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「普通の人ですね」と言われた日

    判子を押すために

    半年ぶりに、オフィスへ行った。

    用件は、判子だけだった。

    エレベーターを降りると、後輩がちょうど会議室から出てきた。

    実際に会うのは、初めてだった。

    「あ、お疲れさまです」

    彼は少し黙って、こちらの顔を見ていた。

    それから、こう言った。

    「思ったより、普通の人ですね」

    笑って、そのまま別れた。

    判子を押して、帰った。

    でも、あの一言だけが、しばらく胸に残った。

    普通の人。

    画面の中にいた誰か

    彼とは、週に3回、オンラインで話していた。

    顔は何度も見ていた。

    声も、よく聞いていた。

    仕事の話も、ずいぶんしていた。

    それでも、会うのは初めてだった。

    あとで分かったことがある。

    彼は、あることを、ずっと自分に聞けずにいた。

    理由を聞くと、こう答えた。

    「聞いていいのか、分からなかったんです」

    聞いていいと、伝えていた。

    チャットにも書いた。

    会議でも言った。

    彼は、それを覚えていた。

    それでも、聞けなかった。

    5分間

    判子を押した帰り際、彼と少し立ち話をした。

    5分くらいだった。

    何を話したのかは、あまり覚えていない。

    たぶん、どうでもいい話だった。

    そのあとから、彼のチャットに、短い質問が混じるようになった。

    「これ、聞いてもいいですか」

    前から、聞いていいと言っていた。

    何度も言っていた。

    それでも、あの日からだった。

    画面の中では、何度も顔を合わせていた。

    仕事の話もしていた。

    聞いていいとも伝えていた。

    けれど、5分間の立ち話のあと、彼は質問を送ってくるようになった。

    何かが変わったのだと思う。

    何が変わったのかは、よく分からない。

    判子は、すぐに終わった。

    帰りの電車の方が、ずっと長かった。

    窓に映った自分の顔を見ながら、あの一言を思い出していた。

    「思ったより、普通の人ですね」

    窓の外は、もう暗くなっていた。



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