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赤いスカートと三角関数

    サイン。

    コサイン。

    タンジェント。

    その3つの言葉を思い出すと、
    今でも先に浮かぶのは、数式ではない。

    赤いスカートである。

    中学2年生の教室。

    午後の光。

    黒板に残った、
    白いチョークの粉。

    窓際の机。

    少しぬるい風。

    誰かが動かした椅子の音。

    若い数学の先生が、
    その日だけ少し寄り道をするように、
    三角関数の話をしてくれた。

    まだ習う範囲ではなかったのだと思う。

    角度と比。

    直角三角形。

    見えないところで、
    何かがきれいにつながっているらしい。

    けれど、
    そのときの私には、
    ほとんど分からなかった。

    分からない。

    それなのに、
    なぜか忘れたくなかった。

    先生が黒板へ向かう。

    赤いスカートの裾が、
    小さく揺れた。

    私は心の中で決めた。

    この3つの言葉を、
    赤で覚えよう。

    サイン。

    コサイン。

    タンジェント。

    数学と赤いスカートに、
    何の関係もない。

    それでも、
    言葉だけは残った。

    分からないまま

    三角関数を理解したのは、
    ずっと後だった。

    けれど、
    入口だけは消えなかった。

    考えてみると、
    分からなかった授業ほど、
    妙な形で残っている。

    内容ではなく、
    窓の外の雲。

    答えではなく、
    先生のチョークの持ち方。

    式ではなく、
    赤い裾。

    夕方の校庭。

    雨の日の窓ガラス。

    廊下に残るワックスの匂い。

    プリントの端。

    誰かの声。

    意味にならなかったものが、
    そういうもののそばに置かれて、
    消えずに残っている。

    そして何年も経ってから、
    ふいに戻ってくる。

    あれは、ここにつながっていた

    何年もあとになって、
    私は三角関数に戻った。

    単位円。

    座標。

    波。

    グラフ。

    同じ言葉が、
    別の場所でまた現れた。

    サイン。

    コサイン。

    タンジェント。

    今度は、
    少し分かった。

    ああ。

    あれは、ここにつながっていたのか。

    中学2年生の教室で聞いた言葉が、
    何年も経ってから、
    ようやく動き出した。

    けれど、
    最初に浮かんだのは、
    やっぱり数式ではなかった。

    赤だった。

    赤いスカートの裾。

    午後の光。

    黒板の白い粉。

    先生が振り向く前の、
    短い間。

    そこに、
    三角関数は置かれていた。

    公式として使えるようになる前に。

    問題が解けるようになる前に。

    ただ、
    赤いまま、
    私の中に残っていた。

    赤いまま

    分からないものを、
    すぐに捨てなくてもいい。

    意味にならないまま残ったものが、
    何年も経ってから、
    静かにつながることがある。

    あの日の私は、
    三角関数を知らなかった。

    ただ、
    その言葉を聞いた。

    そして、
    赤いスカートを見た。

    それだけだった。

    サイン。

    コサイン。

    タンジェント。

    今ではもう、
    ただの音ではない。

    角度のそばにある。

    比のそばにある。

    波のそばにもある。

    でも、
    その言葉の奥には、
    今でも教室がある。

    午後の光。

    黒板の白い粉。

    先生が黒板へ向かう。

    赤い裾が、
    小さく揺れる。

    サイン。

    コサイン。

    タンジェント。

    その言葉の奥で、

    赤い裾が、

    今も静かに揺れている。



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