
同じ患者を、違う場所から見ていた
あの会議室の沈黙
今でも、ときどき思い出す会議がある。
開発チームが言った。
「まずリリースして、ユーザーの反応を見ましょう」
少し間を置いて、臨床側が答えた。
「それは、もう患者さんに触れる出力です」
部屋が静かになった。
私は、その場にいた。
何か言わなければと思った。
でも、言葉が出てこなかった。
開発側の言い分は分かる。
早く世に出したい。実際に使われる環境で確かめたい。使ってもらわなければ見えてこないこともある。
臨床側の言い分も分かる。
その出力を受け取るのは、開発者ではない。患者さんの診療に使われる情報だ。試してみてから考える、では済まないことがある。
どちらも間違っているとは思えなかった。
それなのに、どちらにも簡単には賛成できなかった。
あのとき、私は何を言えばよかったのだろう。
今でも、はっきりとは分からない。
経験を積めば、答えが見えると思っていた
若い頃は、経験を積めば判断に迷わなくなると思っていた。
知識が増える。
事例を知る。
失敗を経験する。
そうすれば、どこに問題があるのか、何を優先すべきなのかが見えてくる。
実際、経験によって判断できることは増えた。
けれど、迷いがなくなったわけではなかった。
むしろ、経験を積むほど、相手の言い分が分かるようになった。
開発が急ぐ理由も分かる。
品質保証が慎重になる理由も分かる。
薬事が立ち止まる理由も分かる。
それぞれの立場に立てば、それぞれの判断には根拠がある。
そして、その根拠を知るほど、簡単にどれか1つを選べなくなる。
患者さんに、一日でも早く届けたい。
患者さんに、安心して使ってもらいたい。
目指している場所は同じだ。
それなのに、仕事の進め方や判断の優先順位は、ときに正反対に見える。
私は、その間に何度も立ってきた。
後からでは、埋められないもの
以前の私は、規制対応は開発が終わってから考えるものだと思っていた。
まず作る。
動かす。
形になったところで、薬事や品質の観点から確認する。
必要な書類を整え、説明できるようにする。
そういう順番で考えていた。
でも、実際には、それでは間に合わないことがある。
開発が終わってから説明しようとすると、説明できないことが残る。
なぜ、その仕様にしたのか。
何を根拠に、その判断をしたのか。
どの段階で、誰が何を確認したのか。
記録を整えれば済む話ではなかった。
そもそも、そのときに考えていなかったことは、後から記録にはできない。
「もっと早く話していれば」
私は、その言葉を何度も口にした。
今振り返れば、開発と薬事が対立していたわけではなかったのだと思う。
開発は、動くものを見ていた。
薬事は、それが何として世に出るのかを見ていた。
品質保証は、その過程がどこまで確かめられているのかを見ていた。
同じものを見ているつもりでも、見ている場所が違っていた。
そして、その違いは、最後になってから埋めようとしても埋まらない。
同じ言葉を使っていても
開発には、開発の言葉がある。
品質保証には、品質保証の言葉がある。
薬事には、薬事の言葉がある。
同じ言葉を使っていても、その意味が一致しているとは限らない。
たとえば、「軽微な変更」。
開発者にとっては、コードの修正範囲が小さいという意味かもしれない。
でも、薬事担当者にとっては、変更の大きさだけでは判断できない。
製品の性能や安全性、承認された内容との関係を見なければならない。
どちらかが言葉を間違えているわけではない。
言葉の背後にある判断の基準が違うのだ。
だから最近は、相手を説得する前に、少し立ち止まるようになった。
「それは、どういう意味で言っていますか」
「何を心配していますか」
「何を守ろうとしていますか」
そんなことを聞いてみる。
すぐに答えが出るわけではない。
それでも、相手が何を見ているのかが、少しずつ分かることがある。
相手の言葉を変えようとする前に、その言葉が生まれた場所を知る。
そこからでなければ、話し合えないことがある。
経験は、答えだけでは残らない
会議が終わる。
資料を閉じる。
部屋を出る。
一人で駅まで歩く。
今日は、誰が正しかったのだろう。
開発だろうか。
臨床側だろうか。
薬事だろうか。
考えても、簡単には答えが出ない。
ただ、ひとつ分かることがある。
正しい人同士でも、仕事は難しくなる。
同じ患者さんを見ていても、そこに至るまでに守らなければならないものが違う。
そして、その違いを引き受ける人間が必要になる。
以前は、経験とは、正しい答えを知っていることだと思っていた。
今は、少し違う。
どこで立ち止まったのか。
何に迷ったのか。
なぜ、すぐには判断できなかったのか。
そうしたことも、経験の一部なのだと思う。
成果物は残る。
設計書も、プログラムも、手順書も残る。
けれど、会議室の沈黙は、たいてい記録されない。
言葉にできなかった時間も。
相手の言い分を理解しながら、判断を保留した時間も。
「もっと早く話していれば」と思いながら駅まで歩いた時間も。
記録には残らない。
でも、そういう時間にこそ、次の仕事につながるものがあるのではないか。
だから私は、答えだけを残したくない。
うまくいった判断だけでなく、判断できなかった時間も残しておきたい。
あの日、言えなかったこと
あの会議で、私は何も言えなかった。
今なら、もう少し違う問いを投げかけられるかもしれない。
リリースを急ぐ理由は何か。
患者さんに届ける出力として、何を確かめる必要があるのか。
その2つを、どうすれば同じテーブルに載せられるのか。
けれど、あの日の自分に、今の答えをそのまま渡すことはできない。
あのときは、あのときの自分に見えていたものしかなかった。
そして、あの沈黙があったから、今も考え続けている。
仕事には、正解を出すことが求められる。
でも、正解を出す前に、立ち止まらなければならない場面もある。
あの会議室で、開発と臨床側は、同じ患者さんを見ていた。
ただ、見ている場所が違っていた。
私は、その間にいた。
あの日、何も言えなかったことを、今も覚えている。
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