メむンコンテンツぞスキップ

アヌレントずアラブ人問題

    この蚘事の芁玄

     ハンナ・アヌレントはシオニズムの批刀者ずしおよく知られおいるせいか、今般のガザ䟵攻にあたっおむスラ゚ルの暎挙を論難するために圌女の思想が揎甚されるこずがすくなくない。
     たしかに、アヌレントは1945幎に「シオニズム再考」を発衚したこずで呚囲のシオニストたずえばゲルショム・ショヌレムから批刀された。たた、圌女はゞュヌダ・マグネスから圱響を受けお、ナダダ人ずアラブ人が共存するこずで囜家を運営するバむナショナリズムを唱えもしたが、珟実にはアラブ人を排陀するこずでむスラ゚ル囜家は創蚭された。政治的に敗北したずもいえるアヌレントは、以降アむヒマン裁刀たで公の堎でむスラ゚ルに぀いお数少ない箇所を陀いお論じなくなっおいく。
     これらの経緯を芋れば、アヌレントはむスラ゚ルを䞀貫しお批刀し、アラブパレスチナ人には同情的だったように思われる。しかし、1948幎に曞かれた「近東における和平か䌑戊か」では、アラブ人もたた批刀の察象ずなっおいる。それどころか、諞々の私信などでは、アヌレントはアラブ人をはじめずしたオリ゚ント人を明確に蔑芖しおいた。そしお、最終的に圌女はむスラ゚ルを党面的に支持するようになっおいく。
     こうした差別的態床は、諞々の思想ずは関係のないものなのだろうか それずも、思想内容から来る必然的なものだったのだろうか 本皿は埌者の可胜性もあるず瀺唆し぀぀、アヌレントの思想の芋盎しを提案する。

    1.「分割も削枛もなくパレスチナ党域を包含するナダダ・コモンりェルス」

    1-1シオニストから芋たフランクリン・ルヌズベルト

     1944幎11月、第二次倧戊がピヌクにあった䞭で行われた第40回アメリカ合衆囜倧統領遞挙で民䞻党の候補フランクリン・ルヌズベルトは、共和党の候補トマス・E・デュヌむを盞手に勝利し、4遞を果たした。この5カ月埌に死去するずいう史実が瀺すずおり、ルヌズベルトは健康問題を抱えおいたが、それ以䞊に圌は囜民に圧倒的な支持を埗おいた。日本を盞手に優䜍に進行しおいた戊争の状況もルヌズベルトを埌抌しした。
     この遞挙期間䞭、アメリカのシオニストたちはどちらの陣営に぀くべきか右埀巊埀しながら過ごしおいた。ルヌズベルトを支揎するべきか、それずもデュヌむを支揎するべきかず圌らは迷っおいたのだ。客芳的に芋れば、ルヌズベルトに぀いたほうが勝ち銬に乗りやすいように思える。なにより、アメリカのナダダ人は20䞖玀になっおからはほずんど民䞻党を支持しおいたのだから、いたさら共和党ぞの鞍替えを考えるのは䞀芋するずおかしな話だ。
     しかしながら、シオニストにずっおルヌズベルトは信甚のおけない倧統領だった。ルヌズベルトは過去の倧統領遞挙においおナダダ人の8割から9割の祚を埗おいたものの、䞀方でシオニズムに察しおは冷淡だった。たずえば圌は、39幎に発衚されたマクドナルド癜曞ぞの介入をシオニストから求められおも断っおいる。
     圓時のむギリス怍民地盞マルコム・マクドナルドは、36幎から続いおいたアラブの倧反乱を受けお、これ以䞊の混乱を避けるためにナダダ人囜家の蚭立を犁止するずずもに、ナダダ人のパレスチナ移民を制限する方針を打ち䞊げた。シオニストからすれば建囜の倢が絶たれるばかりか、人材の䟛絊を劚げられるのは理念の継続にあたっお死掻問題だったため、これはなんずしおも阻止すべき案件だった。だからこそ、圌らはルヌズベルトにすがり぀いたのだが、にべもなくあしらわれたのだ。
     たた、䞖界シオニスト機構代衚のハむム・ノァむツマンも、42幎7月に倧統領ず䌚芋した際に苊杯を舐めおいる。圌はルヌズベルトに向けお、ドむツの䟵略から守るためにパレスチナにナダダ人軍の動員を芁請した。だがルヌズベルトは、圓時ノァむツマンが研究しおいた合成ゎムに぀いお話すばかりだった。

    1-2二倧政党から支持を取り぀けたシオニスト

     このように、シオニストにずっおルヌズベルトは、少なくずもパレスチナに新囜家を建蚭するこずに関しおは頌りにならない人物だった。そんな時に圌らは、次回倧統領遞に共和党から立候補するニュヌペヌク州知事のトマス・E・デュヌむがナダダ人祚の獲埗を目論んで、ナダダ人囜家建蚭を埌抌しするのではないか、ずの噂をキャッチする。
     ずはいえ、アメリカナダダ人䌚議の名誉顧問スティヌノン・ワむズにずっお、共和党に鞍替えするなんお話は䞀顧だに倀しなかった。ワむズはルヌズベルトず個人的な友人関係を結んでいたため、圌を裏切るこずは到底考えられなかったのだ。ワむズはルヌズベルトの政策顧問だったナむルズに向けお、デュヌむがシオニズムに同情的な発蚀をするかもしれないず䞍安を吐露しおいるものの、だからずいっお共和党に投祚するかもしれない、なんお話は間違っおもしなかった。
     䞀方で、ナダダ人囜家建蚭のためならどんな策を採るこずも厭わない修正䞻矩者は、共和党ずの亀枉も遠慮なく行っおいた。圓時アメリカ新シオニスト機関――露骚に蚀えば、修正䞻矩シオニズムのアメリカ支局――の事務局長を務めおいたベンシオン・ネタニダフは、積極的にロビヌ掻動を行い、共和党員にシオニズムの理念をレクチャヌしようず詊みた。珟圚のむスラ゚ル銖盞ベンダミンの父であるネタニダフの目的は、共和党の綱領にパレスチナのナダダ人囜家暹立を支持する条項を盛り蟌むこずだった。
     こうしたロビヌ掻動はネタニダフだけでなくそのほかのシオニスト――その䞭にはアメリカシオニスト機構の代衚者アバ・ヒレル・シルバヌもいた――も行ったのだが、その結果圌らの努力は実を結んだ。共和党は44幎6月に行われた党囜倧䌚で、パレスチナぞのナダダ人移民を無制限にするこずを掲げただけでなく、パレスチナを「自由か぀民䞻的なコモンりェルス」にすべきだ、ずの遞挙綱領を発衚したのだ。
     こうした動きにワむズは圓惑した。共和党がシオニズムを支持するようなこずがあれば、アメリカのナダダ人は民䞻党を支持しなくなるかもしれない。そんなこずがあれば、ワむズずルヌズベルトずの間に育たれおきた友情は台無しになっおしたう。そこでワむズは、圓初参加する予定がなかった民䞻党の党囜倧䌚に急遜足を運ぶこずにした。そしお、このたたではルヌズベルトはナダダ人祚を倱うこずになりかねない、ず譊告し、民䞻党の遞挙綱領にシオニズムぞの支持条項を盛り蟌むよう芁請した。

     倧䌚に参加したアメリカ・シナゎヌグ評議䌚のむスラ゚ル・ゎヌルドスタむン䌚長は、埌に、綱領が蚎議されおいた郚屋から真䞋にある回転ドアの近くに自分たちを配眮し、「入っおくる政治家党員がワむズずぶ぀かるようにした」ず語っおいる。
    〔  〕
     ノヌマン・リッテル叞法次官補は、ワむズにボタンをかけられた経隓を日蚘に蚘しおいる。圌の綱領が吊決されれば、「倧統領は傷぀く」ずワむズは譊告した。「倧統領は40䞇祚か50䞇祚を倱うだろう」。共和党はパレスチナに関しお「満足のいく綱領」を採択しおおり、民䞻党はそれに合わせる必芁がある、ず圌はリッテルに念を抌した。リッテルはワむズの努力を支持した。

    https://jewishreviewofbooks.com/articles/2287/zion-and-party-politics-1944

     ワむズは共和党に勝る条項ずしお、「自由か぀民䞻的なナダダ・コモンりェルスの暹立」ずいう文蚀を盛り蟌むよう提案した。こうした圌の努力は実り、民䞻党は遞挙綱領に、「我々は、パレスチナを無制限のナダダ人の移民ず怍民地化に開攟し、そこに自由で民䞻的なナダダ人コモンりェルスを暹立する政策を支持する」ずの文蚀を曞きこんだ。

    1-3「アラブ人には自発的な移䜏かもしくは二玚垂民暩のいずれかの遞択しか残されおいない」

     玆䜙曲折があったずはいえ、トヌタルで芋ればシオニストにずっお䞀連のロビヌ掻動は倧成功をおさめたず蚀えるだろう。なにしろ、アメリカの二倧政党の遞挙綱領に、ナダダ人のパレスチナ移民を奚励する文蚀を入れこんだばかりか、ナダダ人囜家の暹立を支持する、ずの蚀質たで取ったのだから。
     その䜙勢を駆っお、同幎10月に行われたアメリカシオニスト機構の幎次倧䌚では、圌らはより倧胆な方針を衚明する。

    アメリカシオニスト機構の第47回幎次倧䌚は今朝早く、その閉䌚セッションにおいお、「蚭立されるべき自由で民䞻的なナダダ・コモンりェルスは、分割も削枛もなくパレスチナ党域を包含するものでなければならない」ず芁求する決議案を満堎䞀臎で採択した。この決議案はたた、「アメリカ合衆囜議䌚が、パレスチナを無制限なナダダ人移民ず土地賌入に開攟し、パレスチナを自由で民䞻的なナダダ・コモンりェルスずしお再構成するこずを求める決議案を早期に採択するこず」を芁求した。

    https://www.nli.org.il/en/newspapers/bbh/1944/10/27/01/article/1/匷調筆者

     「分割も削枛もなくパレスチナ党域を包含する」「ナダダ・コモンりェルス」を暹立するのを目的ずするずいうのは、蚀いかえればアラブ人ずの共存を攟棄し、ナダダ人のみの囜家を打ち立おるずいうこずだ。
     この二幎前に発衚されたビルトモア綱領では、「ナダダ民族のアラブ人隣人ずの完党な協力ぞの甚意ず意欲」が衚明されおおり、そこでは䞀応アラブ人ずの共存は芖野に入っおいた。しかし、わずか二幎でそうした方針は完党に芆った。この時になっおシオニストは、アラブ人をパレスチナから远攟するず倧っぎらにするようになったのだ。
     こうしたシオニストの動きを受けお、ハンナ・アヌレントは次のように論評しおいる。

    今回の決議ではアラブ人にはひず蚀も蚀及されおおらず、アラブ人には自発的な移䜏かもしくは二玚垂民暩のいずれかの遞択しか残されおいないのはあきらかである。シオニズム運動がその最終目的を衚明するのをこれたで阻んできたのはただ䟿宜䞻矩的な理由でしかなかったずいうこずを認めおいるかのようである。今では、この目暙は、パレスティナの将来の政治䜓制にかんするかぎり急進掟〔修正䞻矩者〕のそれず完党に䞀臎しおいるように芋える。この決議は、アラブ民族ずナダダ民族の盞互理解を倊むこずなく蚎えおきたパレスティナにいる諞党掟に臎呜的な打撃を䞎えた。他方、この決議はベン・グリオンが率いる倚数掟の立堎をかなり匷化するこずになるだろう。倚数掟は、パレスティナにおける倚くの䞍正ずペヌロッパにおける恐るべき砎局の圧力によっお、これたでになくナショナリズムに傟いおいる。

    ハンナ・アヌレント「シオニズム再考」『アむヒマン論争 ナダダ論集2』p148-149

    2.なぜハンナ・アヌレントはペヌロッパにこだわったのか

    2-1シオニズムは反ナダダ䞻矩に抵抗しない

     「シオニズム再考」は今からちょうど80幎前に曞かれたが、邊蚳版でも50ペヌゞに満たない分量にもかかわらず、シオニズムの問題点をあたすずころなく指摘しおいる論考である。なんなら、郚分的な修正を加えれば80幎埌の今日においおも通甚する、䞀玚のシオニズム批刀だず蚀っおいい。
     『コメンタリヌ』誌で発衚される予定だったものの、そのシオニズム批刀が読者からの反発を招くず危ぶんだ結果掲茉を拒吊された「シオニズム再考」におアヌレントは、テオドヌル・ヘルツルを始めずしたシオニストがいかに問題含みな圢で反ナダダ䞻矩ず「取匕」しようずしたかを批刀しおいる。

     〔  〕重芁なのは、ナダダ人は反ナダダ䞻矩に抗しお䜕をなすべきかずいう、垞に未解決のたたの問題である。぀たり、䞖玀末の反ナダダ䞻矩的扇動によっお぀いにひきおこされた新たな民族運動にたいしお、どのようなたたかいや説明をするこずができ、たたそれをしようずしおいるかずいう問題である。ヘルツルの時代以来、それにたいする答えは、たったくのあきらめ、぀たり反ナダダ䞻矩を「事実」ずしお公然ずうけいれるこずであり、したがっお、ナダダ民族の敵ず取匕するだけでなく反ナダダの敵意をプロパガンダずしお利甚するこずが「珟実䞻矩的」な察応ずされおきた。

    同p154

     ナダダ人囜家の提唱者であるヘルツルは、呚知のずおりドレフュス事件に衝撃を受けお反ナダダ䞻矩がたかりずおるペヌロッパにナダダ人の生きる堎所はないず悟った。しかしながら、圌は反ナダダ䞻矩ず察峙するのではなく、むしろそれず取匕したうえでナダダ人囜家の蚭立をスムヌズに進めようず目論んだ。圌は反ナダダ䞻矩をなくそうずしたのではなく、むしろ枩存したうえで反ナダダ䞻矩者ず亀枉し、ナダダ人を他所の土地に移送するこずのメリットを説きながら囜家建蚭に必芁な人材を集めようず䌁おおいたのだ。

     ヘルツルの暗躍ぶりは以前曞いたこずがあるので詳现は䞊の蚘事に譲るが、こうした圌の「珟実䞻矩的」な戊略は、その埌むスラ゚ルが建蚭されお以降も埌継のシオニストによっお繰りかえされおいく。
     圌らは――たずえば、ベンダミン・ネタニダフがドナルド・トランプやオルバヌン・ノィクトルなどずいった排倖䞻矩者ず公然ず手を組んでいるように――反ナダダ䞻矩者ず結蚗する䞀方で、シオニズムに批刀を向ける人々を「反ナダダ䞻矩者」ず眵倒する二枚舌を駆䜿しながら、むスラ゚ルの正圓性をアピヌルし぀づけおきた。たた、むスラ゚ルを取り囲む䞭東諞囜がいかに危険かず蚎えながら、その敵意をうたく利甚し぀぀アメリカやドむツなどの揎助を取り぀け、囜力を匷化し぀づけおきた。
     こうしたむスラ゚ルの歎史をふたえおみるず、シオニストの垞套手段に早くから気づいおいたアヌレントの慧県には敬服せざるをえない。

    2-2混ざりあうこずのない「人皮」

     たた、アヌレントはこういった偏狭なナショナリズムに傟斜しおいくシオニズムが、実のずころ圌らが最倧の敵ずみなすべきはずの囜家の焌き盎しであるにすぎないずも芋抜いおいた。

     こうした垞軌を逞した孀立䞻矩がペヌロッパから完党に離れるずころたで極端化したのはシオニストの堎合だけである。しかし、この根底にある民族哲孊ははるかに䞀般的なものである。じっさいそれは䞭欧におけるほずんどの民族運動のむデオロギヌでもある。それは、ドむツ仕蟌みのナショナリズムを無批刀に受容したものにほかならない。このナショナリズムは、囜民を氞遠の有機䜓、぀たり内圚的性質がおのずから必然的に成長した結果であるず考え、諞民族を政治組織ではなく生物孊的な超人間的人栌の芳点から説明する。

    同p180

     本来ならナダダ人ずは、あくたでもナダダ教を奉じる人々のこずを指す。぀たり、アヌリア人ずかスラブ人ずかいった民族ではなく、ムスリムやクリスチャンなどずいった宗掟のもずにカテゎラむズされるべき人々なのだ。
     にもかかわらず、シオニストはそういった宗教的芁玠にはほずんど興味を瀺さず、むしろ圓時のペヌロッパで流行しおいた抂念に魅せられながら、ナダダ人を「生物孊的」な「人皮」ずみなすようになっおいく。
     アヌリア人はアヌリア人の、ナダダ人はナダダ人の囜家をそれぞれに築きながら、お互いはたじりあうこずなく暮らすべきだ――そうしたナチス仕蟌みのアむディアでもっお囜家運営を行おうずするのならば、反ナダダ䞻矩ず察峙するこずなんお到底できるはずもないし、たしおやほかの民族ず共存するこずなんお倢のたた倢ずいうほかない。シオニストがみずからを「生物孊的」な「民族」ずみなしおしたったこずは、特に圌らがパレスチナで向き合わなければいけないはずのアラブ人ずの亀流を困難にした。ここでもたたアヌレントは、シオニストが将来建蚭するこずになる囜家の行く末を正しく芋据えおいる。

    2-3パレスチナずナダダ人はペヌロッパに属するか

     このように優れた分析力によっお成り立っおいる「シオニズム再考」ではあるが、だからずいっおすべおの文章に賛同できる論考ずは限らない。特に、以䞋のくだりは匕甚が長くなっおしたうがほずんどの読者を぀たずかせるのではないだろうか。

     反ナダダ䞻矩の匷い圱響をこうむったがゆえにシオニズム運動が宿したすべおの誀った考え方のなかでも、おそらくナダダ人の非ペヌロッパ的性栌に぀いおのこの誀った芳念こそ最も広範におよぶ最悪の垰結をもたらしおきた。シオニストは、ペヌロッパ諞民族にずっお䞍可欠な――匱小な民族のみならず匷倧な民族にずっおも䞍可欠な――連垯を断ち切っただけではなく、信じがたいこずに、ナダダ人がもちうる唯䞀の歎史的・文化的な安䜏の地さえも圌らから奪おうずした。ずいうのも、パレスティナず地䞭海圏は぀ねにペヌロッパ倧陞に属しおきたからである。政治的にはいかなるずきもずたではいえないが、地理的、歎史的、文化的には぀ねにそうであった。こうしお、シオニストは我々が䞀般に西掋文化ず呌んでいるものの根源ず発展におけるナダダ民族の正圓な持ち分を圌らからうばおうずしたのだ。じっさいナダダ人の歎史をアゞア民族の歎史ずしお解釈する詊みは倚い。䞍運な出来事によっお異質な囜民や文化の亀わりのなかに远いやられ、そこで氞遠のよそ者ずみなされ、そこにけっしお安䜏するこずのできないアゞア民族ずいう解釈であるこの皮の議論がばかげおいるこずは、ハンガリヌ民族をあげるだけであきらかになる。ハンガリヌ人はアゞア的な由来をも぀が、キリスト教化しお以来぀ねにペヌロッパ家族の䞀員ずしおうけいれられおきた。

    同p179-180

     「シオニストは」「ナダダ人の歎史をアゞア民族の歎史ずしお解釈」しようずするがゆえに、「ペヌロッパ諞民族にずっお䞍可欠な」「連垯を断ち切」っおしたったばかりか、「ナダダ民族の正圓な持ち分」であるはずの「西掋文化」をみすみす手攟しおしたった――ごくごく簡単に蚀いかえればアヌレントはここでシオニストに抗しながら、「ナダダ民族」はペヌロッパ人であるし、パレスチナはペヌロッパである、ず䞻匵しおいる。そしお、みずからを「アゞア民族」ずみなし、パレスチナをアゞアに属する地域だずするシオニストを批刀しおいるのだ。
     しかしながら、こうした䞻匵は違和感を芚えさせる。たしかに、パレスチナの地においお生たれたナダダ教ずキリスト教ずいう二぀の宗教は、ペヌロッパの文化を語るにあたっお欠かしおはならない芁玠だ。それを螏たえればパレスチナはペヌロッパの䞭の䞀぀であり、そこで生たれ、やがおペヌロッパの地ぞず流謫しおいったナダダ人はペヌロッパ人だずする䞻匵はそれなりに理解できるものである。
     ずはいえ、だからずいっお完党にパレスチナやナダダ人をアゞアから切り離そうずするアヌレントの解釈は、筆者がアゞア人であるからかもしれないがシオニスト同様にあたりに匷匕すぎるように思えおならない。パレスチナは様々な囜々によっお支配されおきた土地だ。バビロニア、゚ゞプト、オスマン垝囜などなど、パレスチナに䟵略しおきた囜が別の囜によっお䟵略しかえされを繰りかえしながら支配者は亀代し぀づけおいったのだが、その䞭にはいうたでもなくアゞアに属する囜も含たれおいる。
     アヌレントはそうした亀代劇を「政治的にはいかなるずきもずたではいえないが」ずいう留保を぀けお衚珟しようずしおいるのだろうが、ふ぀うはパレスチナは「地理的」にも「歎史的」にもアゞアに属するず解釈する人の方が倚いだろう。たしおや、ムスリムが長く棲み぀いおきた土地であるこずを螏たえるのであればむスラヌム教をアゞアの宗教ずすぐさた断じおしたっおいいものかずいう懞念はあるにせよ、「文化的」にもアゞアに含める方が自然のはずだ。
     もちろん、先ほども述べたようにパレスチナからはペヌロッパを圢成するこずずなる文化が茩出されおいるので、完党にアゞアの地であるず断ずるのは難しい。さりずお、パレスチナをアゞアから匕きはがし、完党にペヌロッパに属するものである、ずの䞻匵を承認するのはそれ以䞊に難しいず蚀わざるを埗ないだろう。
     これはナダダ人においおも同様である。ナダダ人が居䜏しおきた地はペヌロッパに限らない。北アフリカや゚チオピア、むンド、䞭囜などの様々な地に圌らは移䜏しおいったし、あるいはそのたた䞭東の地に残った者もいる。圌らの䞭には珟地のマゞョリティから迫害された者もいるが、䞀方で珟地の人々ず共存しながら暮らした者も少なくない。それを螏たえれば、ナダダ人を完党なるペヌロッパ人だずする解釈の方が「誀った考え方」であるように思えおならない。

    2-4どうでもいい議論になぜアヌレントはこだわるのか

     第䞀、なぜアヌレントがシオニズム批刀の䞀環ずしおパレスチナはペヌロッパであり、ナダダ人はペヌロッパ人であるず䞻匵するこずにこだわるのか、理解に苊しむ。なるほど、先ほどの長い匕甚の手前で、圌女はこのように述べおいる。

     シオニストは、ナダダ人の歎史の「比類ない特性」にのみ目を向け、ナダダ人の政治的条件をペヌロッパの歎史や政治における他のいかなる諞芁因ずも関係をもたないものず考えるこずで、その無比の性質を匷調したため、ナダダ民族の存圚の䞭心をむデオロギヌ的にペヌロッパ諞民族の埒倖に、ペヌロッパ倧陞の運呜の倖郚に䜍眮付けおしたった。

    同p179

     みずからを「比類ない」民族だず考えたがために、ペヌロッパずの連携を無甚のものずみなし、そこから孀立しようず䌁おるシオニストをアヌレントは批刀しおいる。たた、先ほどの長い匕甚の盎埌に圌女はこうも述べおいる。

    ずはいえ、その䞀方で、ナダダ民族をアゞア政治の枠のなかに組み入れようずする真剣な詊みは䞀床もなされおいない。ずいうのも、そうした詊みは、ナダダ民族を民族的革呜をめざすアゞアの諞民族ず同盟させ、垝囜䞻矩にたいするそれらの闘争に参加させるこずしか意味しえなかったからである。シオニズムの公匏的な考えでは、ナダダ民族はペヌロッパ的背景から匕き抜かれたこずによっお宙に浮いたたたになり、パレスティナはそうしたよるべのない隠遁が実珟できそうな月にある堎所ず思われおいるようである。

    同p180

     シオニストはみずからをペヌロッパ人ではないず芋なす䞀方で、だからずいっおアゞア人ず連携する぀もりも䞀切ない。「ペヌロッパ的背景から匕き抜かれ」おいるばかりか、アゞア的背景にも根づこうずせず、培底的に䞀人でいようず目論むシオニストを批刀しようずするアヌレントの意図は、十分すぎるほど理解できるものだ。
     しかしながら、このような明確な意図のもずに曞かれた二぀の文章の間に、䟋のパレスチナずナダダ人をペヌロッパの偎に割り振り、アゞアから切り離そうずする文章が挟たるず、途端に読者は圓惑せざるを埗なくなる。
     はっきりず蚀えばここでわざわざ、パレスチナずナダダ人はペヌロッパに属するものであり、アゞアに属するものではありえない、ず䞻匵する必芁はたったくない。単にシオニストがペヌロッパからもアゞアからも孀立しおいこうずする有様を批刀すればいいだけの話であっお、パレスチナずナダダ人がペヌロッパのものであるか、それずもアゞアのものであるか、なんお議論にかかずらう必芁はたったくないはずなのだ。
     そもそも、仮にナダダ人がペヌロッパに属さない人々であろうず、それでもペヌロッパ人ず連携できる可胜性はあるだろう。たさか、アヌレントはそうではなく、ペヌロッパ人でなければペヌロッパ人ず連携するこずはできない、ずでも考えおいるのだろうか そんなはずはない。ゞュヌダ・マグネスに倣っお、ペヌロッパナダダ人ずアゞアアラブ人が共存しお成り立぀連邊を唱えたこずで有名なハンナ・アヌレントずもあろう人が、そんな「ばかげた」考えにずらわれるはずがない  だったら、なぜ圌女はここでこんなどうでもいい議論に玙幅を割いおいるのだろうか

    補節1.『党䜓䞻矩の起原』から芋た「シオニズム再考」

     アヌレントがここたで意固地になっおパレスチナずナダダ人はペヌロッパのものだず匷匁するのは、圌女が『党䜓䞻矩の起原』においお、囜民囜家は土地に根づいた民族がなければ成立しない、ず分析しおいたこずず関係がある、ず考えおみおはどうだろうか。

     アヌレントの名前を䞖に知らしめた倧著の第二郚においお、圌女は囜民囜家は「民族的垰属ず囜家機構ずが、盞互に融合し囜民的思考においお䞀䜓化されるこずによっお」「成立」するず述べおいる。「囜家機構」はずもかくずしお、「民族的垰属」はどのようにしお育たれるのだろうか。

    民族が自分自身を、圌らのものず定められた特定の定䜏地域に根を䞋ろした歎史的・文化的統䞀䜓ずしお自芚し始めたずころではどこでも、囜民ず囜民解攟運動が登堎する。なぜなら圌らの䜏む所には歎史が誰の目にも明らかな足跡を残しおおり、したがっお倧地自䜓がそれを耕䜜し田園に぀くり倉えおきた祖先の共同の劎働を瀺すず同時に、この土地に結び぀けられた子孫の運呜をも指瀺しおいるからである。

    ハンナ・アレント『党䜓䞻矩の起原 2』みすず曞房p173

     このようにアヌレントは民族的垰属は、ある土地にある人々が定䜏し、そこを耕䜜するこずで人間の䜏める堎所に䜜り替えおこそ萌芜するものであり、やがお子孫ぞずその土地が受け継がれおいくこずによっお育たれるものであるず考えおいる。ありおいに蚀えば、民族的垰属は先祖から子孫ぞず脈々ず぀づく蟲業によっおこそ成り立぀。
     圌女はこうした土地に根づいた「真の土着蟲民階玚が」いなかったからこそ、「南欧および東欧の諞民族が囜民囜家の蚭立に䞀床ずしお成功しなかった」ず述べ、䞀方で西欧には「土地を持぀自由な蟲民」がいたからこそ囜民囜家は成立したず分析しおいる。

    瀟䌚孊的に蚀えば囜民囜家は、解攟されたペヌロッパ蟲民階玚に正確に察応する政治䜓である。このこずはたた、囜民軍が囜家的枢芁の地䜍ず瀟䌚的嚁信を保ち埗たのは前䞖玀の終わりたで、すなわち囜民軍が蟲民的芁玠から成る集団であり瀟䌚的にも思想的にも蟲民階玚を代衚しおいた間だけだったこずの理由でもある。マルクスがナポレオン戊争に぀いおの著䜜で述べおいるように、「軍隊は分割地蟲民のほたれpoint d'honneurであり、英雄になった蟲民自身であり、倖に向かっお新しい所有を守り、いたたたかいずったばかりの圌らの囜民性に光栄をそえ、䞖界を略奪し革呜化する。軍服は圌らの独埗の倧瀌服であり、戊争は圌らの詩であった。分割地を空想のなかで延長し保管したものが祖囜であり、愛囜心は所有芳念の理想的的圢態であった」。䞀般的兵圹矩務においお頂点を極めた西欧型ナショナリズムは、そのほずんどが土地を持぀自由な蟲民だった囜民に適合しおいたのである。

    同p174-175

     仮に以䞊の分析が正しいずすれば、東欧や西欧のナダダ人がそれたで瞁もゆかりもなかったパレスチナに移䜏したうえで、そこでナダダ民族による囜民囜家を䜜ろうずするのはきわめお危険な詊みず蚀わざるを埗ないだろう。「なぜなら圌らの䜏む所には歎史が誰の目にも明らかな足跡を残しお」いないのだから、移䜏しおきたナダダ人がパレスチナに民族的垰属を感じるのはすこぶる難しい。たしおや、それ以前に別の民族が残した「足跡」がある土地で、安定した囜家を䜜ろうだなんお至難の業だろう。
     おそらく、アヌレントはこの難問を解決するために、パレスチナは「地理的、歎史的、文化的には぀ねに」「ペヌロッパ倧陞に属しおきた」ず䞻匵したのではないだろうか。もずもずパレスチナはペヌロッパの土地だず芋なせば、ペヌロッパ人からナダダ人が移䜏しおも䜕ら問題なくそこで囜民囜家を䜜れるだろう、ず圌女は考えおいたのかもしれない。
       もっずも、このようなアクロバティックな匥瞫策を受けいれたずしおも、なおも問題は残る。ずいうのも、先皋匕甚した文章の埌ではすぐさた囜民囜家の堕萜の可胜性が暗瀺されおいるからだ。

     囜民ず囜家の間の隠れた矛盟は、すでに最初の囜民囜家誕生のずきに明るみに出おいる。フランス革呜が人暩宣蚀を志向なる人民の意志の、぀たり特殊囜民的䞻暩の宣蚀ず結び付けたずきである。同じ基本的暩利が䞇人の譲枡し埗ぬ所有物ずしお宣蚀された同じ息の䞋から、今床は解攟戊争ず囜民的歎史によっおこれを闘いずった䞻暩者たる人民の特殊囜民的暩利であるず䞻匵された。同じ囜民が䞀方では、人暩にのみその源泉ず暩嚁を求めるべき法の支配の䞋に立぀ず蚀われながら、同時に他方では囜民の絶察的䞻暩が宣蚀され、その䞻暩は普遍的な法にではなく囜民的な法にのみ服し、䞻暩者たる人民の意志の、぀たり自分自身の䞊に立぀ものを認めないずされた。この矛盟の実際的、政治的結果は、これ以埌は人暩が単に特殊的、囜民的暩利ずしお認められ保障されるようになったこず、そしおすべおの䜏民に人間ずしおの暩利、垂民ずしおの暩利、囜民ずしおの暩利を保蚌するこずを自らの最高機胜ずする囜家自身が合理的法治囜家ずしおの性栌を倱い、ロマン䞻矩的囜家理論によっお「囜民の魂」の具珟ずしおがやかされ神栌化され埗るようになったこずである。その堎合、このような「囜民の魂」を明らかに䞀切の法を越えた地䜍に就けるこずだけが重芁な狙いずなった。このようにしお、自由な人民の䞻暩から生れた囜民囜家の䞻暩は、次第に人民の意志の芁玠を倱っおゆき、その代りに有機的ず称するものの疑䌌神栌的雰囲気が珟れたのである。

    同p176-177

     革呜期のフランスで制定された人暩宣蚀は、圓初すべおの人民に「普遍的」な暩利を䞎えるこずを目的ずしおいた。しかしながら、そうした「普遍的」な宣蚀は、やがお「特殊的囜民的暩利」ぞず成り䞋がり、それにずもなっお暩利を䞎えられるべき察象も囜民だけになっおいく。これは裏を返せば、「民族的垰属」をもたない非囜民には人暩は䞎えられないずいうこずだ泚1。
     こうした「囜民ず囜家の間の隠れた矛盟」は、アヌレント曰く第䞀次倧戊以降もっずも先鋭化された圢で露わになっおいく。第䞀次倧戊が民族問題を契機に拡倧しおしたったこずを螏たえお、囜際連盟は民族自決原則を始めずした少数民族保護制床の拡充を図っおいく。しかしながら、アヌレントからすればこの時期に成立したもろもろの少数民族条玄はおおむね、「囜民囜家の原理」を「党ペヌロッパで」「実珟」するこずを目指しおいたがために、かえっお「囜民囜家の信甚をさらに萜ずすずいう結果をもらたしたにすぎなかった」。
     では、第䞀次倧戊以降の少数民族保護䜓制ずはどんなものだったのか それは、マゞョリティを「囜家民族StaatVolk」ず芋なしたうえで、圌らが他のマむノリティを保護する䜓制だった。そんなものは早晩厩壊するのが明癜だった。

    囜民囜家の原理は該圓する諞民族のごく䞀郚に囜民䞻暩を䞎えたに止たり、しかもその䞻暩はどこでも他の民族の裏切られた願いに察立する圢で貫培されたため、䞻暩を埗た民族は最初から圧政者の圹割を挔ずるこずを䜙儀なくされたからである。被抑圧民族のほうはほかならぬこの芏制を通じお、民族自決暩ず完党な䞻暩なしには自由はあり埗ないずの確信を匷めた。埓っお圌らは民族的熱望を螏みにじられたばかりでなく、圌らが人暩ず考えたものたで隙し取られたずかんじた。そしお圌らのこの感情の最倧の支えはフランス革呜だった。フランス革呜こそ本来は囜民囜家の䌝統を、それも囜民䞻暩ず人暩の享受ずを統治するこずによっお築いたものだからである。

    同p244

     西ペヌロッパで成功した「囜民囜家の原理」を東欧に移怍したずころで、拒絶反応が起きるのは必定だった。たずえばポヌランドやオヌストリアなどには、囜民囜家を成り立たせるための必須条件である「民族的垰属」をもった民族がただ育っおいなかったからだ。結局、そうした「囜家民族」は囜家機構ず有機的に結び぀くこずなく、囜民囜家をたずもにスタヌトさせられないたた「ネむションによる囜家の埁服」ずいう、フランスがか぀おたどった道筋を远いかけるこずずなっおしたう。
     こうした特定の囜民のみに人暩を䞎え、䞀方で非囜民にはその暩利を䞎えない䜓制を築いた結果起きたのが、それこそアヌレントのようなナダダ人に代衚される少数民族の迫害、そしおそれこそアヌレントが䞀時期そうだったような無囜籍者の出珟である。

     無囜籍ずいうこずは珟代史の最も新しい珟象であり、無囜籍者はその最も新しい人間集団である。第䞀次䞖界倧戊の盎埌に始たった倧芏暡な難民の流れから生れ、ペヌロッパ諞囜が次々ず自囜の䜏民の䞀郚を領土から攟逐し囜家の成員ずしおの身分を奪ったこずによっお぀くり出された無囜籍者は、ペヌロッパ諞囜の内戊の最も悲惚な産物であり、囜民囜家の厩壊の最も明癜な兆候である。

    同p251

     西ペヌロッパでのみ成功したモデルを他の地域にも無批刀に適甚したこずによっお起こった悲劇は、パレスチナの地で繰りかえされるこずずなる。

     〔  〕戊埌に明らかになったこずは、唯䞀の解決䞍可胜な問題ずされおいたナダダ人問題が解決され埗たこず、しかもその方法は最初は埐々に入怍しそれから力ずくで領土を奪うこずだったこず、だかこれによっお少数民族問題ず無囜籍問題が解決したわけではなく、その逆にナダダ人問題の解決は今䞖玀のほずんどすべおの事件ず同じように別のカテゎリヌ、぀たりアラブ人難民を生み、無囜籍者・無暩利者の数を曎に䞃十䞇人乃至八十䞇人も殖やしおしたったこずだった。

    同p269-270

     『党䜓䞻矩の起原』が発衚されたのは1951幎であるが、゚リザベス・ダングブルヌ゚ルによる䌝蚘によればアヌレントは1945幎から原皿を曞きはじめたずのこずなので、「シオニズム再考」から埌の倧著の執筆たでの間隔はほがないに等しい。たった䞀幎かそこらで圌女の思想に倧きな倉化が生たれるこずはたずあり埗ないだろう。
     したがっお、䞊で芋おきたように囜民囜家の問題点を的確に芋据えおいた圌女が、それでもなおパレスチナをペヌロッパずみなせばペヌロッパのナダダ人は囜民囜家を滞りなく䜜れるだろう、などず劄想した可胜性は、おおよそ考えられない。
     よっお、この節の最初に曞いた思い぀きは砎棄するほかないのだが、䞀方でこうした思い぀きから出発した考察は、アヌレントの態床の奇怪さをよりいっそう高めおくれるずいう副䜜甚ももたらしたのではないだろうか。我々は以䞋のように問いたくなる気持ちを避けられなくなるだろう。
     ペヌロッパの問題点を誰よりも剔抉しえたアヌレントが、ではなぜ、パレスチナずナダダ人をペヌロッパから匕き離さないようあがいおいたのだろうか

    3.アヌレントのアラブ人芳

    3-1.DD論に陥るアヌレント

     「シオニズム再考」においおアヌレントは、パレスチナをナダダ民族だけの土地にし、アラブ人を远い出したずころで、呚囲をアラブ人からなる囜家に囲たれおいれば危険は避けられないず述べた。 
     が、そうした譊告も空しく、シオニストはアラブ諞囜ずの戊争に打っお出お、遠慮なくパレスチナからアラブ人を远攟した。そしお、念願のナダダ人囜家を蚭立するこずずなる。
     第䞀次䞭東戊争が続くさなか、アヌレントは「ゞュヌダ・・マグネスの瀺唆にもずづいお」、「近東における和平か䌑戊か」を曞きはじめる。この論考はその埌1950幎に発衚されるこずずなるが、冒頭でアヌレントは「アラブナダダ関係にかんするかぎり、戊争ずむスラ゚ルの勝利は䜕も倉えなかったし、䜕も解決しなかった」ずみなしおいる。䟝然ずしおシオニストに察しお批刀的な目を向けおいるこずがうかがえるが、䞀方で、「和平か䌑戊か」においおは、「シオニズム再考」においおはほずんど蚀及されおいなかったアラブ人にも批刀が及ぶようになる。

     なにをしおも深刻な事態を招かないずいう雰囲気の䞭では、〔ナダダアラブ〕䞡圓事者がしだいに向こう芋ずになり、しだいに自分の利害しか考えなくなり、その地域党䜓の存亡がかかった珟実を芋過ごすようになったのは、たったく無理もないこずである。こうしお、アラブ人は、ナダダ人の力の急速な成長ず経枈発展の広範な垰結を考慮するのをおこたり、ナダダ人は、むラクからフランス領モロッコにいたるアラブ䞖界で怍民地諞民族がめざめ、新しい民族䞻矩的連垯が醞成され぀぀あるのを無芖した。いだいおいたのが垌望であれ憎悪であれ、どちらの民族もあたりにもむギリス人だけに泚意を向けおいたため、事実䞊おたがいを無芖したのだ。すなわち、ナダダ人は、近東政策における恒久的な珟実ずはアラブ人であっおむギリス人ではないこずを忘れおいたし、アラブ人は、パレスティナに恒久的にずどたろうずしおいるのはナダダ人入怍者であっおむギリス軍郚隊ではないこずを忘れおいた。

    ハンナ・アヌレント「近東における和平か䌑戊か」『ナダダ論集』p261

     芁するに、ナダダ人ずアラブ人は敵ずみなすべき盞手を、そしお最終的には協力ぞずいたるべき盞手を間違えおいたずいうわけだ。お互いの民族をむギリスによっお操られおいる者ずみなし、亀枉の䜙地などないず軜芖したがために、ろくに理解する契機をもたないたた戊争ぞず突き進んでしたったのがパレスチナの実情である、ずアヌレントは分析しおいる。
     そのうえで圌女は、この戊争を単なる「䌑戊」で終わらせおはならないず蚎える。仮に䌑戊によっお戊闘が止たったずしおも、お互いの陣営が和解しなければ次なる戊闘ぞず備え続けなければいけない。むスラ゚ルの堎合は、「軍備や動員にあたりに出費がかさむず、幌いナダダ経枈の息の根をずめ」るこずになるだろう、ず「和平か䌑戊か」では譊告されおいる。同時にアヌレントはアラブ偎にも「和平」を求めるのだが、そこでの口調はどこずなく軜蔑を感じさせる。

     和平も戊争もない状態をもちこたえるのは、他でもなく経枈生掻の沈滞ず瀟䌚生掻の埌進性ゆえに、アラブ人のほうがたやすいだろう。けれど、長い目で芋れば、貧困にうちひしがれ、未開発で組織化されおいない近東は、ナダダ人ずおなじようにぜひずも平和を必芁ずしおいる。力の真空が぀づくのをふせぎ、独立を確保するための力を早く埗るには、近東はナダダ人の協力を必芁ずしおいるのだ。

    同p263

     もちろん、むスラ゚ルず同時にアラブ人が批刀されおいる文脈においおは、こうした「和平も戊争もない状態をもちこたえるのは、他でもなく経枈生掻の沈滞ず瀟䌚生掻の埌進性ゆえに、アラブ人のほうがたやすいだろう」ずいった嘲笑的な文蚀は、それなりに公平な立堎から繰りだされおいる皮肉ずしお受け止められるかもしれない。
     しかしながら、「和平か䌑戊か」を読み進めおいくうちに、小さかった違和感は埐々にふくらんでいく。
     ぀づいおアヌレントは「今日むスラ゚ル政府は、既成事実をのべたお、力こそ正矩、軍事的必芁性、埁服が法をもたらすず述べおいる」ず批刀しおいる。「パレスティナのナダダ人は䞀枚のカヌドに賭けた」、぀たりアラブ人ずの戊争に䜕が䜕でも勝っお土地を確保するずいう賭けに乗り出し、「そしお勝った」わけではあるが、しかし、だからずいっおハッピヌ゚ンドにいたるわけではない。アラブ人からなる囜家はいただにむスラ゚ルを囲んでいるのだから、䞀床戊争を起こし圌らに敵意を向けおしたえば、次なる戊争が起きる可胜性は高い  しかし、シオニストはそうした「珟圚の珟実」から䞍思議ず目を背けおいる。

    ナダダ民族の倚数掟は、ここ数幎の出来事は、䞀九四䞃幎の囜連の決定、䞀九䞀䞃幎のバルフォア宣蚀、さらにはパレスティナにおける開拓の五〇幎ずくらべお、玀元䞃〇幎の神殿の砎壊ず離散の二千幎間の救䞖䞻埅望のほうにより密接な関係があるず感じおいる。ナダダ人の勝利は、近東の珟圚の珟実に照らしお刀断されるのではなく、きわめお遠くはなれた過去に照らしお刀断されおいるのだ。珟圚の戊争は、「われわれが䜕䞖玀にもわたっおもたなかった、恐らくマカバむオスの時代以来の満足」ベン・グリオンをすべおのナダダ人にもたらしおいるのである。

    同p266

     ベングリオンを始めずしたシオニストは「きわめお遠くはなれた過去」に目を向け、自分たちの理念のよっお立぀ずころを確認しおいるばかりで、これからも敵ずなるであろうアラブ人たちから目を背けおいるのだ。
     このようにむスラ゚ル批刀にあたっおは鋭利な刀断力を発揮しおいるアヌレントではあるのだが、䞀方でアラブ批刀の段になるず、それが奇劙にも圱をひそめおしたっおいるず蚀わざるをえない。

     この結果を最終的なものず芋なそうずいうナダダ人の決意に、それをただの幕間劇ずみなそうずいうアラブ人の決意が察抗する。ここでもわれわれが盎面しおいるのは、出来事からは匕きだすこずのできない決意であり、出来事によっおちっずも倉わらない決意である。勝利がナダダ人の態床を固めさせ、おなじように敗北がアラブ人の態床を固めさせおいるようだ。この点でのアラブ人の政策はひじょうに単玔で、敗北を割匕しお考え、その地の所有暩ずいう倉わりばえのしない䞻匵ず、むスラ゚ル囜承認拒吊を盞も倉わらず頑固にくりかえす倖亀政策が䞭心である。

    同p267

     先ほど、筆者はアヌレントが「今日むスラ゚ル政府は、既成事実をのべたお、力こそ正矩、軍事的必芁性、埁服が法をもたらすず述べおいる」ず批刀しおいたのを確認した。蚀わばここで圌女は、軍事力によっお匷匕にむスラ゚ルアラブの関係性をナダダ優䜍なものずし、以降「この結果を最終的なものず芋なそう」ずする「決意」を難じおいるのである。
     ならば、「それをただの幕間劇ずみなそうずいうアラブ人の決意が察抗する」のは、圌女にずっお望たしい話ではないのだろうか 「力こそ正矩」ずいう論理を吊定し、仮に戊争で負けたずしおも「結果を最終的なものず芋な」さずに䞍正矩を問うおいく姿勢は、倚分アヌレントも支持するはずだろう  だずするず、なぜここでアラブ人は批刀の察象になっおいるのだろうか
     たさかアヌレントは、アラブは戊争で負けたのだからその「出来事」を吞みこんだうえでパレスチナの所有暩を攟棄し、敗者は敗者らしく振舞え、ずでも蚀っおいるのだろうか 軍事力に劣る民族は土地を奪われおも仕方ないのだから、それたでの匷硬な態床を改めるべきだ、ずでも䞻匵しおいるのだろうか そんなはずはないだろう  ではもう䞀床繰り返すが、だずするず、なぜここでアラブ人は批刀の察象になっおいるのだろうか
     ひょっずしお、圌女はアラブ人にも悪いずころはあるので、シオニストだけを䞀方的に批刀するわけにはできないずいった論旚ありきで議論を組み立おようずしおいるのではないか――そんな懞念は、次の文章にたどり぀くず確信に倉わる。

    ナダダ人が確信し、䜕床も衚明しおきたこずには、䞖界――あるいは歎史あるいは高次の道埳性――はナダダ人にたいしお二千幎にわたる悪事を正す矩務がある、もっず明確にいうなら、ナダダ人の芋解では、単なるナチ・ドむツの犯眪ではなく党文明䞖界の犯眪であったペヌロッパ・ナダダ人の砎局の補償をしなければならない。他方、アラブ偎は悪事にたいしお悪事で仕返ししおも事態は正されないし、たた「いかなる道埳の芏則も䞀方の人びずの迫害を救う目的で他方の人びずの迫害を正圓化するこずはできない」ず応じおいる。この皮の議論の難点は、答えを出せないこずである。䞡者いずれの䞻匵も、自分自身の民族ず歎史の閉じた枠組みのなかでしか意味を持たないがゆえに民族䞻矩的であり、状況の具䜓的な芁因を床倖芖しお考えおいるがゆえに埋法䞻矩的である。

    同p268

     アヌレントずもあろう人がなぜここで「どっちもどっち論」を振りかざすのか理解できないが、普通に考えおこの「議論」には「難点」などないし、「答え」も出せる。アラブ偎の䞻匵のほうが正しい。なぜならアラブ人は「ペヌロッパ・ナダダ人の砎局」にほずんど責任を負うおいないからだ。
     もちろん、シオニストがパレスチナに移䜏しおきおからは、少なからぬナダダ人がアラブ人ずの間の抗争で呜を萜ずしおいるのも事実である。ハヌッゞ・ムハンマド・アミヌン・アルフサむニヌのように、アドルフ・ヒトラヌず公然ず䌚芋しおナチスず結蚗したパレスチナの指導者もいる。
     だが、それはあくたでもアヌレントも蛇蝎のごずく忌み嫌っおいる修正䞻矩者を始めずした、先䜏民を远い出そうずしおでもナダダ人囜家を暹立するず息巻いた連䞭がアラブ偎の憎悪を煜った結果起こった事象でもある。パレスチナでナダダ人が受けた被害を、「ペヌロッパ・ナダダ人」の、ドむツ人やポヌランド人などに敵意を向けおいなかったにもかかわらず殺されおいったような被害ず同列に扱うこずはできない。基本的には「ペヌロッパ・ナダダ人の砎局」は、ペヌロッパ人こそが責任を負うべきであっお、アラブ人が負うべくもない。
     だから圌らが、「䞀方の迫害を救う目的で他方の人びずの迫害を正圓化するこずはできない」ず述べるのは正圓である。たぶん、アラブ人でなくおもきっずそう蚀うだろう。その蚌拠に、今日むスラ゚ルを批刀し、パレスチナに連垯しようずする䞖界の人々は䞀様にこの䞻匵を掲げおいる。アヌレントず同じナダダ人であるゞュディス・バトラヌもたたこう述べおいる。

    最終的にナチスのゞェノサむドず、それが匕きずる匷制移送のトラりマじみたものをじゅうぶんに理解したうえで、生き残りのナダダ人はみな難民であり、難民の暩利は、法的・政治的手段をずおしお尊重されねばならないずいう芳点が育たれた。しかし、ここでもたた、だかずいっお、なんらかの難民グルヌプの暩利が、新たな難民竃を生み出すような手段を通しお法的に凊理されねばならないずいうこずにはならないのだ。

    ゞュディス・バトラヌ『分かれ道』青土瀟p53

     こうした䞖界的にも認められおいる䞻匵を「民族䞻矩的」だずか「埋法䞻矩的」だずいうのは、きっずアヌレントもそこに含たれるのだろうが、狂信的なシオニストくらいだろう。

    3-2むスラ゚ル建囜の正統性はどこにあるのか

     それにしおも、アヌレントはなぜシオニストを批刀し぀぀も、それでもなおむスラ゚ルが暹立される正統性はあるず考えるのだろうか 圌女は片面でシオニストが「力こそ正矩、軍事的必芁性、埁服が法をもたらすず述べおいる」こずを批刀しおいる。だが、もう片面でアラブの「その地の所有暩ずいう倉わりばえのしない䞻匵ず、むスラ゚ル囜承認拒吊を盞も倉わらず頑固にくりかえす倖亀政策」をも批刀しおいる。ずいうこずはアヌレントは、シオニストの匷匕な手法自䜓は正圓ではないず感じ぀぀も、それでも「むスラ゚ル囜承認拒吊」は䞍圓だず芋なしおいるわけだ。では、圌女はむスラ゚ルが暹立される正統性をどこに求めおいるのだろうか
     それは、同じく「和平か䌑戊か」を読み進めおいくず明らかになる。

     この地の空気は、残念ながら、他の小囜の兞型的な猛々しい排倖䞻矩や熱に浮かされたような偏狭さによく䌌たものだったが、それに反しお、パレスティナでナダダ人がなしずげたものの珟実は倚くの点で比類ないものだった。パレスティナで起きたこずは、簡単に刀断し評䟡できるものではなかった。それは、過去に起こったどんなこずずも異垞なたでに異なっおいたのである。

    同p274-275

     こう述べたうえで、アヌレントは「パレスティナでナダダ人がなしずげたもの」を列挙しおいく。

    それは、土地の買収ず囜有化、集団入怍の確立、蟲民や劎働者の協同組合向けの長期貞し付け、瀟䌚・健康サヌビス、自由で平等な教育〔  〕こうした努力によっお、䞉〇幎間でこの土地はたるでべ぀の倧陞に移されたかのようにたったく倉わったのであり、これには埁服もなければ珟地人を絶滅しようずいう䌁おもなかった。

    同p275

     「埁服」的で、「珟地人を絶滅しようずいう䌁お」をもった戊闘的なシオニストず、入怍の過皋で独自の事業を打ち立おた開明的なナダダ人は別である、ず圌女は考えおいる。
     そしお、こうした「過去に起こったどんなこずずも異垞なたでに異なっおいた」ナダダ人の達成が、ほかならぬシオニストによっお無芖されおしたったこずこそむスラ゚ル建囜の眪である、ずアヌレントは蚎える。

     こうした垝囜䞻矩的ではない囜が遅れないで実珟されおさえいたなら、むスラ゚ル囜の信甚を倧いに高め、たた今日その立堎を有利にすらしおいたであろう。しかし、いたでもそうなっおはいない。自らのナショナリズム的な攻撃を擁護するために、むスラ゚ルの指導者たちは、いただに「いかなる民族も、なにものも、ずりわけ自由を、莈りものずしお埗るこずはなく、戊い採らなければならない」ずいう叀くさい自明の理を䞻匵しおいる。ここからあきらかになるのは、圌らは、パレスティナでのナダダ人の冒険党䜓が、䞖界のなかで倉化が起きおおり、砂挠を繁栄した土地に倉えるこずによっお地が埁服されうるきわめおすぐれた蚌拠であるのを理解しおいないずいうこずである。

    同p278

     どうやらアヌレントは、むスラ゚ルが建囜されるべき理由は、決しおシオニストがアラブに察しお歊力で勝利したからではなく、「砂挠を繁栄した土地に倉えるこず」ができたからこそだ、ず考えおいるらしい。぀たり、「土地の買収ず囜有化、集団入怍の確立、蟲民や劎働者の協同組合向けの長期貞し付け、瀟䌚・健康サヌビス、自由で平等な教育」などの、他の囜々ではなかなか芋られなかった実隓を通しお経枈を栌段に発展させ、これたで近代的な文明が築かれなかった䞭東の「砂挠」に画期的な成果を残したこずこそが、ナダダ人が「囜民の家郷《ナショナル・ホヌム》」をパレスチナに打ち立おるにあたっお、䜕よりの正統性になるず考えおいるようなのである。
     それはこの埌、ろくろく出兞を付すこずもないたた、゚ドワヌド・サむヌドに倣っお蚀えば「オリ゚ンタリズム」のこの䞊ない発露にたみれた調子でアラブ人が䟝然ずしお文化的に遅れおいる民族である、ずいった趣旚の文章を曞いおいるこずからも明らかだろう。

     「なにもないこずの犏音」・・ロレンスずいうむギリス人によっお吹き蟌たれた貧困のロマン䞻矩的理想化は、アラブ人の新しい民族意識ず叀い矜持にたこずによく調和した――圌らの矜持は揎助より賄賂をうけずるほうをよしずするのである。䞻暩を求める新しいナショナリズム的䞻匵は、攟っおおいおほしいずいう叀くからの願望にささえられおいお、ごく䞀握りの支配者䞀族による搟取を匷化し、この地域の発展を阻害するのに圹立぀だけだった。西掋文明にたいする盲目的なむデオロギヌ的な敵意のために――この敵意はなんずも皮肉なこずに倧郚分は西掋人によっお焚き぀けられたのだが――、圌らには、この地域がいずれにせよ近代化されるであろうこずも、その利害は無瞁で圌らを必然的に埓属民族ずみなすであろう遠くの倧囜よりも、䞭東党䜓の利害をおのずから共有するナダダ人ず手を組むほうがはるかに賢明であろうこずも、芋通せなかった。

    同p278-279

     芁するにアヌレントは、ナダダ人はパレスチナの地で「過去に起こったどんなこずずも異垞なたでに異なっおいた」事業を成し遂げたからこそ囜家を蚭立する暩利がある䞀方で、アラブ人はそれを成し遂げられなかったからこそ「その地の所有暩」を頑なに䞻匵するのは䞍圓である、ず蚀っおいるのである。

    3-3『革呜に぀いお』から芋た「近東における和平か䌑戊か」

     シオニストが「力こそ正矩」ず䞻匵しながらパレスチナの地の所有暩を䞻匵したよりも、いっそう憮然ずさせられる意芋を芋せられたような思いがするが、公平を期すために蚀っおおくず、これは䜕もこのナダダ人思想家が同族をひいきするために出来あいの論理をこねくり回しおいる、ずいうわけではない。アヌレントはあくたでも倧真面目にこの論理を信じおいる裏を返せば、だからこそタチが悪いずも蚀えるのだが。
     それは、「和平か䌑戊か」が蚘されおから15幎埌に出版された『革呜に぀いお』を読めば明らかだ。18䞖玀に倧西掋の東西で起きた二぀の革呜をくわしく分析したこの著曞は、アヌレントの政治芳を克明に䌝えおくれる。

     『革呜に぀いお』がフランス革呜をくさす䞀方で、アメリカ革呜を高く評䟡したのは良く知られおいるが、アヌレントがこの二぀の出来事を評䟡するにあたっお甚いた基準は、それが「解攟liberation」にずどたるか、それずも「自由freedom」を創出し埗おいるかだった。
     アヌレントがなぜフランス革呜を酷評するのかずいえば、それがあくたでも「必然性necessity」から「解攟」されるこずを目指しただけであっお、そこから政治的な「自由」を目指せなかったからだった。邊蚳者である志氎速雄は、アヌレントが蚀うずころの「必然性」を以䞋のように解説しおいる。

     〔  〕アレントは、革呜の展開などの歎史過皋においお「必然性necessity」ずしお珟れるものの根底には、生き物ずしおの人間の存圚に結び぀いた「必然性」、぀たり生呜の必芁があるず述べおいる同様の思想は『人間の条件』のなかでも、特にその第節、第節などで、述べられおいる。そしお、貧困を、人間がこの生呜の必芁ずいう「必然性」に盎接支配されるこずずしお捉えおいる。したがっお、人間の政治的瀟䌚的行動を芏定するもっずも兞型的なものは、この生呜の必芁の盎接的・圧倒的な拘束力ずしおの「貧窮」だずいうこずになるわけである。

    ハンナ・アヌレント『革呜に぀いお』ちくた孊芞文庫p92

     人間には腹を満たすための食事だったり、䜓を回埩させるための睡眠だったり、子孫を残すための性亀だったりずいった「必然性」が぀きたずうわけだが、アヌレントからすればそのような「生き物ずしおの人間」――露骚に蚀えば動物同然の人間――に捉われたたたでいる者は、人間ずしおは䞉流にすぎないきっず、「貧困にうちひしがれ」おいるアラブ人もこの䞭に含たれるだろう。
     アヌレントから芋ればフランス革呜はそうした「必然性」に捉われおいる貧窮した民衆に支持されながら展開しおいったのだが、同時に革呜を頓挫させる原因ずなったのもこの「必然性」だった。 

    テロを解き攟ち、革呜を滅亡にたで远いこんだのはこの必然性〔貧窮〕であり、人びずの緊迫した欠乏であった。最埌にいたっおロベスピ゚ヌルはその最埌の挔説のなかで予蚀のかたちで定匏化したように、䜕が起ったのかはっきりず気づいた。圌はこう述べたのである。「人類史のなかでわれわれが自由を創蚭する瞬間を逞しおしたった以䞊、我々は滅びるだろう。」「歎史的瞬間」を逞するほど圌らを長いあいだ悩たせおきたのは囜王や棒軍の陰謀ではなく、それよりもはるかに匷力な必然性〔貧窮〕ず貧困の陰謀であった。この間に革呜はその方向を倉え、もはや自由が革呜の目的ではなくなっおいた。すなわち、革呜はその目的を人民の幞犏におくようになっおいたのである。

    同p91-92

     これに察しおアメリカ革呜は――ネむティブ・アメリカンから広倧な土地を奪い、アフリカから連れおきた黒人を奎隷ずするこずによっお――「必然性」からあらかじめ逃れられおいたおかげで、「解攟」を目暙ずするこずなく政治的な「自由」を远い求めるこずが可胜になった。
     もっずも、単に政治的「自由」を実珟した皋床では革呜を正統なものずするには䞍十分である。あらゆる囜家に蚀えるこずではあるが、囜民や隣囜に政治䜓ずしお承認しおもらうためには、なんらかの「暩嚁」がなくおはならない。
     たずえばフランス革呜ならば人暩宣蚀ずいう法の制定をもっお、あらゆる人間は平等であり、民衆が王暩を打倒しお暩力を握るこずは正圓である、ず暩嚁づけたわけであるが、アヌレントは䞀方で、アメリカ革呜の堎合は「独立宣蚀や合衆囜憲法にはこれず同じような定匏が芋圓たらない」ず述べる。
     ではアメリカは䜕をもっお革呜を暩嚁づけおいるのであろうか 圌女はそれを、「革呜過皋そのもの」あるいは「創蚭行為」であるず掚定しおいる。

     アメリカの創蚭者たちが自ら曞きしるすこずのできた倧成功、぀たり、アメリカ革呜以倖のすべおの革呜がそれ以埌䜕䞖玀にもわたる攻撃に生きのびるほど十分安定した新しい政治䜓を創蚭するのに倱敗したにもかかわらず、アメリカでは革呜したずいう単玔な事実は、アメリカ憲法が、䜜動しはじめたずは蚀えないにもかかわらず、「厇拝され」はじめたたさにその瞬間に決定されたのであった。そしお、アメリカ革呜がそれ以埌぀づく他のすべおの革呜ずもっずも際立っお異なっおいたのはこの点であった。したがっお、新しい共和囜の安定を保障したのは、䞍滅の立法者にたいする信仰ずか、「来䞖」における報いの玄束や眰の恐れなどではなく、たた独立宣蚀の前文に挙げられおいる真理の疑わしい自明性でさえなく、実際は、創蚭行為そのものが含んでいた暩嚁であったず結論したくなるのである。

    同p318-319

     アメリカずいう囜家がゆるぎなく存圚するのは、「䞍滅の立法者」、぀たり神の暩嚁にもずづいおいるわけでもなく、「独立宣蚀の前文」のような足元のあやうい「真理」にもずづいおいるわけでもなく、「アメリカの創蚭者」がすばらしい「創蚭行為」をなしずげたずいう暩嚁があるからだ、ずアヌレントはみなしおいるのである。
     これはちょうど、先ほど芋たような、ナダダ人はパレスチナの地で「過去に起こったどんなこずずも異垞なたでに異なっおいた」事業を達成したからこそ建囜の暩利を持っおいる、ずの「和平か䌑戊か」の刀定ず䞀臎する。ナダダ人が暩嚁ずしおいるのは、2000幎前にその地に棲み぀いおいたにもかかわらず远攟されたずいう歎史でもなく、アラブ人ずの戊争で勝利したずいう暎力的な成功でもない。そうではなくパレスチナの地でナダダ人はたぐいたれな「創蚭行為」を行ったからこそ、建囜にあたっお必須の暩嚁をもっおいる、ず圌女は䞻匵しおいるのだ。

    3-4アヌレントから芋た先䜏民族

     1948幎から1963幎たでの間にひずりの思想家の䟡倀芳が䞀貫し぀づけおいる事実には瞠目させられるが、同時に、このような独善的な䟡倀芳でもっお珟実政治の調停を行なおうずする態床にはよりいっそう驚かされる。
     アヌレントからすれば、ある土地の領有暩を䞻匵しあっおいる二぀の政治的勢力がいたずしお、そのどちらかに利があるかずいうこずは、いかに優れた「創蚭行為」を行ったかどうかによっお決められるのだ。片方の勢力が、自分たちはその土地に先に䜏んでいた民族である、ず䞻匵しようずも、圌女は耳を貞さない。先ほども芋たように、「和平か䌑戊か」においおはアラブ偎の「その地の所有暩」を䞻匵する姿勢を「頑固」な「倖亀政策」ず述べおいるのだから、アヌレントはそんなものは囜家創蚭の根拠にするには匱すぎる暩嚁だず考えおいる。
     無論、先䜏民族の暩利にかんする決議が囜連総䌚で採択されたのは2007幎の話なので、今日の目から過去のこういった䟡倀芳を裁断しようずするのは慎重でなければならない。しかしながら、アヌレントが生きおいるうちに䌌たような暩利を保蚌する決議が行われたずしお、圌女が反察した可胜性は十分に考えられる。
     それは『革呜に぀いお』のなかで、ネむティノアメリカンアメリカ先䜏民が非垞に軜く扱われおいるこずからも予枬できる。

    〔北アメリカ〕倧陞の「未知の荒野」を通ずる最初の道は、圓時すでに開かれおおり、その埌癟幎以䞊のあいだずっず切り開かれるこずになるが、それはあたかも、「衝動的な暎行」ず「突然の蹂躙」なしには「最初の䞀歩も螏みだすこずができず  最初の朚も倒すこずができない」かのように、「䞀般的にもっずも邪悪な芁玠によっお」おこなわれたものであった。しかしどんな理由にせよ、ずにかく瀟䌚を出お荒野に螏み蟌んだ人びずが、匷制力をも぀法埋の範囲から逃れた人にはすべおが蚱されるかのように振舞ったずしおも、圌ら自身、たたそれを目撃した人びずやそれを賛矎した人びずですら、新しい法埋ず新しい䞖界がこのような行為から生たれるずは少しも考えなかった。アメリカ倧陞の怍民に圹立った行為がどんなに眪深く、どんなに獣的であったずしおも、それは䞀人の人間の行為にずどたっおいた。

    同p137-138

     ペヌロッパから北アメリカに枡航しおきた人々は、ネむティノアメリカンによっお「すでに開かれお」いた道を暎力でもっお開拓しおいき、先䜏民を远い出しお怍民しおいった。この過皋をアヌレントは決しお「新しい法埋ず新しい䞖界」、぀たり政治的共同䜓を生み出す行為ずは芋おいない。北アメリカ倧陞で諞々の怍民者がなした行為は単なる「䞀人の人間の行為」であっお、政治的な暎力ではない、ずいうのだアヌレントからすれば政治は「耇数者multitude」によっお行われる行為である。そしおこのように蚀うこずで、アメリカぞの入怍者たちの政治的責任を䞍問にする。
     そしお、この叙述においおは殺戮、ないし保留地ぞず攟逐されおいったネむティノアメリカンの末路が嘆かれるこずはない。もしも圌らが政治的暩利を持った䞻䜓ずしおアヌレントから認められおいるのならば、きっずこの埌に䜕らかの远悌が行われたはずであろうシオニストの暪暎な方針によっお倱われたパレスチナ・ナダダ人の「自由」に぀いお倚くの蚀葉が尜くされたように。しかしながら、圌女はそもそも圌らが殺されたずか、居留地に移䜏された、ずいう説明すらしおいない。『革呜に぀いお』においお、ネむティノアメリカンはその歎史をたずもに曞くたでもない存圚ずしお扱われおいるのである。
     ここからすれば、アヌレントは先䜏民の暩利を吊定したであろう、ずの掚枬はそう間違っおいないように思われる。圌女はきっずネむティノアメリカンはもちろんのこず、アむヌ、琉球、サヌミ、バスク、アボリゞニ、タむノ、コむコむ  などずいった人々が、ある土地に先に䜏んでいたにもかかわらず移䜏者によっお䟵略されたり、支配されるこずで苊境に遭っおいるず蚎えたずしおも、圌らが䜕らかの「創蚭行為」を成し遂げおいなければ決しお政治的暩利を認めないだろう。そしお、これは今日むスラ゚ルの暎力によっお殲滅される危機に瀕しおいるパレスチナ人に぀いおも圓おはたるはずであろう。

    3-5「zionist problem」か、それずも「Arab problem」か

     癟歩譲っおこのような立堎を認めたずしよう。しかしながら、䟝然ずしおアヌレントの誀謬がなくなるわけではない。先皋「和平か䌑戊か」から匕甚した文章をあらためお芋おみよう。

     この結果を最終的なものず芋なそうずいうナダダ人の決意に、それをただの幕間劇ずみなそうずいうアラブ人の決意が察抗する。ここでもわれわれが盎面しおいるのは、出来事からは匕きだすこずのできない決意であり、出来事によっおちっずも倉わらない決意である。勝利がナダダ人の態床を固めさせ、おなじように敗北がアラブ人の態床を固めさせおいるようだ。この点でのアラブ人の政策はひじょうに単玔で、敗北を割匕しお考え、その地の所有暩ずいう倉わりばえのしない䞻匵ず、むスラ゚ル囜承認拒吊を盞も倉わらず頑固にくりかえす倖亀政策が䞭心である。

    「近東における和平か䌑戊か」p267

     散々芋おきたように、アヌレントはアラブ人が「その地の所有暩ずいう倉わり映えのしない䞻匵」を「頑固にくりかえ」しおいるこずを批刀しおいる。仮にこうしたアラブ人の䞻匵が、パレスチナで「過去に起こったどんなこずずも異垞なたでに異なっおいた」事業を達成したナダダ人に向けられたものであるのならば、それを「頑固」であるずみなすのはそれなりに理解できる。政治的な達成を䜕も成し遂げおいないアラブ人が、優れた発展を遂げたナダダ人をやっかみながら「その地の所有暩」を盟に敵を远い出そうずしおいるずするのならば、たしかに批刀されおしかるべきであろう。
     しかしながら、珟実的にはアラブ人がここで察立しおいるのは、圌らを暎力でもっお远いだし、「その地の所有暩」を無芖したうえで建囜したシオニストだ。圌らは平和裡にむスラ゚ルを建囜しようずしたのではなく、敵意をもっお察峙しおいた人々なのだから、アラブ人が圌らを前にしお「頑固」になるのは普通の話である。したがっお、ここでアヌレントが行っおいるように、ナダダ人も悪いが「その地の所有暩」を頑なに䞻匵するアラブ人も悪い、ずいったDD論的な構図で事態を芋ようずするのはあきらかに間違っおいる。
     単に議論の組み立お方が間違っおいるだけなのであればただ救いようはあるが、実際には「和平か䌑戊か」は救いようのない論考ず蚀わざるをえない。なぜかずいえば、こうした議論によっおシオニストの眪ががやかされおしたっおいるからだ。「和平か䌑戊か」はどう読んだずしおも、むスラ゚ルは確かに批刀されるべきであるが、同様にアラブ人にも眪はある、ずいう以䞊のこずは述べおいないため、シオニストの政治的責任が軜枛されおいるのである。
     それは以䞋のたずえ長くなっおしたっおも匕甚しなければならない文章からも明らかであろう。

     近東の諞民族にずっおこの䞀幎間の出来事の損害を芋積もる最も珟実的なやり方は、死傷者、経枈的損倱、戊争による砎壊、軍事的勝利によるのではなく、政治的な倉化によるものであり、そのうち最も目立っおいるのは、新しい皮類の家なき人びず、すなわちアラブ人難民の創出である。〔  〕ひどいこずに、脱出がどのように発生したにせよアラブ偎が唱える残虐行為のプロパガンダか、じっさいの残虐行為か、あるいは䞡者の混合か、圌らのパレスティナからの避難は、戊争䞭のシオニストによる倧芏暡な䜏民移動蚈画によっお準備され、぀づいお難民が故郷にふたたび立ち入るこずをむスラ゚ルが拒吊し、シオニズムに反察するアラブ人の叀くからの䞻匵を぀いに実珟しおしたったのである。すなわち、ナダダ人はひたすらアラブ人を家から远いだすこずを目指しおいたずいうのだ。搟取にもずづいおいなかったずいうナダダ人の郷土の誇りであったものは、最終テストにいたっお灜いのもずず化した。すなわち、アラブ人の避難は、もし〔ナダダ人ず〕共通の経枈のなかで生掻しおいればあり埗なかったであろうし、ナダダ人によっお歓迎されるこずもなかっただろう。

    同p287

     パレスチナからのアラブ人の避難に぀いおは、か぀おシオニストによっお、アラブ偎の「プロパガンダ」によっお起きたものだ、ずのプロパガンダが行われおいた。実際は倧した残虐行為が起きおなかったにもかかわらず、アラブの指導者が民衆に嘘をたきちらしたがために、パニックが起きおしたった結果難民が発生しおしたったのだ、ず䞻匵されおいたのだ。
     こうした議論は今ずなっおは『パレスチナの民族浄化』を蚘したむラン・パペによっお吊定されおいる。1948幎のパレスチナ各地では、シオニストが以前から緎り䞊げおいた「ダレット蚈画」ずいうマスタヌプランにもずづいお実際に残虐行為が起きおいたし、難民はシオニストによっお殺されるずの珟実的な恐怖にもずづいお避難したのだ。

     もちろん、アヌレントは「和平か䌑戊か」を執筆の時点でこうした事実を知りえなかったパペが䟝拠したIDFの公文曞は90幎代埌半に公開されたものだった。それゆえ、圌女が事態の深刻さを「脱出がどのように発生したにせよ」ずいうあいたいな蚀葉で濁し、アラブ人難民発生の責任䞻䜓を特定しなかった、ず批刀するのは無理筋である。
     だが、䞀方でアヌレントがアラブ人の避難を「シオニズムに反察するアラブ人の叀くからの䞻匵を぀いに実珟しおしたった」結果であるず芋なしおいるこずは救いがたい。圌女は、アラブ人が以前から「ナダダ人はひたすらアラブ人を家から远いだすこずを目指しおい」るず蚀い匵っおきた、ず非難しおいる。アヌレントはアラブ人のこずを、実際には共存すべきであったナダダ人を誀っお敵ずみなしたがために、予蚀の自己成就を犯すようにしおパレスチナから避難せざるをえなくなった存圚ずしかみなしおいないのである圌女は「じっさいの残虐行為」が起きた可胜性があるにせよアラブ人は批刀されるべきであるず考えおいるのだから、ここに情状酌量の䜙地はない。
     はなはだしい犠牲者非難ず蚀うほかない。実際に戊争によっお倧量の難民が発生した堎合には、そうした事態を匕き起こした䞻䜓この堎合で蚀えばナダダ人の軍隊であるハガナヌやむルグン、そしおシュテルンが批刀されるべきであっお、逃げるだけの難民は批刀されるべきでないはずである。だが、アヌレントはその過ちを易々ず犯しおしたっおいるのだ。

     ずころで、アヌレントはアラブ人がパレスチナから避難した事態に぀いお、「アラブ難民問題Arab refugee question」ず呌んでいる。最近邊蚳版も出たキャスリン・゜フィア・ベルの『アヌレントず黒人問題』では、アヌレントが「黒人問題Negro question」を「黒人の問題Negro problem」ず捉えおいた、ず明らかにされおいる。

    私は、アヌレントが黒人問題〔Negro question〕を癜人の問題〔white problem〕ではなく黒人の問題〔Negro probelm〕ずしお芋おいるず論じた。そこで蚀いたかったのは、アヌレントが奎隷制や人皮隔離、怍民地䞻矩ずいった問題を構成する際、黒人が問題であるかのようなやり方で構成しおおり、癜人による黒人ぞのレむシズムを問題ずしお䜍眮づけはしなかったずいうこずである〔  〕。

    キャスリン・・ガむンズ『アヌレントず黒人問題』人文曞院p247

     簡単に蚀いかえれば、アヌレントは黒人が受けおいる冷遇を、黒人自身の責任であっお癜人の責任ではないず芋なしおいた、ずいうこずだ。
     ここたで芋おきたアヌレントのアラブ人ぞの態床を螏たえるのであれば、ベルに倣っお、こういう蚀い方もできるであろう。アヌレントは、アラブ人問題Arab questionをシオニストの問題zionsist problemではなくアラブ人の問題Arab problemずしお芋おいる、ず。

    補節2.『革呜に぀いお』から芋た「シオニズム再考」

     アヌレントが『革呜に぀いお』を出版する以前は、知識人の間でアメリカ革呜はフランス革呜にくらべお「局地的な重芁性をも぀にすぎない出来事にずどたっ」おいたたぶん、これは圌女の野心的な著曞が出版されおから60幎経っおも䟝然ずしお倉わらない芋方だろう。これに぀いおアヌレントは以䞋のように衚珟しおいる。

    なるほど、北アメリカの怍民地化ず合衆囜の共和政はペヌロッパ的人間のおそらく最倧の、たちがいなくもっずも倧胆な䌁おであろう。しかし、合衆囜は、その歎史䞊䞀〇〇幎近く、ペヌロッパの母囜からの名誉ある、あるいはさほど名誉でもない孀立の内に、たったく独立しおいた。

    『革呜に぀いお』p77匷調筆者

     たしかに、アメリカ建囜の父たちゞョン・アダムス、ベンゞャミン・フランクリン、ゞョヌゞ・ワシントン  はいずれもむギリスからの移民を先祖ずしお持぀人々だったから、圌らがペヌロッパを母囜ずしおいるず芋なすのは䞀芋するず自然である。
     しかしながら、「シオニズム再考」を読んだ埌にこの䞀節に目をずめおみるず、既芖感を芚えざるをえない。
     アヌレントは、アメリカがモンロヌ䞻矩に則っおペヌロッパから「名誉ある、あるいはさほど名誉でもない孀立の内にたったく独立しおいた」ずいう。アメリカは本来の出自を忘れおあたかも自分がペヌロッパずは無関係に独立したず思い蟌んでいるが、実のずころその独立は「ペヌロッパ的人間」によっお成し遂げられたのだから、あらためお自囜の起源を思いだすべきだ、ず圌女は譊告しおいるのである同時に圌女はペヌロッパ人に向けお、アメリカの革呜を文字どおりの意味でも、比喩的な意味でも察岞の出来事ず思うなかれ、圌らがなしずげたこずはペヌロッパの偉倧なる達成の䞀぀ずしお数えるべきこずなのだから、ず䞻匵しおいるずもいえるだろう。
     これは「シオニズム再考」においおアヌレントが、ペヌロッパから孀立しおいくシオニストたちに向かっお、ナダダ民族が西掋文化の発展の分け前を䞎えられる暩利を持っおいるこずを忘れるな、ず譊告したこずず䌌おいる。念のため、もう䞀床同じ箇所を匕いおおこう。

    シオニストは、ペヌロッパ諞民族にずっお䞍可欠な――匱小な民族のみならず匷倧な民族にずっおも䞍可欠な――連垯を断ち切っただけではなく、信じがたいこずに、ナダダ人がもちうる唯䞀の歎史的・文化的な安䜏の地さえも圌らから奪おうずした。ずいうのも、パレスティナず地䞭海圏は぀ねにペヌロッパ倧陞に属しおきたからである。政治的にはいかなるずきもずたではいえないが、地理的、歎史的、文化的には぀ねにそうであった。こうしお、シオニストは我々が䞀般に西掋文化ず呌んでいるものの根源ず発展におけるナダダ民族の正圓な持ち分を圌らからうばおうずしたのだ。

    「シオニズム再考」p179-180

     「シオニズム再考」が曞かれたのが1944幎で、『革呜に぀いお』が出版されたのが1963幎だから、圌女のペヌロッパぞの異垞なたでのこだわりは20幎近くにわたっお䞀貫しおいたわけだ。
     ここでも我々は瞠目しなければならないのだが、䞀方でやはり、アヌレントがなぜここたでペヌロッパにこだわらなければいけなかったのか、ずの問いは、たずえ執拗になろうずも繰りかえさなくおはならないだろう。
     さしあたり考えられるのは、圌女が「創蚭行為」は「ペヌロッパ的人間」しかできないず芋なしおいた、ずいう可胜性である。よくよく考えおみるず、アヌレントが「創蚭行為」だったり「はじたり」だったりずいった蚀葉を䜿う時に䟋瀺されるのは、いずれもペヌロッパでの出来事なのだ。
     圌女が『人間の条件』においお西掋文化の起源たる叀代ギリシャを高く評䟡しおいるのは良く知られおいるが、それは同時にギリシャが埌䞖の人々が暩嚁ずしお絶えずうらやむような「創蚭行為」をなしえたからであろう。たた、『革呜に぀いお』においおは、ロヌマの建囜創蚭もそれなりに高く評䟡されおいるが、いわずもがなこれはペヌロッパにおいおは欠かせない歎史である。それから、『党䜓䞻矩の起原』においおその歎史が叙述された囜民囜家もたた、「解攟されたペヌロッパ蟲民階玚」があっおこそのものだった。䞀時期圌女が熱狂しおいたハンガリヌ革呜に぀いおも、「ペヌロッパ家族の䞀員」によるものにほかならない。そしお、アメリカ革呜も倧西掋の向こう岞で起きた出来事ではあるが、先ほど芋おきたずおり「ペヌロッパ的人間」が成し遂げた偉業である。
     もちろん、アヌレントがペヌロッパ以倖の出来事におんで通じおいなかった、あるいは興味がなかった、ずいう可胜性もなくはない。いずれにせよ、このように振りかえっおみるず圌女のペヌロッパびいきは読者をしお面食らわしめるほどだ。しかし同時に、アヌレントがなぜナダダ人およびパレスチナをペヌロッパに匕き留めたがっおいたか、ずいう問いの答えも、ここから導き出せるのではないだろうか。
     ぀たり、こういうこずだ。アヌレントは、ナダダ人がペヌロッパ人でなければ「民族の郷土」を打ち立おるこずなどできない、ず考えおいたのではないだろうか。裏を返せば、圌女はナダダ人がアゞア人になっおしたっおはたずもな「創蚭行為」ができなくなるず考えおいたのではないだろうか。

    4.「沈黙」以埌のアヌレント

    4-1アヌレントの50幎代以降のむスラ゚ル、そしおアラブ人ぞの蚀及

     よく知られおいるずおり、「和平か䌑戊か」の発衚以降、アヌレントはむスラ゚ルに぀いおアむヒマン裁刀を傍聎するたでほずんど蚀及しなくなる。それは圌女がむスラ゚ル建囜以降、『党䜓䞻矩の起原』や『人間の条件』ずいったたずたった著䜜を執筆する方に粟を出すようになっおいったこずずも無関係ではないだろう。それず同時に、もろもろの論考にアラブ人の姿が珟れるこずもなくなっおいく。
     もっずも、プラむベヌトな堎面ではアヌレントはむスラ゚ル、そしおアラブ人に散発的に蚀及しおいる。圌女が最も信頌を寄せた垫であるカヌル・ダスパヌスずの間で亀わされおいた曞簡などはその最たる䟋だ。䞀䟋ずしお、劻がナダダ人であるダスパヌスは1956幎のス゚ズ危機第二次䞭東戊争に際しおアヌレントに手玙を送り、むスラ゚ルぞの党面的支持を衚明しおいるが、12月26日に曞かれた返信は思いのほか芳しくないものだった。

     私にはいたもっおス゚ズでの冒険は、軍事的にすら䞇党に遂行されなかったせいでよけい悪化しおしたった砎滅的政策のように思えたす。むスラ゚ルがそこから埗られたのは、いちばん安䞊がりに歊噚を調達できたこずだけで、情勢はちっずも倉わらなかったのです。

    L.ケヌラヌ、H.ザヌナヌ線『アヌレントダスパヌス埀埩曞簡1926-1969 2』みすず曞房p90

     ここからは䟝然ずしおアヌレントがむスラ゚ルに察しお批刀的であるこずがうかがえるが、䞀方でアラブ人に察する蚀及はない。
     ぀づく手玙でダスパヌスは、囜連がむスラ゚ルを「䟵略者」ずみなしたこずで「恥をさらした」ず批刀的に述べるが、アヌレントはこれに぀いおも翌57幎4月にそっけなく返しおいる。

    けれどあなたは、「むスラ゚ルの壊滅は人類の終わりを意味するだろう」ずいう気分でいらっしゃる。これはたずえ気分ずしおも、正圓な根拠を欠いおいるように思えたす。私はしばしば、ナダダ人の終わりを意味するだろうずいう気分にはなりたすが、それすら圓を埗おいるかどうか。ペヌロッパにずっおナダダ人がも぀意味、その政治的珟実的意味に぀いおも、私たちの意芋はぎったりずは䞀臎しおおりたせん。ここ二〇幎でその意味は決定的に倉わっおしたったのです。今日ではナダダ人はもはや、ペヌロッパ諞囜民の重芁で欠くべからざる構成郚分ではありたせん。いずれたたそうなるでしょうか 私にはわからないし、そう信じおはおりたせん。

    同p98

     どうやら、アヌレントはこの時点でナダダ人をペヌロッパに匕き留める努力を「シオニズム再考」ではあれだけこだわっおいたのに攟棄しおしたったようだ。そしお、アラブ人に぀いおは䟝然語られない。むスラ゚ルに぀いお積極的に語る気にもならない以䞊、アラブ人に぀いおはなおのこず蚀及する気にすらならない、ずいったずころなのだろうか。
     だが、翌58幎11月の手玙では、アヌレントは突然このス゚ズ危機に぀いお語っおいる。

    〔  〕ス゚ズ戊争の前日に陞軍の䞀連垯が倧量虐殺を行った村の名前は、クファヌル・カシム。事件はこうです。むスラ゚ル内のアラブ人村すべおに戒厳什がしかれお、䜏民はすべお、倕方五時以降は家にずどたるよう呜じられ、違反者は男女子どもを問わず射殺されるこずになった、ず。ずころがこの垃告は、クファヌル・カシムでは四時半になるたで知らされず、䜏民は野良に出おいお、家に垰るのが間に合わなかった。そのため村はほずんど根こそぎ殲滅されおしたったのです――女、子ども、その他すべお。兵士たちは射殺呜什を受けたずき、垃告を知らされるのが間に合わなかった者をどうするのかず質問したのですが、ナダダ人将校の答えは、アッラヌの埡慈悲にすがるがいいさ

    同p150-151

     アヌレントはクファル・カシムで起きた虐殺に蚀及するこずで、明確にむスラ゚ルぞの倱望を衚明しおいる。圌女がこの事件に぀いおい぀知ったのかは定かではないが、これこそがス゚ズ危機に぀いお真正面から蚀及するこずをためらっおいた理由ではないか、ず掚枬するこずは可胜だろう。
     たた、同じ手玙の末尟にはこんな文章もしたためられおいる。

    ――最埌にもう䞀぀。ナダダ人郚隊がみせしめのために根絶した最初のアラブ人村は、デむル・ダシムずいう名です。パレスティナからのアラブ人倧量脱出は、この最初の虐殺事件ず倧いに関係がありたす。

    同p151

     このように曞くこずで、アヌレントはむスラ゚ルの無条件の支持を衚明する垫に、遠回しながら釘を刺しおいる。たた、「和平か䌑戊か」ではあいたいな蚀及にずどたっおいたアラブ人の避難の原因に぀いおも、この手玙ではデむル・ダシヌンで起きた虐殺こそがそれだ、ずしっかりず蚀及されおいるダスパヌスはその埌「むスラ゚ルにかんしお私が盲目であ」ったこずを認め、アヌレントが送ったバルフォア・ブリックナヌのアラブ人難民に぀いおの本も読んでいる。
     できれば、それを公の堎でも衚明しおおいおほしかったものだが――どうあれ、アヌレントはシオニストの眪をはっきりず盎芖するようになったず蚀えるだろう。

    4-2「どんな呜什にでも埓う連䞭」

     もっずも、だからずいっおアヌレントがアラブ人に察する偏芋から抜け出せたわけではないようだ。
     呚知のずおり1960幎にアドルフ・アむヒマンが逮捕され、゚ルサレムにおいお裁刀が行われた際に、アヌレントはむスラ゚ルぞず向かっお傍聎レポヌトを蚘しおいる。その間もダスパヌスずの曞簡のやりずりは続けられおいたのだが、61幎4月13日の手玙では以䞋のようなむスラ゚ル囜内の様子が䌝えられおいる。

     裁刀にかんする囜内の関心は、䜜為的にひどく煜られおいたす。裁刀所のたえには、事があればどこぞでも矀がっおきそうなオリ゚ント的モッブがたむろしおいたす。

    同p239

     アヌレントが『党䜓䞻矩の起原』においおモッブを蔑芖しながら叙述しおいたのは良く知られおいるが、匕甚では同時に「オリ゚ント」をモッブ同様に軜蔑しおいるこずがうかがえる。
     結局、アヌレントほど泚意深い人でさえオリ゚ンタリズムからは逃れられないのか、ず萜胆させられるが、おたけに圌女は以䞋のようにむスラ゚ル囜民の序列づけさえ行っおいる。

     私の第䞀印象、いちばん䞊䜍に来るのは裁刀官で最良のドむツ系ナダダ人たち、぀ぎは怜事で、ガリツィア人ではあっおもずもかくもペヌロッパ人。すべおをずりしきっおいるのは譊察ですが、圌らには私にはどうも気味がわるく、ヘブラむ語しか話したせんし、アラブ的颚貌で、なかには芋るからに残忍そうなタむプの人がいたす。どんな呜什にでも埓う連䞭です。そしお扉の倖にはオリ゚ントのモッブ。ここはむスタンブヌルか、なかばアゞアのどこかの囜かず思わせるほどです。それにむェルサレムで倧倉目立぀のが、バむ゚スずカフタンのナダダ人、この連䞭は分別ある人たちすべおの暮しをぶちこわしおいたす。

    同p240

     筆者からすれば、かような剥きだしのペヌロッパ䞭心䞻矩を私信ずはいえさらけ出せる人がいるこずこそ「気味がわるく」感じられる。本皿の2節で、アヌレントがナダダ人をアゞア民族だずみなす人がいるのを「ばかげ」おいるず述べたこずを確認したが、結局のずころ圌女はアゞアを蔑芖しおいたからこそ、そのような態床をずっおしたったのだろう。
     オリ゚ント人である筆者はこのような文章を前にするず冷静ではいられなくなっおしたうのでそれに圌女は筆者のようなオリ゚ント人の難癖なんか聞きたくないだろうから、ここはひず぀他人の意芋を参考にするこずにしよう。アヌレントず同じナダダ人であるバトラヌは、このような差別意識にたみれた文章を以䞋のように指匟しおいる。

     明らかにここでいう「分別のある人びず」は信心深い人やアラブ人でもない。そしお圌女の「オリ゚ントの矀衆」ぞの蚀及があきらかにするのは、アヌレントのむスラ゚ルに察する異議が、ある郚分では、ペヌロッパ系ナダダ人が䞭東に居をかたえるずアラブ系やセファルディヌムのナダダ人ずたじりあっおしたうこずに察する䞍快さに関係しおいるずいうこずだ。アヌレントのいうナダダ性はペヌロッパ的なものである。アヌレントは〔ゲルショム・ショヌレムずのやり取りで述べたように〕自分が愛するこずができるのはひずりひずりの人間パヌ゜ンであっお、いかなる皮類の「人びずピヌプル」でもないず論じおいるけれども、そうはいいながらも圌女が「人びずピヌプル」ずいう圢の存圚を嫌うこずができるのか知りたいものである――圌女が実際にしたのは、「オリ゚ントの矀衆」やその同類ずいうかたちでの仕分けなのだから。もしも「分別」がペヌロッパナダダ人の専売特蚱であり、アラブ系文化に出自をも぀者たちは「いかなる呜什にも埓っおしたう」のだずすれば、それはすなわちアヌレントがどんな呜什にも埓う人間ずしお糟匟したアむヒマンず、゚ルサレム裁刀でみずからが距離をおいおみおいた非ペヌロッパ系ナダダ人ずの間に、䞊行的類䌌性を自分では知らないうちに蚭けおしたったこずになる。

    『分かれ道』p265

    4-3「戊争花嫁」ずしおのアヌレント

     アむヒマン裁刀のレポヌトが『ニュヌペヌカヌ』に掲茉されおからずいうもの、アヌレントの芋解は特にナダダ人瀟䌚のあいだで物議をかもしたのは良く知られおいる。その間もダスパヌスは頻繁に手玙のやり取りを぀づけ、アメリカで孀立しかけおいたナダダ人思想家をはげたしたそもそも、アむヒマンを圢容する際にアヌレントが甚いた䟋の「凡庞な悪banality of evil」も、ダスパヌスずの曞簡の埀埩のなかで生たれたものだった。
     こうした40幎以䞊にわたる曞簡を通じたやりずりは、1967幎になるず散発的になっおいく。この時期の手玙を芋るず、ダスパヌスはリュヌマチや倚発性関節炎に苊しめられ、颚邪をひいたずも頻繁に報告しおいる。手玙を曞く気力すら倱われおいたのだろう。
     そんな䞭で、アヌレントは1967幎6月10日に以䞋のような手玙を送っおいる。

     䞀週間半たえにシカゎからかなり疲れお家に垰っお来お、それ以来ほずんどラゞオに匵り぀きっぱなしです。むスラ゚ルは鮮やかな手際でしたね、もちろんナセルがたさしく匵り子の虎だったにしおも。ダダンの宣蚀もひじょうに気に入りたした。昚日読んだむェルサレムからの報道では――どこか目に぀きにくいずころに茉っおいたしたが――、圌はペルダンにたいしお連邊化か囜家連合を提案したずのこず。そうなればたくさんの問題が䞀挙に解決するでしょうね。たちがいなくロシアはこんどの事件の背埌にいたすし、さらには、ノェトナム問題も同時に蚎議できるような和平䌚議を開かせようず画策するでしょう。いたしがたのニュヌスによるず、゜連は倖亀関係を絶ち、むスラ゚ルを制裁するず脅かしおいるずのこず。最悪の事態がただもちあがりそうです――もっずもむスラ゚ルにしおみれば、攻撃に出なければはたりこんだだろう事態に比べれば、かなりたしでしょうが。

    L.ケヌラヌ、H.ザヌナヌ線『アヌレントダスパヌス埀埩曞簡1926-1969 3』みすず曞房p241-242

     この幎の6月10日は、6日間戊争第䞉次䞭東戊争が終結した日付である。アヌレントはその出来事を話題にしおいるのだが、ここではむスラ゚ルに぀いお奜意的に蚘されおいる。
     ダングブルヌ゚ルによる䌝蚘に、アヌレントがこの時期にむスラ゚ルを支揎するための寄付を行い、あたかも「戊争花嫁」のように振舞っおいた、ず曞かれおいるのは有名だが、それはこの手玙から芋おもたしかな事実だず裏づけられるだろう。アヌレントはこの戊争に際しおシオニズム批刀をひっこめ、むスラ゚ルの勝利を願ったのだ。
     この䞉か月埌、アヌレントぱルサレムを蚪れたずきの様子をダスパヌスにこう曞き送っおいる。

     むスラ゚ルは、倚くの点で、いえ、ほずんどの点でず蚀っおいいくらい、じ぀に奜たしい感じでした。囜民党䜓があのような勝利に瀺した反応が、䞇歳の絶叫ではなくお、芳光熱だずいうのは――だれもかれも新しい占領地域を䞀床芋に行こうず、すっかり浮かれおいるのです――なかなか愉快です。私はもずアラブ領地域すべおに行っおみたしたが、どこでも、抌し寄せるむスラ゚ル芳光人客に埁服者ぶった態床は芋られたせんでした。アラブ人䜏民は予想以䞊に敵意をもっおいお、むェルサレム旧垂街の垂堎では、か぀おは通りかかる客に぀きたずった物売りたちが、いたではぷいず背を向けたす。

    同p244

     もはやアヌレントからアむヒマン裁刀のずきに芋られたようなむスラ゚ル批刀が聞かれるこずはない。それどころか、むスラ゚ル囜民が「芳光熱」に「浮かれお」「占領地域を䞀床芋に行こうず」しおいる様子を、「なかなか愉快です」ずたで蚀っおのけおいる。
     単にアラブ諞囜からの自衛戊争ずいうむスラ゚ルの䞻匵を擁護するだけならばただ理解できなくもないが、ここたでの倉節ぶりを目の圓たりにするず、なにか芋おはいけないものを芋おしたったような気分になるずころだ。
     か぀おアヌレントは修正䞻矩者をはじめずした、パレスチナ党域を支配しようずするシオニストを批刀しおいた。しかし、1967幎にいたるずむスラ゚ルによる「もずアラブ領地域」の占領を平然ず肯定するようになっおいる。
     むスラ゚ルぞの態床が180床近く倉わっおいるのもさるこずながら、占領された䜏民であるアラブ人ぞの無神経な態床にも驚かされる。アヌレントはもっずアラブ人の「敵意」が匱いだろうず芋越しおいたずころ、「ぷいず背を向け」るほど匷かったず曞き留めおいるのだ。
     果たしお、これがか぀おシオニストの「力こそ正矩」ずいう䞻匵を匷く批刀した人ず同䞀人物によっお曞かれたものなのだろうか――そんな疑いも兆しおくるずころだが、次の叙述を読むずさらに虚を突かれる。

    むスラ゚ル軍がよく戊ったこずは疑えたせんが、同時に、敵方が途方もなく劣った軍隊だったこずも確かです。そこが決定的・革呜的に倉わらないかぎり、なにも心配する必芁はありたせん。しかしもちろん倉わるこずはありうるし、それも急速に倉わるかもしれたせん――アラビア語を話すオリ゚ント系ナダダ人を芋るずそう思えたす、たさに同じ境遇の出なのに、戊争ではみごずな戊いぶりを芋せたのですから。

    同

     ここでは、か぀お「モッブ」ず蔑芖されおいた「オリ゚ント系ナダダ人」が奜意的に評䟡されおいる。ずはいえ、こういった誉め蚀葉は玠盎に受けずれないだろう。
     アヌレントは「敵方」、぀たり゚ゞプトやペルダンなどのアラブ人ず「オリ゚ント系ナダダ人」を比范し、前者は「劣った軍隊」である䞀方で、埌者は「みごずな戊いぶりを芋せた」ず称賛しおいる。これは蚀いかえれば、アラブ偎の囜々の軍隊教育には「革呜」が起こっおいない䞀方で、むスラ゚ルの軍隊教育が玠晎らしかったからこそアラブ系ナダダ人が「みごずな」軍人ぞず育った、ずばかりに間接的にむスラ゚ルを称揚する囜家䞻矩的な態床にすぎない。
     「オリ゚ント系ナダダ人」は敵を芋くだすためのダシに䜿われおいるだけなのである。たちがっおもこの叙述だけをもっお、圌女がアラブ人ぞの偏芋から脱した、ずは評䟡しえない。「オリ゚ント系ナダダ人」をむスラ゚ルに益する者ずしおしかみなしえなかった時点で、アヌレントは決定的に圌女がか぀お蔑芖しおいたナショナリズムに恍惚ずするシオニストぞず転向したずいえるだろう。

    終わりに

      昚今、3節の末尟でも匕甚した『アヌレントず黒人問題』が出版されたこずによっお、アヌレント研究者の間で圌女の黒人芳が話題になる機䌚が増えたらしい。それはそれで有益な動向だずは思うが、䞀方で筆者はこのような疑問も抱いおいる――ならば、アヌレントのアラブ人芳は果たしお界隈で話題になっおいるのだろうか
     ゚ドワヌド・サむヌドは1985幎に発衚した「差異のむデオロギヌ」で、以䞋のような疑問を提出しおいる。

     ハンナ・アヌレントのこずを考えおみよう。パレスチナにおける二民族共存のためにナダ・マグネスやマルティン・ブヌバヌが重ねおきた努力に、圌女は長幎のあいだ密接にかかわっおきた。戊前はナダダ人のパレスチナ移䜏のために働いたものの、䞻流掟シオニズムに察しおは぀ねに批刀的だった。〔  〕だが䞀九六䞃幎、圌女はナダダ防衛連盟に寄付金を送り、䞃䞉幎にもそうした。この情報――アヌレントの䌝蚘のなかで゚リザベス・ダングブルヌルが䞀連の矛盟に䜕ら気づくこずなく䌝えおいる情報――は泚目すべきものだ。シオニズムがパレスチナ人に行ったこずに察しお〔アヌレントは〕他の点ではきわめお同情的か぀反省的な人物だったのだから。マグネスの支持者たちやメむル・カハネは、この䞍䞀臎ずどう折り合いを぀けたのだろうか

    ゚ドワヌド・W・サむヌド「差異のむデオロギヌ」『収奪のポリティックス』NTT出版p158

     サむヌドが提起した問題は、こうも蚀いかえられるだろう。「あれだけシオニズムに批刀的だったハンナ・アヌレントが、1967幎を境になぜ積極的にむスラ゚ルを支揎するようになったのか」ず。
     アヌレントのもう䞀人の垫にしお愛人であるマルティン・ハむデガヌに珟圚぀きたずっおいる問題「なぜナチに加担し、ナダダ人を蔑芖したのか」にかこ぀ければ、「アヌレント問題」ずでも名づけられるだろうこの課題は、アヌレント研究では散発的ながらそれなりに取りあげられおきた。たずえば、日本では早尟貎玀が『ナダダずむスラ゚ルのあいだで』にお「理論レベルの限界」ゆえにむスラ゚ルを批刀できなかったずアヌレントを論難しおいるし玠盎に告癜すれば本皿は圌の議論に倧きく圱響を受けおいる、最近では二井圬緒がアヌレントのシオニズムずのかかわりを綿密に远いかけおいる。
     だが䞀方で、「アヌレントは、パレスチナ人をはじめずしたアラブ人をどのように芋おいたのか」ずの疑問は、筆者の芳枬範囲が狭いのを承知で蚀えばあたり取り䞊げられおこなかったのではないだろうか アヌレントが顰蹙ものの差別意識でもっお黒人を論じおいたのはベルの論争的な著曞が出版される以前から知られおいたが、䞀方でアラブ人をどう芋おいたか、ずいう問題に぀いおは護教的なアヌレント孊者はもちろんのこず、それ以倖の人々にずっおも死角になっおいるように思われおならないアヌレント自䜓が真剣に研究する察象ずしお芋られおいない可胜性もなくはないが。
     こういった等閑芖がたかり通っおいるのはなぜなのか――最初に考えられる答えは、シオニズムを批刀しおいるこずで有名なアヌレントが、パレスチナ人を蔑芖しおいたはずがない、ずの先入芋が人々のあいだに怍え぀けられおいるのではないか、ずいうものだ。片方を批刀しおいるのならば、もう䞀方は批刀しないはずだ、ずいうわけである。
     しかしながら、これはよくよく考えおみるずすぐに解けるはずの臆芋にほかならない。シオニズムに批刀的であるこずず、パレスチナ人に差別意識を向けるこずはそれぞれ排他的な態床ではなく、むしろ䞡立しうるからだ。アヌレントがナダダ人が砎滅に向かうこずを食い止め぀぀も、䞀方でアラブ人を遅れた民族ずみなしおいたこずは、3節で芋おきた「和平か䌑戊か」でも克明に衚れおいた。
     もちろん、人間はアヌレントに倣っお蚀えば「思考欠劂」に芋舞われやすい生き物なのだから、䞀床怍え぀けられた偏芋を芆すのはなかなか難しい。アヌレントがシオニズムを批刀しおいたずいう挠然な知識にもずづいお、ならば圌女はきっずパレスチナ人に同情的だったろう、ず自動的に掚枬するのは仕方のない話なのかもしれない。
     しかしながら、昚今アヌレントを揎甚しながらむスラ゚ルのガザ䟵攻やレバノン䟵攻を批刀する声がちらほらず聞こえおくるこずに぀いおは、筆者は危惧の念を犁じえない。たしかに、有名な思想家の暩嚁によりかかるこずで少しでも批刀に正圓性をもたせようずいう気持ちはわからなくはない筆者もそうした戊術はしばしば甚いおいる。ただ、その思想家が実はパレスチナに批刀的で、むスラ゚ルに奜意的だったずしたらどうだろうか
     たしかに、「シオニズム再考」あたりたでのアヌレントならば、今日のむスラ゚ルを批刀しおいた可胜性は十分にある。しかし、「和平か䌑戊か」あたりのアヌレントならどうだろうか。たしおや、1967幎以降のアヌレントだったら  本皿で芋おきたアヌレントの態床の倉遷を螏たえるのであれば、かならずしも圌女は今日むスラ゚ル批刀をしただろうずは蚀いきれないのではないか。アヌレントはアむヒマンに぀いお、クリシェの繰りかえしに安䜏する人物ずしお描写しおいたが、ならば我々も今日たかりずおっおいるクリシェの繰りかえし「アヌレントなら珟圚のむスラ゚ルを批刀しただろう」「アヌレントならパレスチナを支持したはずだ」etc.を芋盎すべきなのではないか。
     そしお、問題はただ単にアヌレントがむスラ゚ルを支持したずか、アラブ人を蔑芖しおいた、ずいったレベルにずどたらない。圌女の思想そのものが倚くの問題をはらんでいる以䞊、それもたた党面的に芋盎すべきなのではないか。
     あけすけに蚀っおしたえば、こういうこずだ――パレスチナやナダダ人を匷匕にペヌロッパに属するものずみなすほどに西掋䞭心䞻矩者で、独善的な䟡倀芳でもっお先䜏民の暩利を易々ず無いものず芋なすような人間の思想を借りるこずによっお、今日ペヌロッパ仕蟌みのセトラヌ・コロニアニズムでもっおパレスチナ人を迫害し、アメリカも含むペヌロッパから揎助された歊噚でもっお人々を殺戮ずしおいるむスラ゚ルを本圓に批刀できるのか
     
    むラン出身のアメリカ人比范文孊者ハミッド・ダバシは、「ガザのおかげで、ペヌロッパ哲孊の倫理的砎綻がさらけ出された」ずの挑発的なタむトルをも぀論考をミドル・むヌスト・アむに寄せ、今般のガザ䟵攻をたずもに批刀できないペヌロッパの知的暩嚁たち、特にドむツの埡甚孊者ナルゲン・ハヌバヌマスを糟匟しおいる。

     ハヌバヌマスは、パレスチナ人の虐殺を支持するこずが、圌の祖先がナミビアで行ったヘレロ族やナマクア族の倧量虐殺ず完党に䞀臎しおいるこずを知らないようだ。ダチョりのこずわざ〔おろかなダチョりは頭を砂のなかに隠しただけで、呚囲から隠れたず思い蟌んでいる頭隠しお尻隠さず〕のように、ドむツの哲孊者たちはペヌロッパの劄想の䞭に頭を突っこめば、䞖界は自分たちの本音を芋砎れないず決め぀けおいる。

     私が芋るに、結局のずころハヌバヌマスは驚くべき、ないし矛盟した蚀動をずっおいるわけではない。ハヌバヌマスは、圌の哲孊的血統が持぀䞍治の郚族䞻矩ず完党に䞀臎しおいる圌はそれがあたかも普遍的姿勢だず勘違いしおいたようだが。

    https://www.middleeasteye.net/opinion/war-gaza-european-philosophy-ethically-bankrupt-exposed

     さすがにアヌレントはハヌバヌマスほど恥知らずではないが、「ペヌロッパの劄想のなかに頭を突っこ」んでいる点では五十歩癟歩だろうし、「䞍治の郚族䞻矩」に捉われおいる点でも倉わらない。このような人間の唱える思想が、果たしお信頌に足りるものなのだろうか そう問うべきずきが蚪れおいる。

    脚泚

    泚1囜民にしか人暩を䞎えず、非囜民には人暩を䞎えない、ずいう姿勢が最も衚珟されおいるのは、我々もよく知る日本囜憲法第14条第䞀項である。

    すべお囜民は、法の䞋に平等であ぀お、人皮、信条、性別、瀟䌚的身分又は門地により、政治的、経枈的又は瀟䌚的関係においお、差別されない。

     ここでいう「囜民」ずは、憲法第10条日本囜民たる芁件は、法埋でこれを定める」、そしお囜籍法が定めるように日本囜籍を持぀ものに限られる。実は、この条項はGHQ草案の第13条では以䞋のようになっおいた。

    すべお自然人は法の䞋に平等であっお、人皮、信条、性別、瀟䌚的身分又は門地により、政治的、経枈的又は瀟䌚的関係においお差別されない。
    All natural persons are equal before the law. No discrimination shall be authorized or tolerated in political, economic or social relations on account of race, creed, sex, social status, caste or national origin.

     GHQ草案が「自然人」ず曞くこずで日本囜民ならずあらゆる人民を「法の䞋の平等」に眮くのを狙ったのに察し、日本囜憲法ではこれを「囜民」ず曞き換えたこずによっお倖囜人は人暩を授かる察象ではなくなっおしたったちなみに、GHQ草案第16条には、「倖囜人は平等に法の保護を受ける暩利を有するAliens shall be entitled to the equal protection of law.」ずいう文蚀もあったが、叀関地䞀の『日本囜憲法の誕生』によるず、圓時の法制局第䞀郚長䜐藀達倫がGHQを盞手に手緎手管を駆䜿した結果これもい぀のたにか削陀されたずいう。
     このような曞き換えは、圓時日本にいた圚日朝鮮人の扱いずの兌ね合いで起こった可胜性が高い。1947幎に日本は倖囜人登録什を公垃し、「台湟人のうち内務倧臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅什の適甚に぀いおは、圓分の間、これを倖囜人ずみなす」ずした。この結果圚日朝鮮人は、「朝鮮」籍をも぀こずになる。䞀芋するず朝鮮の囜籍のようにみえるが、実はこれは単に朝鮮出身ずいう意味合いしか有しおいない。盎截に蚀えば圚日朝鮮人は事実䞊の無囜籍に凊せられたのだ。
     その埌、1952幎にサンフランシスコ平和条玄が発効されるにずもなっお倖囜人登録什は廃止されたが、ここで「朝鮮人及び台湟人は、内地に圚䜏しおいる者を含めおすべお日本の囜籍を喪倱する」ずの通達によっお、正匏に圚日朝鮮人は囜籍を喪倱した。その結果、圚日朝鮮人は囜籍を持たない倖囜人ずしお日本で生掻しおいくこずずなる。
     たしかに、珟圚はたずえ憲法に「囜民」ずしか曞いおおらずずも、人暩は倖囜人にも適甚されるずの解釈が䞀般的である。1964幎には「本条憲法第14条の趣旚は、特段の事情の認められない限り、倖囜人に察しおも類掚適甚される」ずの刀䟋もある。
     もっずも、今日もなお日本においおくすぶっおいるマむナヌ民族の問題圚日朝鮮人、クルド人、異様なたでに䜎い難民の認定率、入管問題  を螏たえれば、その皋床の姑息な手段が根本的な解決にならないこずは蚀うたでもないだろうそもそも、日本囜民自䜓が今日人暩をも぀察象ずしお扱われおいるか、ずいう問題もあるにせよ。

    あなたぞのおすすめ