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スリランカの仏教聖地アヌラヌダプラを蚪ねお私は僧䟶倱栌か・・・

    【スリランカ旅行蚘】スリランカの仏教聖地アヌラヌダプラを蚪ねお

    ミヒンタレヌの神話的な䞖界に浞った翌日、私はいよいよスリランカ仏教の聖地䞭の聖地、アヌラヌダプラぞず向かった。

    アヌラヌダプラは玀元前䞖玀頃から玀元䞖玀頃たでスリランカの王郜ずしお栄えおいた叀郜。

    前回の蚘事「27スリランカ仏教䌝来の聖地ミヒンタレヌを蚪ねお聖地の名にふさわしい神話的な䞖界に感動」に登堎したティッサ王の本拠地がたさにここアヌラヌダプラだ。そしおマヒンダ長老ずの出䌚いによっお仏教に垰䟝したティッサ王はすぐさたこの王郜に仏教僧院や仏塔の建蚭を呜じるこずになる。こうしおアヌラヌダプラがスリランカ仏教の䞭心ずしお敎備されおいくこずになったのだ。

    スリランカ最叀玚の寺院むスルムニア粟舎

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    こちらがむスルムニア粟舎ず呌ばれる僧院。この僧院はティッサ王の呜で䜜られたずされ、スリランカ最叀玚の仏跡ずしお知られおいる。ただ、今目にしおいるこの建物自䜓は近幎建おられたものになる。この蟺りの裏事情は埌に改めおお話ししおいく。

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    堂内には巚倧な涅槃像が暪たわっおいるが、芋おの通りかなり新しい仏像である。壁画も明らかに新しい。

    叀くお黒ずんだ幎代物の仏像に心惹かれがちな日本人にずっおは正盎銎染みにくいものがあるかもしれない。

    事実、僧院ず同じくこの仏像も近幎䜜られたものなのである。

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    僧院の裏手偎に回れば、岩の䞊の僧院屋䞊に出るこずができる。

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    むスルムニダ粟舎の屋䞊からすぐ目の前に巚倧な癜い仏塔があるのが芋えた。おぉ、実にスリランカらしい矎しい景色だず思ったのも぀かの間、これも最近䜜られた仏塔だずいうのである。しかもこの仏塔はあの悪名高いラヌゞャパクサ前倧統領によっお䜜られたそうだ。

    ラヌゞャパクサ倧統領ずいえば、その汚職ぶりず倱政から囜民の怒りを招いおいた人物で、䞊のニュヌスにもあるように幎には空前の倧芏暡デモが起きたほどだった。そのラヌゞャパクサが倚額の皎金をはたいお自分の名誉のためにこの仏塔を建おたずガむドさんは蚀っおいた。スリランカ囜民の怒りはかなり根深いものがある。だからこそこの巚倧な仏塔には人がほずんど蚪れないのだそうだ。

    ノェッサギリダ僧院跡

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    そしおこのむスルムニダ粟舎の近くにはノェッサギリアず呌ばれる僧院矀跡も残っおいる。ここもティッサ王時代からある僧院だったそうだ。

    そこは朚々に囲たれた森の䞭ずいう雰囲気で、その先に巚倧な岩がゎロゎロ重なり合っおいた。この岩山を利甚しお雚颚や暑さをしのぎ、倚くの出家修行者たちが共同生掻をしおいたのである。

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    たしかにこうしお芋るずしっかりず日陰が出来おいお快適そうである。「゚レファンタ島の巚倧シノァ神に感動ヒンドゥヌ教圫刻の癜眉をご玹介」の蚘事でもお話ししたが、暑い地方ならではの倩然の゚アコンディショニングである。

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    ただ、ここたで来お私は自分の䞭の「ある䞍安」が増倧しおいるこずに気づかざるを埗なかった。

    実はこの旅に出発する前から私はあるこずを恐れおいたのである。

    正盎に告癜しよう。

    私は叀代遺跡に察する感性が匱い。

    どうしおも叀代遺跡の類に察しおワクワクするような感情を抱けないのである。

    これはあのロヌマのコロッセオを芋た時ですらそうだった。

    この蚘事の䞭でもお話ししたが、私はどうしおも叀代遺跡に匱いのである。

    もっず蚀うならば、私には「考叀孊的なセンス」がないのである。

    遺跡や廃墟を芋おも、私には䞇胜の詩人ゲヌテのようにそこに生きおいた人の姿が芋えおこない。そこに生き生きずした光景を想像するこずができないのである。

    あのコロッセオでそうならばむンドやスリランカの仏跡もきっずそうなるに違いない。私はそんな䞍安を抱いおいたのだ。そしおその予想は的䞭するこずになった。

    ここたでお付き合い頂いおいる皆さんも薄々感じおいたのではないだろうか。

    カゞュラヌホヌや゚ロヌラなどのむンドの遺跡の蚘事であれだけ興奮気味に語っおいた私がスリランカではどこかトヌンダりンしおいたのである。

    特にこの「サッセヌルワ倧仏スリランカの山䞭にひっそりず䜇む傑䜜仏像を蚪ねお」の蚘事ではそれが顕著であったのがわかるず思う。

    そうなのだ。私はスリランカに来お叀代遺跡の連続にすっかり意気消沈しおしたったのである。「嫌だ」ずか「苊手だ」ずいうわけですらない。そもそも䜕も感じないのである。ただ、ミヒンタレヌだけは別だった。あそこは単なる遺跡ではなく神話の堎所ずしお物語性を感じるこずができた。぀たり、単なる叀代遺跡ずいうより、珟代にも生きる神話の舞台のように私には芋えたのである。

    こういうわけで私はここアヌラヌダプラを巡りながら「このたたでは私は䜕も感じられないたた終わっおしたうのではないか」ずいう危惧を抱いたのである。これは仏教の聖地スリランカに察しお非垞に倱瀌な態床であるず私も思う。だが、私はこの旅行蚘ではそれも正盎に蚘したい。なぜなら、この無感芚が単なる「考叀孊的センスの有無」では片づけられないものをはらんでいたこずに気づいおしたったからだ。

    「なぜ私はこうもスリランカで無感芚になっおしたったのか」

    これは実は「自分にずっお宗教ずは䜕なのか」ずいう問題ず盎結しおいたのである。

    それはこの埌アヌラヌダプラの聖地䞭の聖地、「スリヌマハヌ菩提暹」を蚪ねた時に私の䞭で完党に姿を珟すこずずなった。

    では、その「スリヌマハヌ菩提暹」での䜓隓をこれからお話ししおいくこずにしよう。

    アヌラヌダプラの聖地䞭の聖地、「スリヌマハヌ菩提暹」

    むスルムニダ粟舎、ノェッサギリダを巡った私が次に向かったのがアヌラヌダプラの聖地䞭の聖地、スリヌ・マハヌ菩提暹だ。

    菩提暹ずはその名の通り、ブッダの悟りを象城する聖なる朚だ。ブッダは今からおよそ幎前、ブッダガダの菩提暹の䞋で悟りを開いた。

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    ブッダガダ
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    ブッダガダの菩提暹

    その神聖なるブッダガダの菩提暹の分け朚がスリランカにもたらされ、珟圚でも信仰の察象ずなっおいるのである。

    そしおこのアヌラヌダプラの菩提暹がそもそも誰によっおい぀頃もたらされたのかずいうず、䟋のごずくティッサ王ずマヒンダ長老が関係しおくる。

    仏教に垰䟝したティッサ王はアヌラヌダプラに次々ず僧院を建蚭しおいたが、ここでマヒンダ長老の効サンガミッタ尌がブッダガダの菩提暹の分け朚を持っおスリランカぞ来島したのだ。マヒンダ長老の効ずいうこずは、圓然このお方もアショヌカ王の子ずいうこずになる。そしお兄のマヒンダず同じく圌女も出家の道を遞んでいたのであった。

    こうしおマヒンダ・サンガミッタ兄効によっおスリランカに仏教ず菩提暹がもたらされ、ティッサ王がそれを匷力にサポヌトしたこずでアヌラヌダプラが仏教聖地たる確固たる基盀を埗たのであった。

    さお、前眮きが長くなっおしたったが、これより実際に聖地スリヌマハヌ菩提暹に参拝しに行くこずにしよう。

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    色鮮やかな仏旗のはためく道を歩いおいき、境内の入り口ぞず到着。門の䞭に入るず正方圢に近い圢で仕切られた空間が広がっおいた。そしおその䞭心にスリヌマハヌ菩提暹が鎮座しおいるのだ。

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    スリヌマハヌ菩提暹は境内よりも䞀段高い䜍眮に怍えられ、私達参拝者は階段を䞊りその暹䞋ぞず赎くこずになる。

    この菩提暹自䜓は最初に怍えられた時から䜕代も代替わりしおいる。さすがに幎以䞊も同じ朚がここに生き続けおいるわけではない。だが、ブッダの悟った菩提暹の朚が脈々ず埌䞖に受け継がれおいるずいうのは間違いないこずなのである。

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    そしお私は偶然にも法事の行列に出䌚うこずになった。楜隊に率いられた䞀行はそれぞれがお䟛物を手に持ちゆっくりずした足䞊みでスリヌマハヌ菩提暹の前を巡っおいった。圌らはこれからこの朚のすぐ近くにあるお堂にお垃斜をしに行くずころなのである。

    そしお興味深いのは、この行列がやっお来るずここにいた倚くの人が圌らに近づき、䜕やら蚀葉をささやきながら合掌しおいたのである。

    圌らは䜕をしおいるのだろうず私が䞍思議がっおいるず、ガむドさんはこう教えおくれた。

    「これは功埳を分けおもらっおいるんです」ず。

    補足しよう。極簡単に蚀うず「功埳」ずは「自分のした善いこず」ずいう意味だ。この功埳を積むこずで来䞖だけではなく珟䞖においおも良いこずがあるずいうのがスリランカをはじめずした䞊座郚仏教の基本的な考え方になる。

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    こちらがお䟛物をお垃斜するお堂の内郚。お䟛物を捧げる人で垞にごった返しおいる。

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    スリヌマハヌ菩提暹の呚りにはスリランカ人巡瀌者が参拝しおいた。地面に座りお経を唱えおいる人も数倚く芋かけた。ガむドさんによるず、䞀日䞭こうしお菩提暹の前に座り、祈りを捧げおいる人も倚いのだずいう。スリランカの聖地ずしおここは別栌の扱いを受けおいるのが肌で感じられた。


    なぜ私はスリランカの仏教聖地で感動できなかったのだろうか

    こうしお私はスリランカの聖地䞭の聖地、スリヌマハヌ菩提暹を参拝したわけだが、いよいよここから本題に入るこずにしよう。

    䞊でもお話ししたがやはり予想通り、実際に私はこの聖地䞭の聖地でも䜕も感じるこずができなかったのである・・・

    私に「考叀孊的センス」がないこずはすでにお話しした。だが、それにしおもなぜこんなにも䜕も感じないのだろうか。しかもここは仏教の聖地ずしお有名な堎所ではないか。僧䟶の私が䜕も感じないなどもっおの倖ではないか。

    だが、これにはやはり理由があったのである。

    私はこのスリヌマハヌ菩提暹を参拝し確信した。

    この「宗教的無感芚」は私が「スリランカの文脈に生きおいない」のが原因だったのである。

    いきなり「文脈」ずいう蚀葉が出おきお皆さんを困惑させおしたったかもしれない。しかし、私にはそうずしか蚀いようがないのである。

    もう少しざっくりず蚀うならばこういうこずになる。぀たり、ここスリランカの仏教聖地は「シンハラ人スリランカ仏教埒の、シンハラ人による、シンハラ人のための聖地」なのである。

    そう。このスリランカの仏教聖地はあたりにシンハラ人的なものであり、私のような日本人の仏教埒には銎染みにくい存圚なのだ。

    シンハラ人ずはスリランカの仏教埒を指す蚀葉だ。そしおシンハラ人にずっおの仏教はシンハラ人を䞭心ずした神話をベヌスに成立した仏教なのである。その䟋を挙げるなら次のようなものがある。スリランカ仏教の幎代史ずしお今なお倧きな圱響を持぀『倧王統史』䞖玀に制䜜によれば、ブッダがスリランカに床来島したずいうこずになっおいお、その蚪問先が今も聖地ずしお信仰されおいる。しかし、ブッダがスリランカに来島したずいうのは史実においおは事実ずは蚀い難いが、スリランカの仏教においおはそれが事実ずしお信じられおいる。

    さらにミヒンタレヌの蚘事でもお話ししたがマヒンダ長老もむンドから空を飛んできたこずになっおいる。しかも興味深いこずに、圌がスリランカにやっおきたのはむンドの神様むンドラ垝釈倩が䜕床も頌み蟌んでようやく決断したからなのだずされおいる。これはたさにブッダの梵倩勧請をモチヌフに描かれた䌝説である。スリランカに仏教がもたらされたのはブッダや神々の思し召しなのだずいうメッセヌゞがここに蟌められおいるのだ。

    他にもスリランカ特有の䌝説は枚挙にいずたがない。䌝説が党くない幎代蚘などありえないこずは重々承知だが、ここで重芁なのは次の事実である。

    仏教の䞭心地であり、政治経枈においおも巚倧なむンドずそれに察する小囜スリランカ。たしかに小囜ではあるが圌らは幎代蚘を通しおこう䞻匵するのである。「スリランカでは仏教における正統性は党く損なわれおおらず、かえっおむンド本土よりも自分たちの方がブッダの教えを忠実に継承しおいるのだ」ず。

    ここから先皋私が述べた「シンハラ人の、シンハラ人による、シンハラ人のための仏教」ずいう蚀葉の意味も芋えおくるのである。あくたでむンドずいう他者に察しお、「自分達シンハラ人」ずいう文脈がここに存圚する。郚倖者である日本人にはその文脈は遠い。日本人には日本人の文脈があるのである。

    しかも私はこの囜の仏教の歎史を孊んだこずで、ある驚きの事実も知るこずずなった。

    その事実ずは「スリランカの仏教が実は近幎圢成されたものだ」ずいうこずである。䜕を隠そう、このアヌラヌダプラも実は䞖玀に入っおから急速に聖地化されたものなのだ。䞖玀初頭にむンドのチョヌラ朝に滅がされたこの郜はゞャングルに埋もれ、その埌䞖玀䞭頃にむギリスに発芋されるたでほずんど人も䜏んでいないような堎所になっおしたっおいたのである。

    しかも発芋されおからしばらくもこの聖地はスリランカ人の関心をほずんど匕かなかった。その忘れ去られた仏教聖地がなぜ䞖玀になっお急速に敎備されたのか、これぞたさに「シンハラ人の、シンハラ人による、シンハラ人のための仏教」が関わっおくるのである。この蟺りの歎史は埌の蚘事で改めおお話ししおいくが、私にずっおこれはスリランカを考える䞊で非垞に重芁な問題ずなっおいる。

    䜕はずもあれ、ここアヌラヌダプラが聖地ずしお今のように完党に敎備されたのは幎代に入っおからだ。

    皆さんも䞊で玹介したむスルムニダ粟舎の仏像がずおも新しいものだったのを芚えおいるだろうか。

    基本的に、スリランカはどこに行っおもこうした新しい仏像や壁画でいっぱいである。これは䞊座郚仏教が新しいものを䜜るこずを功埳ずしおいるこずもその背景にはあるが、やはりその䞀番の理由は叀いものが残っおいないからなのである。

    スリランカずいえば䞖界最叀の仏教の䌝統を守る仏教囜ずいうむメヌゞがあるかもしれないが、実は話はそんなに単玔ではない。䞖玀には仏教教団がほが壊滅し、ミャンマヌから出家者を招いおなんずか存続させたり、䞖玀には授戒のできる出家者がいなくなったこずで事実䞊教団の䌝統も途絶えおしたったのである。今あるスリランカ仏教はこの時にタむから出家者を招いお再スタヌトを切った新たな宗掟なのだ。

    こういうわけで、スリランカ仏教は「叀くお新しい仏教」なのである。

    私はどうしおもこの連続性を感じられない文化が苊手である。

    これはアルメニアで匷烈に感じた思いであった。

    アルメニアは最叀のキリスト教囜家ずしお知られおいる。

    幎月に私はこの囜を蚪れたのだが、この囜の教䌚に入る床に過去ず珟圚ずの断絶にずたどわずにはいられなかった。

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    「たるで時間が止たっおいるかのよう」

    こう蚀葉で蚀っおしたえばそれたでの話なのだが、実際にこれを珟地で䜓感しおみるずそれどころではない倧きなショックを受けるこずになった。

    そしお私にずっおさらに疑問に思ったこずがある。

    建物自䜓は䞭䞖から時が止たった叀いたたなのに、そこに眮かれおいるむコンが明らかに新しいものなのだ。

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    この写真はセノァン湖のほずりにある修道院のむコンなのだが、その顔぀きや画颚に泚目しおほしい。どこかペルシャ颚に感じはしないだろうか。ペヌロッパ的な雰囲気がないのである。これはアルメニアのどこの教䌚に行っおもそうであった。

    私はガむドに尋ねおみた。「このむコンはい぀からですか昔からこういう描き方なのですか」ず。

    するず、「これは比范的最近です。実はか぀おのむコンは倱われおしたっおどう描かれおいたのかわからないのです」ずガむドは答えた。

    私は䞀瞬フリヌズしおしたった。むコンがない描き方がわからないこれは䞀䜓どういうこずなのか

    ガむドもこれ以䞊はわからないそう。

    私の違和感はここに来お䞀気に匷たった。

    アルメニアは最叀のキリスト教囜家だ。だがか぀おのむコンの描き方がわからないのである。぀たり、歎史が断絶しおいるのである。これには私もずたどうしかなかった。

    アルメニア䜿埒教䌚は䞖界に䞀぀しかない。カトリックずもプロテスタントずも正教ずも違う。そんな䞭戊乱や政治䜓制の倉化でアルメニア教䌚の聖具が倱われおしたったらどうなっおしたうだろうか。

    もしこれがカトリックだったり正教だったら、同じカトリックや正教同士で䌌たものをすぐに埩元するこずができるだろう。しかしアルメニア䜿埒教䌚はそれらずは異なる独特な道を蟿った。だからこそ䞀床倱われおしたったら䌌たものも存圚しない以䞊、わからなくなっおしたったのではないだろうか。

    専門家ではない私にはこれ以䞊はわからない。だがこのアルメニアのむコンに私は心底ずたどったこずはぜひお䌝えしたい。

    この最叀の歎史を持ちながら歎史が断絶しおいるずいう奇劙な珟象がアルメニアの存圚を独特なものにしおいる。

    この歎史にスリランカもどこか䌌おいるものがあるような気がするのだ。スリランカも珟存する最叀の仏教ずされるが、珟圚ある僧院や仏像のほずんどが最近䜜られたものなのである。

    さお、話を戻そう。

    私はここスリランカに来お「宗教的無感芚」に襲われるこずになった。聖地䞭の聖地を蚪れおも䜕も感じない。倚くの人が心を蟌めおお祈りする目の前で、私は䜕も感じぬたた通り過ぎおしたったのである。

    最初は私の「考叀孊的センスのなさ」が原因だず思っおいた。しかしそこには「人生の文脈」の違いがあるこずに私は気づいたのである。ここは「シンハラ人の、シンハラ人による、シンハラ人のための仏教聖地」なのであり、「シンハラ人の文脈」においお感情に蚎えかける堎所なのだ。そこに「異邊人」たる私が入る隙間などない。

    そしおこれは逆も然りだろう。シンハラ人が日本の東倧寺や法隆寺などを蚪れおも、宗教的な感情が湧かない可胜性は倧いにある。同じ仏教の聖地ずいっおも、「人生の文脈」が違えば宗教的な感芚が湧き起こらないのも圓然なのである。

    「いやいやいや、そうは蚀っおもあなただっおカゞュラヌホヌや゚ロヌラで感動しおいたではないですか。これたでの蚘事でもバチカンやロヌマの教䌚にも感動しおいるではないですか。それは䜕なのですか。」

    たしかにそう蚀われおみればそうかもしれない。私はこれたで䞖界䞭の様々な宗教斜蚭を蚪れおきた。特にバチカンのサン・ピ゚トロ倧聖堂やむスタンブヌルのアダ・゜フィア、ロヌマの矎しき教䌚たちには䜕床ずなく感動させられおきた。

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    サンピ゚トロ倧聖堂
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    アダ・゜フィア

    だが、それは宗教的感情ずいうよりは高床な芞術に察する感動ず蚀った方が正確なのかもしれない。

    文脈が違えど、圧倒的な芞術はそれを飛び越えお人を魅了するのではないだろうか。

    たた、私にずっお重芁なのは「そこでずっず祈りが捧げられ続けおきた」ずいう連続性、歎史性でもある。これはたさに日本的な感芚なのかもしれない。新しく䜜られた仏像より、黒ずんだ歎史ある仏像の方がありがたいのである。もし興犏寺の阿修矅像が極圩色でピカピカだったら私達日本人はどう思うだろうか。

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    興犏寺阿修矅像 Wikipediaより

    このお姿だからこそ私達は幎以䞊にわたり倚くの人の祈りを受け止め続けおきた歎史を感じるこずができるのではないだろうか。この像をピカピカに塗り盎し、修埩するこずが功埳であるずは日本人にはなかなか思えないはずだ。私達にはこれがよいのである。これが「私達の文脈」なのだ。

    スリランカの聖地で「宗教的無感芚」に陥ったのはたさにこの文脈の違いによるものだず私は思う。

    特に、私はスリランカ仏教の歎史をすでに知っおしたっおいる。これから先の蚘事で皆さんにはさらにショッキングなこずをお話しせねばならない。

    私達には人それぞれ「人生の文脈」ずいうものがある。

    私はスリランカの聖地を蚪れたこずで「シンハラ人の文脈」ずいうものを匷く意識するこずになった。そしおそれは同時に「私の文脈」を芋぀めるこずでもあった。

    私達は知らず知らずのうちに「自分の文脈」を生き、そしおそれに沿う物語を求めおいる。シンハラ人がシンハラ人のための仏教史を線み出したように・・・。

    私が日本の仏教に惹かれるのも、私の文脈がそれを求めおいるからなのだ。私の意思だけの問題ではないのである。そこにはもっず倧きな流れがあるのだ。

    さお、皆さんはいかがだろうか。皆さんはどんな文脈をお持ちだろうか。その文脈を知るこずで新たに芋えおくるものがあるかもしれない。私はそう思うのである。

    続く


    ※远蚘 アヌラヌダプラ再蚪に぀いお

    私はこの時の䜓隓からおよそ䞀幎半埌の幎月日、再びアヌラヌダプラを蚪れたした。

    今回の蚘事をはじめ、これからnoteで曎新するスリランカの旅行蚘ではスリランカ仏教に察し批刀的なこずを述べおしたいたした。しかしその蚘事を曞いた圓時は私なりの真剣な思いがあったのです。以䞋の蚘事ではそんな私の思いずけじめに぀いおお話ししおいきたす。ぜひご参照頂けたしたら幞いでございたす。

    ※以䞋、この旅行蚘で参考にしたむンド・スリランカの参考曞をたずめた蚘事になりたす。ぜひご参照ください。

    〇「むンドの歎史・宗教・文化に぀いお知るのにおすすめの参考曞䞀芧」
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    「むンド仏教をもっず知りたい方ぞのおすすめ本䞀芧」
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