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褒めるのが下手だった

    若手を褒めるのが、あまり上手ではなかった。

    いや。

    褒めていなかったわけではない。

    「よかったよ」

    「助かった」

    「前よりだいぶよくなったね」

    言葉としては、ちゃんと言っていた。

    できているところを拾う。

    改善したところを伝える。

    前よりよくなったところを見つける。

    そういうことは、やっていた。

    でも、今になって思う。

    私は、あまり嬉しそうではなかった。

    褒めているのに、顔がまじめだった。

    声も、少し硬かった。

    「評価として伝えています」

    そんな感じが、どこかに残っていた。

    当時は、それでいいと思っていた。

    仕事なのだから、浮かれすぎないほうがいい。

    褒めるにしても、事実を冷静に伝えたほうがいい。

    大げさに言うと、軽く聞こえるかもしれない。

    そんなふうに考えていた。

    でも、それは半分しか合っていなかった。

    その顔を見て、気づいた

    あるとき、若手が少し難しい仕事を終えた。

    いつも慎重に話す人だった。

    自信満々に進めるタイプではない。

    けれど、毎回ちゃんと準備してくる。

    その仕事も、完璧ではなかった。

    細かく見れば、直したいところはいくつもあった。

    報告の順番も少し散らかっていた。

    判断の理由づけも、まだ弱かった。

    でも、前より明らかによくなっていた。

    以前なら途中で止まっていたところを、自分で考えて進めていた。

    分からないなりに、仮説を持ってきていた。

    最後まで、自分の言葉で説明しようとしていた。

    やるべきことも、きちんとやってあった。

    それは、ちゃんと良かった。

    私は、そう思っていた。

    ただ、1つ気になることもあった。

    何をやるべきかが、最初から決まっていたわけではなかった。

    経験から、必要そうなことを拾って進めていた。

    結果として、大きく外してはいない。

    でも本当は、仕事にかかる前に、やるべきことを自分で定義してほしかった。

    だから、本当ならこう言えばよかった。

    「ここまでできているのは良かった。次は、最初にやることを自分で定義してから進めてみよう」

    それでよかった。

    でも、そのときの私は、そう言わなかった。

    良かったことを良かったこととして置く前に、改善点へ進もうとした。

    そして、こんな聞き方をした。

    「もし計画に基づいて仕事をしたのだとしたら、これはどれくらいの出来だと思いますか」

    その瞬間だった。

    若手の顔が、能面になった。

    さっきまで少しだけ緩んでいた表情が、すっと消えた。

    怒ったわけではない。

    反論したわけでもない。

    ただ、こちらに届くものを、全部閉じたような顔だった。

    しまった。

    そう思った。

    私は、考えてほしくて聞いた。

    自分で振り返るきっかけになればいいと思っていた。

    でも、相手には違って聞こえたのだと思う。

    褒められたのではなく、詰められた。

    認められたのではなく、採点された。

    少なくとも、そう感じさせてしまった。

    そこで、ようやく気づいた。

    私は、褒める前に評価していた。

    嬉しかったことを、嬉しいまま伝える

    私は、その人の成長を見て、本当は嬉しかった。

    以前なら止まっていたところを、自分で考えて進めていた。

    分からないなりに、仮説を持ってきていた。

    最後まで、自分の言葉で説明しようとしていた。

    それは、ちゃんと成長だった。

    なのに私は、その嬉しさを伝える前に、次の課題へ進んでしまった。

    届く前に、私が次の話へ行ってしまった。

    たぶん私は、褒めることを「正しく評価すること」だと思いすぎていた。

    もちろん、何でも褒めればいいわけではない。

    本人がやっていないことまで褒めるのは、むしろ失礼だと思う。

    「すごい」と言っておけばいいわけでもない。

    でも、正しさだけでは届かないことがある。

    「ここがよかった」

    と具体的に伝える。

    そのうえで、

    「助かった」

    「頼もしかった」

    「前よりよくなっていて、嬉しかった」

    と、自分の反応も少し伝える。

    それは、評価というより、反応なのだと思う。

    だから、褒める前に改善しない。

    少なくとも、相手が受け取る前に、次の課題へ進まない。

    まず、良かったことを、良かったこととして置く。

    こちらが嬉しかったなら、嬉しかったと伝える。

    それから、次の話をする。

    大げさに褒める必要はない。

    テンションを上げる必要もない。

    無理に明るい人になる必要もない。

    ただ、嬉しいなら、嬉しそうに言う。

    それだけでいいのだと思う。

    褒め言葉は、内容だけでは届かない。

    「見ていたよ」という事実と、

    「嬉しかったよ」という温度。

    その2つがそろって、やっと相手の中に残る。

    それは技術というより、たぶん礼儀に近い。

    その人が積み重ねたものに対して、

    「ちゃんと見ていたよ」

    と伝えるための、小さな礼儀。

    あのときの能面になった顔を、私は今でも覚えている。

    だから今は、良かったと思ったときは、先にそれを言う。

    ちゃんと、嬉しそうに。


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