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左の袖口

    小さな手が、私の袖をつかんでいた。

    駅前のスーパーの袋が、指に食いこんでいた。
    夕方の風は少しぬるくて、惣菜のパックが袋の中でかたむいていた。

    その子は、私の顔を見上げていた。

    私は、あのとき間違えた。

    迷子だった。

    それはすぐにわかった。
    泣いてはいなかった。

    ただ、声を出す前の顔をしていた。
    目のふちだけが赤くて、口が少し開いていた。

    「お母さんは」

    そう聞くと、その子は首を横に振った。

    知らない、というより、言葉がまだそこまで来ていない感じだった。

    私は店員を呼んだ。
    サービスカウンターまで連れていった。

    名前を聞かれたその子は、私の袖をつかんだままだった。

    私は正しいことをした。

    知らない子どもを勝手に連れ回さなかった。
    大きな声で泣かせなかった。
    店員に引き渡した。
    防犯カメラのある場所にいた。
    余計なことは言わなかった。

    手順としては、何も間違っていない。

    店員がやわらかい声で話しかけた。
    館内放送が流れた。

    少しして、母親らしき人が走ってきた。

    その人は何度も頭を下げた。

    私は「いえ」と言った。

    それで終わるはずだった。

    終わるはずだったのに、その子が私を見ていた。

    母親の腕の中に戻ったあとも、まだこちらを見ていた。

    そして、小さく手を振った。

    「またね」

    声は、店内の音にまぎれた。

    私は、それにうまく返せなかった。

    軽く会釈しただけだったと思う。
    手は上げなかった。

    笑ったかどうかも覚えていない。

    袋を持ち直して、出口へ歩いた。

    自動ドアのところで、もう一度だけ振り返った。

    その子はまだ手を振っていた。

    私は、そのまま外へ出た。

    家に帰って、惣菜のふたを開けた。

    コロッケは少しつぶれていた。
    ソースの袋が見つからなくて、冷蔵庫の中を探した。

    テレビでは誰かが笑っていた。

    その日のことは、それだけだった。

    何も事件ではない。

    誰も傷ついていない。
    誰にも責められていない。

    むしろ、よかった話として片づけてもいい。

    でも、しばらくしてから、変な残り方をした。

    次の日、同じスーパーの前を通った。

    入口の横に、ガチャガチャの機械が並んでいた。
    透明なカプセルが、内側から光を返していた。

    そこを見たとき、袖をつかまれた感覚だけが戻った。

    強くはなかった。

    でも、離れなかった。

    私は、もらったものをすぐには使えない。

    昔からそうだった。

    誰かにもらったお菓子を、棚の上に置いたままにした。
    借りたハンカチを洗って、返す日を何度も延ばした。

    やさしい言葉も、聞こえなかったふりをした。

    開けると、何かが始まる気がした。

    だから、あの子の「またね」も、たぶん置き場所がなかった。

    ありがとう、なら返せたかもしれない。

    会釈くらいならできた。
    店員に引き渡すこともできた。

    必要なことは、だいたいできた。

    でも、「またね」はできなかった。

    また会う約束ではない。

    子どもの口から出た、ただの音だったのかもしれない。
    母親に教えられた言葉かもしれない。

    別れ際には、そう言うものだと思っていただけかもしれない。

    それでも、私には少し重かった。

    その子には、たぶん何もなかった。

    助けてくれた人だから。
    そこにいた人だから。
    袖をつかんでも怒らなかった人だから。

    それくらいの理由で、手を振ったのかもしれない。

    いや、理由なんてなかったのかもしれない。

    小さい子どもは、理由より先に体が動く。

    うれしいと手を振る。
    安心すると笑う。
    離れる人に、また会えるような顔をする。

    その無防備さが、あとから少し怖かった。

    私は、何を返せばよかったのだろう。

    手を振り返せばよかったのか。
    笑えばよかったのか。

    何もしなくてもよかったのか。

    今でも、そこがわからない。

    冷たかったのかもしれない。

    でも、冷たくしようとしたわけではない。
    面倒だったわけでもない。
    子どもが嫌いだったわけでもない。

    ただ、向けられたものの置き場所がなかった。

    それが好意なのか、感謝なのか、安心なのか。

    名前をつけようとすると、すぐに違う気がする。

    愛、と書くと、急に遠くなる。

    でも、ただの感謝にしてしまうには、あの手は近すぎた。

    私は誰かに怒られたわけではない。

    何かを失ったわけでもない。
    そのあと、困ったことも起きていない。

    それなのに、何かが少し壊れた。

    壊れたというより、開いたのかもしれない。

    でも、開いたものを私は見なかった。

    見なかったことにして、袋を持ち直した。

    そのほうが慣れていた。

    あとから考えると、私はあの子に何かを返すのが怖かったのかもしれない。

    手を振り返したら、何かがこちら側に残る気がした。

    私は袋の持ち手を、少し強く握った。

    あれは、たぶん、そんなことだった。

    私は、人から向けられたものを、そのまま受け取る練習をしてこなかった。

    あの子は、私をいい人だと思ったのかもしれない。

    私は、それが嫌だったのかもしれない。

    自分がそんなものではないと、知っていたから。

    でも、子どもはそんなことを知らない。

    知らないまま、袖をつかむ。
    知らないまま、手を振る。

    こちらの暗さも、硬さも、これまでの言い訳も、何も見ない。

    その何も見なさに、私は揺れた。

    見透かされたからではない。

    逆だった。

    何も見透かされなかったから、逃げ道がなくなった。

    あれ以来、同じスーパーに行くたびに、入口のあたりを見る。

    あの子がいるわけではない。
    母親の顔も、もう思い出せない。
    店員の声も薄くなった。

    残っているのは、袖のあたりだけだ。

    洗濯もした。
    服もたぶん、もう捨てた。

    それでも、ときどき左の袖口に、あの小さな重みが戻る。

    私は正しいことをした。

    たぶん。

    でも、正しかっただけでは足りなかったのかもしれない。

    足りなかったのが何かは、まだわからない。

    手を振ればよかった。

    そう言えば簡単だ。

    でも、あのとき手を振り返せなかった私の中には、もっと古い何かがあった気もする。

    名前をつけると、また少し嘘になる。

    駅前のスーパーを通る。

    自動ドアが開く。

    ぬるい風が出てくる。

    私はときどき、自分の袖を見る。


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