メインコンテンツへスキップ
見出し画像

5回に1回でいい

    自分の意見を話している最中に、相手がニコニコしながら頷いていたことがある。

    まだ、こちらは話している。

    でも、相手はもう理解した顔をしている。

    そのとき、わかった。

    聞かれているのは、私の意見ではなかった。

    会議だった。

    私と話しているのではなく、会議と話している。

    悔しかった。

    うなずくことしかできなかった

    若手のころ、監査やコンサルとの会話に同席することがあった。

    同席というより、途中から少しずつ前に出されるようになった。

    資料を説明する。

    質問に答える。

    宿題を持ち帰る。

    次の会議で返す。

    ただ、最初からうまくいくわけがなかった。

    「はい」

    「確認します」

    「持ち帰ります」

    そのくらいしか言えない。

    違うと思っても、どこが違うのか言葉にできない。

    引っかかるものがあっても、その場で止める勇気がない。

    だから、うなずく。

    会議の中では、それなりに参加しているように見える。

    でも、自分の中には、何も返せていない感覚だけが残る。

    外の人と話すと、社内で通じていた言葉が急に通じなくなる。

    前提が甘ければ戻される。

    言葉が弱ければ突かれる。

    わかっているつもりだったことが、質問された瞬間に崩れる。

    会議が終わってから、

    「結局、何を確認するんだっけ」

    となることもあった。

    会話になった、と思えたのは、たぶん5回に1回くらいだった。

    あとの4回は、うなずいて、持ち帰って、あとから意味を知る時間だった。

    先輩は、すぐには助けなかった

    隣にいた先輩は、会議中にはほとんど助けてくれなかった。

    冷たいな、と思ったこともある。

    ここで助けてくれればいいのに、と思った。

    詰まっている。

    言葉を探している。

    それでも、すぐには入ってこない。

    でも、会議が終わると、いつも一つだけ言われた。

    「今の質問は、答えより前提を確認するところだったね」

    それだけだった。

    全部は直してくれなかった。

    議事録の書き方も、質問の仕方も、相手への返し方も、足りなかったはずだ。

    それでも、その日に言われるのは一つだった。

    その一つが、次の会議まで残った。

    次の会議で、少しだけ変わる。

    相手の質問を聞いても、すぐに答えようとしない。

    まず、前提を確かめる。

    何を聞かれているのか、一度立ち止まって考える。

    それでも、うまくいくとは限らない。

    またずれる。

    また持ち帰る。

    また会議のあとに、意味を知る。

    それでも、何度かに1回だけ、自分の言葉で返せる瞬間があった。

    「こちらの前提はこうです」

    「そこは確認が必要です」

    「その理解だと、少し違います」

    ほんの少しだった。

    でも、その1回があると、次の場にまた立てた。

    うまく話せるようになった、というほどではない。

    ただ、会議の中に、自分の言葉を置ける瞬間ができた。

    5回に1回だったものが、少しずつ、5回に2回になる。

    それだけで、見える景色は変わった。

    場を渡されていた

    当時は、自分だけが試されているのだと思っていた。

    弱いところを見つけられる。

    言葉の甘さを突かれる。

    わかっていないことまで、見透かされる。

    そう思っていた。

    でも、今なら少し違って見える。

    こちらがまだ話しているのに、相手はもう頷いている。

    相手は、こちらの言葉だけを聞いていたわけではなかったのかもしれない。

    どこが前提なのか。

    どこが曖昧なのか。

    この話をどうすれば前に進められるのか。

    そんなことも見ていたのだろう。

    そして、先輩も同じだった。

    私が失敗しないように、すべてを代わりに答えていたのではない。

    危なく見える場所にはいた。

    でも、本当に壊れる場所には置かれていなかった。

    失敗しても戻れる範囲で、私に場を渡していた。

    それに気づいたのは、ずっとあとだった。

    ある会議で、またうまく答えられなかった。

    終わってから、先輩が私の資料を見た。

    そして、いつものように一つだけ言った。

    「ここは、相手が何を前提にしているか見ておくといい」

    そのあと、先輩は30秒くらいで説明した。

    さっきまで私が20分かけて考えていたことが、ほどけていった。

    恥ずかしかった。

    でも、その恥ずかしさは残った。

    残ったから、次の会議で準備の仕方が少し変わった。

    相手の質問を予想する。

    答えだけではなく、前提を確かめる。

    少しずつだった。

    本当に少しずつだった。

    今思えば、あれはただの同席ではなかった。

    教えられたというより、場を渡されていた。

    失敗しても壊れない場所に、何度も立たせてもらっていた。

    次は、自分の番

    最初は、5回に1回でよかった。

    あとの4回は、うなずいていた。

    持ち帰っていた。

    悔しがっていた。

    あとから意味を知っていた。

    それでも、場に立たせてもらった。

    気づくのは、いつも少し遅い。

    でも、気づいたなら、次は自分の番なのだと思う。

    最初からうまく話せない人に、いきなり完璧を求めない。

    すぐに助けることだけが、教えることでもない。

    失敗しても戻ってこられる場所をつくる。

    そこで、自分の言葉が出てくるまで待つ。

    5回に1回でいい。

    まずは、その1回を待つ。

    そして、その1回が出てきたら、また次の場を渡す。

    自分がそうしてもらったように。

    うまくできるかは、まだわからない。

    自分も、あの人たちほど静かには待てないかもしれない。

    それでも、自分が拙かったころに用意してもらった場所を、今度は誰かのために用意する。

    そう思うと、少しだけ背筋が伸びる。



    もうすこし読めそうでしたら

    マガジンの玄関はこちらです
    よろしければ、ここから全体の流れをご覧ください。


    全体の玄関はこちらです
    ほかのテーマやシリーズへの入口を、ここにまとめています。



     
     
    SaMD・医療AI、生成AI、仕事、文化、記憶、日常について書いています。 技術や制度、言葉や美意識のあいだに立ち上がる「人間らしさ」を、静かに言葉にしていくnoteです。 初めての方は「このnoteを歩くための小さな地図」からどうぞ。

    あなたへのおすすめ