
左利きの会社
左利きの友人がいる。
私は右利きなので、
本当の不便さは分からない。
それでも、一緒に食事をしたり、
仕事をしたりしていると、
小さな違和感に気づくことがある。
はさみ。
缶切り。
改札。
ドアノブ。
世の中の多くは、
右利きの人に合わせて作られている。
友人は、あまり文句を言わない。
少し身体をひねる。
持ち方を変える。
別のやり方を探す。
そうやって、
自分の手に合う使い方を見つけている。
その姿を見ていると、
長年仕事をしてきたなかで出会った、
いくつかの会社を思い出す。
廊下でしか言えなかったこと
「あの案では、取り返せません」
まだ、オフィスに喫煙室があった頃のことだ。
ある金融機関の、
大規模なシステム刷新プロジェクトに参加していた。
その日の進捗会議が終わった。
会議室を出て廊下を歩いていると、
1人の取締役に声を掛けられた。
「今の計画で、本当に間に合うと思うか」
周囲には誰もいなかった。
私は少し考えた。
そして答えた。
「あの案では、取り返せません」
しばらく沈黙が続いた。
その方は何も言わなかった。
ただ、表情だけが少し変わった。
言われたくない答えだったのだと思う。
それでも、現場を見ている人間としては、
そう答えるしかなかった。
あのときの空気を、今でも覚えている。
会議室では言えなかったことが、
廊下では言えた。
それが、届いた。
会社には、
正しい答えを報告する仕組みだけでなく、
言いにくいことが上まで届く道も必要なのだと思う。
会議では「順調です」と報告される。
けれど、現場には、
このままでは危ないと思っている人がいる。
間に合わないと気づいている人もいる。
その声が、
会議室まで届かないことがある。
問題がないのではない。
問題を口にできる場所がないのだ。
私は、そんな場面を何度も見てきた。
現場まで歩いてくる人
反対に、忘れられない会社もある。
社員数は、決して多くなかった。
その会社の経営者は、
進捗が気になると、
会議室ではなく開発室へ来た。
ドアを開ける。
そして、
「困っていることはあるか」
と聞く。
それだけだった。
でも、その一言で空気が変わった。
報告書には書かれていない話が出てくる。
迷いが出る。
違和感が出る。
「実は、ここが少し気になっています」
そんな話が出てくる。
経営者は、それを否定せずに聞く。
だから、問題が隠れなかった。
その経営者は、
流行だからという理由では動かなかった。
世界標準だからでもない。
他社が成功したからでもない。
「自分たちに必要か」
そこを見ていた。
それを見ていて、
左利きの友人を思い出した。
右利き用の道具が標準だからといって、
それが自分の手に合うとは限らない。
標準を知ることと、
標準に従うことは違う。
必要なら使う。
合わなければ、別の方法を探す。
自分たちの手に合うものを選ぶ。
その会社には、そんな感覚があった。
選ばなかったものにも、会社が表れる
会社は、
選んだものだけで形づくられるわけではない。
選ばなかったものにも、
その会社の輪郭が出る。
この制度は採用しない。
この文化は残す。
このやり方は変えない。
この仕事だけは、効率化しすぎない。
標準は大切だ。
ルールも必要だ。
他社の成功事例から学ぶこともある。
でも、標準を知ったうえで、
「これは、うちには合わない」
と言えることも、会社には必要なのだと思う。
何かを取り入れることだけが、
変わることではない。
取り入れないと決めることにも、
意思がある。
そして、もうひとつ。
会社には、
異なる声が届く道も必要だ。
会議室で言えないことを、
廊下でなら言える。
報告書に書けないことを、
開発室なら話せる。
そんな場所があることも、
その会社らしさをつくっている。
左利きの会社
左利きの人は、
右利きになることを目指しているわけではない。
右利きの世界の中で、
左手を使っている。
少し不便でも。
少し遠回りでも。
自分に合うやり方を選んでいる。
あの友人が、
はさみを持ち替える姿を思い出す。
少し身体をひねる。
それでも、ちゃんと切れる。
会社も同じでいい。
世の中の標準を知っていていい。
他社のやり方を学んでもいい。
ただ、それだけが正解だと思わなくていい。
自分たちの手に合うものを選ぶ。
自分たちの声が届く道をつくる。
右利きの世界に、
無理に合わせなくてもいい。
右利きの世界の中にも、
左手でなければ届かないものがある。
だから、左利きの会社がある。
あわせて読みたい
マガジンの玄関はこちらです
よろしければ、ここから全体の流れをご覧ください。
全体の玄関はこちらです
ほかのテーマやシリーズへの入口を、ここにまとめています。