第23å·» 仏教矎術に生きる理想』P

    西掋のピラミッドやオベリスクず比范しお解説されるず実にむメヌゞしやすい。

    そしお次の蚀葉も忘れ難い。

    ストゥヌパなるものはマりリダ王朝時代のもろもろの建造物のうちおそらく最も倧きなたた最も䞻芁なものであった。これは生産的経枈的芖点から芋るならば、なんの圹にも立たないものである。口ヌマの巚倧な遺跡がみな䞖俗的な、実利的あるいは享楜的芖点から䜜られたものであったのに察しお、アショヌカ王時代の巚倧な遺跡は粟神的宗教的な意矩を寓しおいるものであった。ここにわれわれはむンド文明のひず぀の特城を芋出すこずができる。

    春秋瀟、䞭村元『䞭村元遞集〔決定版〕第23å·» 仏教矎術に生きる理想』P

    この解説を初めお読んだ時のこずは忘れられない。

    ず蚀うのも、私は幎に叀代ロヌマの遺跡を巡っおいる。特にその䞭でもロヌマ郊倖のアッピア街道の氎道橋には匷い印象を受けたものである。

    ここでガむドさんに「ギリシア文明も叀代゚ゞプト文明も巚倧な建造物を䜜りたした。ですがロヌマ文明はその党おが実甚的です。コロッセオ、道路、氎道橋、そのどれもが人々の生掻に盎結するものです。ギリシアの神殿やピラミッドはたしかに倧きいです。ですがそれは誰のためのものですか䜕の圹に立ちたすかロヌマは違いたす。文明が実甚性ず結び぀いおいるのがロヌマの玠晎らしいずころです。」ず教えおもらったこずが匷烈に印象に残っおいる。

    その時私は「そうか叀代ロヌマの偉倧さは培底した実甚性の探究にあったのか」ず感嘆したものだった。

    だがここで䞭村元先生の蚀葉を聞いお、玔粋に粟神的、宗教的に䜜られたストゥヌパなるものの奥深さにも改めお気付くこずになった。実甚性など党く無芖し、ただひたすら粟神的・宗教的なものを远い求めたむンド人。これはこれで偉倧なこずなのだず改めお感じ入ったのだった。

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    私はサヌンチヌに来お改めおその感を匷くした。このストゥヌパの持぀゚ネルギヌは只事ではない。

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    仏教教団の発展や人々の信仰を知る䞊でこのサヌンチヌのストゥヌパは非垞に重芁な意矩がある。本来はここでストゥヌパの意矩や成立過皋をお話ししおいきたいのだがそれをするずここから膚倧な量の解説が必芁ずなっおくるので今回はこれ以䞊のお話は控えようず思う。

    興味のある方は奈良康明、䞋田正匘線集『新アゞア仏教史02むンドⅡ 仏教の圢成ず展開』や䞭村元著『䞭村元遞集〔決定版〕第23å·» 仏教矎術に生きる理想』、宮治昭・犏山泰子線集『アゞア仏教矎術論集 南アゞアⅠ マりリダ朝グプタ朝』などの参考曞がおすすめだ。

    これらを読めばサヌンチヌのストゥヌパが仏教の歎史を考える䞊でいかに重芁な意矩を持っおいるかがよくわかるず思う。特に『新アゞア仏教史02むンドⅡ 仏教の圢成ず展開』ではこのストゥヌパ信仰を通しお圓時の仏教がどのような存圚だったかが解説されおいる。近幎の研究成果が反映されたこの本は非垞におすすめだ。たさに目から鱗。ぜひ手に取っおみおはいかがだろうか。

    以䞋の動画も私が珟地で撮圱したものだ。ぜひ珟地の雰囲気を感じお頂けたら幞いだ。

    続く

    ※以䞋、この旅行蚘で参考にしたむンド・スリランカの参考曞をたずめた蚘事になりたす。ぜひご参照ください。

    〇「むンドの歎史・宗教・文化に぀いお知るのにおすすめの参考曞䞀芧」
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    「むンド仏教をもっず知りたい方ぞのおすすめ本䞀芧」
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    「仏教囜スリランカを知るためのおすすめ本䞀芧」

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