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ラムネ瓶の入道雲

    夏の昼下がりは、少し残酷で、少し優しい。

    光は真上から降りてくる。

    庭の石は白く灼け、影は足元に小さく縮んでいる。

    蝉は鳴いている。

    けれど、その声さえ熱に溶けて、遠くで鳴いているように聞こえる。

    風は止まり、雲は動かない。

    時間だけが、畳の上でうたた寝をしている。

    私は、そんな午後が好きだった。

    縁側に寝転がる。

    古い木の板は、灰色がかった茶色に褪せている。

    節目がある。

    小さな傷がある。

    子どもの頃、素足で走った場所。

    祖母が腰を下ろしていた場所。

    夏祭りの夜、濡れた下駄を脱いだ場所。

    本当に木に残っているわけではない。

    それでも、この木は何も語らないぶん、何もかも覚えているように見える。

    私は節目に頬を当てる。

    ひんやりしている。

    外はあれほど暑いのに、木の奥には朝の涼しさが残っている。

    縁の下を風が抜ける。

    土の匂い。

    湿った木の匂い。

    蚊取り線香の煙の名残。

    古い引き出しを開けたときのような匂いがする。

    傍らに、ラムネ瓶がある。

    飲みかけのラムネ。

    瓶の表面についた水滴は、半分ほど乾いている。

    手に取る。

    青みがかったガラスの中で、細かな泡が立ち上っている。

    もう勢いはない。

    ひとつ。

    ふたつ。

    思い出したように上っていく。

    瓶を傾ける。

    首のところで、ビー玉が小さく鳴る。

    その音だけで、夏が近くなる。

    私は瓶を目の前にかざす。

    窓の向こうに、入道雲がある。

    白く大きい。

    ほとんど動かない。

    ラムネ瓶の曲面を通して見ると、雲は少し歪む。

    青い液体の奥に、白い雲が浮かんでいる。

    小さな瓶の中に、夏空がある。

    私は、しばらくそれを見ている。

    言葉はいつも、この光景のあとからやって来る。

    ラムネ瓶の中に、空がある。

    それだけだった。

    懐かしい、と言うには近すぎる。

    悲しいわけでもない。

    帰る、という感じに少し似ている。

    鍵のかかっていない家に入り、誰もいない台所で麦茶を飲む。

    冷蔵庫の音がしている。

    流しの端に、伏せたコップがある。

    誰にも「おかえり」と言われない。

    あの頃がいつだったのか、正確には覚えていない。

    7歳だったのか。

    9歳だったのか。

    もっと幼かったのか。

    記憶は、日付を残してくれない。

    けれど、光の質は残っている。

    白くて、重い夏の光。

    裸足で踏んだ縁側の熱さ。

    遠くの台所で氷が鳴る音。

    ラムネの甘さ。

    風鈴の音が、少し遅れて届く感じ。

    それらが、ばらばらのまま残っている。

    縁側に寝転がると、少しずつほどけていく。

    子どもの頃の私は、きっと何も考えていなかった。

    ラムネ瓶の中の入道雲を見て、何かを探したりしなかった。

    ただ、覗き込んでいた。

    ビー玉が鳴るたびに、少し笑っていた。

    それだけだった。

    今の私は、すぐに言葉を探してしまう。

    考えはじめると、見えていた雲が遠ざかる。

    だから、もう一度、瓶の中を見る。

    木は、冷たい。

    風は、涼しい。

    雲は、白い。

    ラムネは、甘い。

    それだけでよかった。

    夏の午後が、ゆっくり傾いていく。

    光の角度が変わる。

    庭の影が伸びる。

    白く灼けていた世界に、淡い茶色と金色が混じってくる。

    蝉の声にも、夕方の低さが宿る。

    ラムネ瓶の泡は、いつの間にか消えている。

    入道雲も、空の向こうへ流れていった。

    私はまだ、縁側に寝転がっている。

    何かを思い出したような気もする。

    けれど、何を思い出したのかは分からない。

    子どもの頃の私が、どこかにいる。

    縁側に寝転がって、ラムネ瓶の中の雲を眺めている。

    呼んでも、きっと振り返らない。

    それでいい。

    私は目を閉じる。

    午後の色が、胸の奥に沈んでいく。

    ラムネは、もうぬるかった。

    それでも私は、残りを少し飲んだ。

    ビー玉が、瓶の中で小さく鳴った。



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