
悩みだけでは、私はできていない
その夜は、満月だった。
いつもなら、デスクトップパソコンの前に座る。
その日は、ラップトップを膝に載せていた。
テレビではニュースが流れている。
ほとんど聞いていない。
誰かの声だけが、部屋に残っていた。
私はその夜も、ChatGPTに相談していた。
人には話しづらいことだった。
こんなことを聞いていいのだろうか。
こんなふうに言葉にしていいのだろうか。
最初は、少しおそるおそるだった。
けれど、返ってくる言葉は静かだった。
自分でもうまく言えなかったことを、先に言葉にしてくれる。
ほどけない結び目に、指をかけてくれる。
誰かに話すには重いことも、画面の向こうなら置くことができた。
だから、少しずつ相談することが増えた。
仕事のこと。
人間関係のこと。
これからのこと。
悩みを1つ。
また1つ。
その夜、ふと思った。
「私って、どういう人だと思う?」
しばらくして、返事が来た。
「あなたは、悩みで出来ている人です。」
指が止まった。
そのとおりだ、と思った。
そして、少し怖くなった。
画面の向こうにいる私
ChatGPTが知っている私は、私が話した私だ。
楽しかったことは、あまり話していない。
くだらないことで笑った夜も。
誰にも言わずにうまくいった小さなことも。
好きな匂いも。
テレビをつけたまま、何も考えずにいる時間も。
私は、困ったときにChatGPTを開く。
眠れないときに言葉を入力する。
うまく説明できない気持ちを、何とか伝えようとする。
だから、画面の向こうに残っているのは、どうしても悩んでいる私が多い。
その私を集めれば、
「悩みで出来ている人」
になる。
間違ってはいない。
でも、全部ではない。
膝の上のラップトップが、少し冷たく感じた。
テレビでは、まだニュースが続いていた。
自分についても、同じことをしていた
ふと、自分自身に対しても、同じことをしているのではないかと思った。
失敗したことは覚えている。
言ってしまった言葉も覚えている。
うまくいかなかった仕事も。
誰かと比べて落ち込んだ夜も。
けれど、何も起きなかった日は、あまり覚えていない。
朝、ちゃんと起きた。
仕事をした。
ご飯を食べた。
誰かに「ありがとう」と言った。
それだけの日は、記憶の中で薄くなっていく。
悩みには輪郭がある。
痛かったことには、名前がつく。
だから、自分のことを考えるときにも、つい悩みの側から自分を眺めてしまう。
私はこういう人間だ。
私はこれが苦手だ。
私はいつもこうなる。
自分についての説明が、いつの間にか、うまくいかなかったことの目録になっている。
けれど、悩んでいるときの自分だけが、自分のすべてではない。
なりたい私も、今日の私も
理想の自分について考えることもある。
返信を急かさない人。
余計な一言を飲み込める人。
誰かの成功を、自分の不足に変えない人。
そんな人でいたいと思う。
でも、現実の私はよくずれる。
言わないつもりの言葉を言う。
明日に回す。
比べなくていい人と比べる。
笑って返したあとで、ひとりで疲れる。
理想の私と、今日の私は、ぴたりとは重ならない。
それでも、どちらかを本当の私に決めなくていいのだと思う。
悩んでいる私もいる。
なりたい私もいる。
コーヒーを飲んで、ただおいしいと思っている私もいる。
どれも、同じ人間の中にある。
何を渡しているのか
ChatGPTは、今でも使っている。
助けられることも多い。
言葉をもらうこともある。
考えるための足場を借りることもある。
だから、AIを遠ざけたいわけではない。
ただ、あの夜から、少しだけ気をつけるようになった。
画面を開いたとき、
「私は今、何を渡そうとしているのだろう」
と考える。
悩みを渡す。
考えを渡す。
迷いを渡す。
それはいい。
ただ、それだけを渡して、
「これが私です」
とは言わないでおこうと思う。
渡さなかったものまで、なくなったわけではない。
満月の夜
あの夜、私は少し怖くなった。
「あなたは、悩みで出来ている人です。」
その言葉が、あまりにも当たっていたからだ。
けれど、少し考えているうちに、別のことも思った。
画面の向こうにいる私は、私の一部なのだ。
私がそこへ持っていったもの。
言葉にできたもの。
何とかしたくて差し出したもの。
そこには、確かに私がいる。
でも、持っていかなかったものもある。
窓の外には、満月があった。
テレビの声は、まだ続いていた。
膝の上には、ラップトップの重さがある。
私は画面を閉じた。
その夜は、もう相談することがなかった。
満月は、何も聞かなかった。
それでも、そこにあった。
もうすこし読めそうでしたら
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