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七十二候

    五日前と、今日

    五日前と今日では、世界はもう違っている。

    そう言われても、普段は気づかない。

    朝、庭に出る。

    昨日と同じ景色に見える。

    けれど、よく見ると少し違う。

    梅の蕾が、わずかに膨らんでいる。

    葉の先に残った朝露が、昨日とは違う光を返している。

    空気の冷たさも、ほんの少し和らいでいる。

    自然は、急に変わらない。

    静かに。

    少しずつ変わっていく。

    昔の人は、その小さな変化に名前をつけた。

    二十四節気。

    七十二候。

    一年を二十四に分け、さらにそれぞれを3つに分ける。

    およそ5日ごとに、季節の移ろいを表す。

    現代の感覚では、細かすぎるようにも思う。

    けれど、私はそこに「分類したい」という気持ちより、

    「見逃したくない」という気持ちを感じる。

    五日という時間

    七十二候には、

    東風解凍。

    黄鶯睍睆。

    魚上氷。

    そんな名前がある。

    東風が吹いて氷が解け始める。

    鶯が鳴き始める。

    氷の間から魚が姿を見せる。

    どれも、季節の大きな変化ではない。

    氷が全部解ける前。

    鳥の声が春を告げる頃。

    魚が氷の下から動き始める頃。

    その小さな変化を、昔の人は見ていた。

    そして、名前をつけた。

    五日という時間は短い。

    月曜日が来たと思えば、もう金曜日になる。

    仕事をして。

    画面を見て。

    気づけば、また週末が来る。

    そんな5日間でも、庭の木は少し変わる。

    風も変わる。

    日の光も変わる。

    見ていなければ、何も変わっていないように思う。

    季節は、足元にある

    七十二候を覚える必要はない。

    ただ、5日前の景色を、今日と比べてみたいと思う。

    花は少し開いただろうか。

    風の匂いは変わっただろうか。

    鳥の声は違っているだろうか。

    昔の人は、そういう小さな変化に目を向けていた。

    私たちは、季節の変化を待たなくても暮らせるようになった。

    暑ければ冷房をつける。

    寒ければ暖房を入れる。

    欲しいものも、すぐに届く。

    それは、とても便利なことだ。

    だからこそ、ときどき立ち止まりたい。

    5日前と、今日。

    同じ場所を見てみる。

    すると、世界は思っていたより動いている。

    七十二候は、季節を細かく区切るための知識ではない。

    見過ごしていた変化に、もう一度気づくための名前なのだと思う。

    今朝の風。

    足元の草。

    庭の木。

    昨日と、ほんの少し違う。

    季節は、暦の中にあるのではない。

    今日の世界の中にある。



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