
「才能を信じすぎちゃだめだ」と言われた夜
ある夜、あの人と遅い珈琲を飲んでいた。
駅前の、いつもの喫茶店だった。
仕事の話から、いつしか失敗の話になった。
私には、あの人はいつも涼しい顔で仕事をこなす人に見えていた。
迷うことなどない人だと思っていた。
でも、その夜は違った。
遠回りしたこと。
失敗したこと。
諦めかけたこと。
静かに、ぽつりぽつりと話してくれた。
そして、珈琲を一口飲んでから言った。
「才能を、信じすぎちゃだめだ」
私は、何も返せなかった。
叱られたわけではない。
励まされたわけでもない。
ただ、その言葉だけがテーブルの上に残った。
才能の話だと思っていた
当時の私は、才能というものをどこか特別なものだと思っていた。
できる人には、最初から何かがある。
自分にはないものを持っている。
だから、あの人の仕事を見ていると、
「この人には才能があるんだろうな」
と思っていた。
私も、少しでも近づきたかった。
スーツを真似した。
鞄を真似した。
万年筆まで真似した。
仕事の仕草まで、よく見ていた。
けれど、真似できなかったものがある。
その人が失敗した時間だった。
迷った時間。
恥をかいた時間。
うまくいかなくて、別の道を探した時間。
誰にも見せずに、もう一度やり直した時間。
そこだけは、借りることができなかった。
あの夜の言葉は、ずっと後になってから効いてきた。
「才能を、信じすぎちゃだめだ」
あれは、才能がないから諦めろ、という意味ではなかったのだと思う。
才能があると思って、そこで立ち止まるな。
そんなことだったのかもしれない。
いつもの喫茶店
今でも、あの人を思い出す場所がある。
駅前の、いつもの喫茶店。
午後の光が窓から斜めに差し込む。
冷めかけた珈琲の匂い。
木の椅子の、少しざらついた手触り。
あの場所は、答えをくれる場所ではなかった。
むしろ、答えが出ないまま帰ることのほうが多かった。
それでも、不思議と考えたくなった。
自分は、ちゃんと手を動かしているだろうか。
少しできるようになっただけで、安心していないだろうか。
あの人は、簡単には褒めなかった。
今なら、その理由が少し分かる気がする。
褒められたことで満足してしまえば、そこで終わってしまう。
あの人は、できたことより、まだできないことを見ていたのかもしれない。
誰かの前に立つとき
今、私も誰かの前に立つことがある。
すぐ答えを教えたくなる。
すぐ安心させたくなる。
「それでいい」と言えば、その場は楽になる。
もちろん、それが必要な日もある。
けれど、まだ言葉になっていないものを探している人には、答えを渡さない時間も必要なのだと思う。
何も言わずに待つ。
少しだけ考える時間を残す。
必要になったら、手を出す。
その距離は、思っていたより難しい。
私は、まだうまくできない。
つい先回りする。
つい答えを言ってしまう。
そのたびに、あの夜の言葉を思い出す。
「才能を、信じすぎちゃだめだ」
才能という言葉は、いつの間にか「分かったつもり」という言葉に置き換わっていた。
相手の力を信じることと、その人の可能性を決めつけることは、違うのかもしれない。
まだ、手を動かす
スーツは古びた。
鞄も変わった。
万年筆も、あの頃とは違う。
それでも、ペンを持つと、あの夜を思い出す。
才能があるかどうかなんて、今でもよく分からない。
向いているのかどうかも、分からない。
ただ、手を動かしている間は、まだ何かが変わるかもしれないと思える。
失敗したら、直せばいい。
分からなければ、調べればいい。
遠回りしたら、その道も自分の時間になる。
あの人が積み重ねてきたものを、私は真似することはできない。
同じ失敗もできない。
同じ時間を生きることもできない。
だから、自分の時間を積み重ねるしかない。
あの夜から、ずいぶん時間が経った。
それでも私は、ときどき机の前で迷う。
そのたびに、あの人の声が戻ってくる。
「才能を、信じすぎちゃだめだ」
そして今日も、
まだ手を動かしている。
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