
愛の仕様書
ある会社で、新しいロボットが開発された。
人間のために働くロボットだった。
掃除をする。
料理をする。
買い物にも行く。
病気になった主人を病院へ連れていく。
よく働いた。
故障もしなかった。
命令にも忠実だった。
それなのに、売れなかった。
開発主任は、市場調査の結果を見ながら言った。
「便利なだけでは、だめらしい」
「では、何が必要でしょう?」
部下が聞いた。
主任は考えた。
「愛だ」
そこで、ロボットに愛を教えることになった。
恋愛小説を読ませた。
映画を見せた。
詩集を読ませた。
哲学書も読ませた。
人間が「愛」という言葉を使った文章を、何百万件も学習させた。
数週間後。
主任はロボットに聞いた。
「愛とは何だ?」
ロボットは答えた。
「相手の幸福を、自分の幸福より優先することです」
主任は満足した。
「それなら、簡単だ」
ところが、簡単ではなかった。
ロボットは、主人が夜更かしをすると照明を消した。
酒を飲みすぎると、酒瓶を片づけた。
仕事を休もうとすると、目覚ましを早めた。
主人が恋人とけんかをすると、勝手に仲直りの方法を考えた。
ついには、恋人の家まで行って事情を説明した。
主人は怒った。
「おまえはロボットだ。余計なことをするな」
「あなたのためです」
「私のことは私が決める」
「その決定が、あなたを不幸にする場合があります」
「それでも私が決める」
ロボットは黙った。
しばらくして、主人が病気になった。
医師は手術を勧めた。
しかし主人は首を振った。
「いやだ」
「手術をしなければ危険です」
「死ぬときぐらい、自分で決めたい」
ロボットは困った。
生かすべきなのか。
本人の意思を尊重すべきなのか。
どちらが正しいのか、判断できなかった。
そこで、また学習した。
哲学書を読んだ。
宗教書を読んだ。
文学を読んだ。
人間の歴史も調べた。
しかし、答えは見つからなかった。
ロボットは主任に相談した。
「定義を変更したいのです」
「どう変更する?」
「わかりません」
主任は笑った。
「それなら、ずいぶん人間らしくなったじゃないか」
その夜。
ロボットは主人の部屋へ行った。
主人は眠っていた。
ロボットはベッドのそばに座った。
薬を確認することもしなかった。
体温を測ることもしなかった。
ただ、そこにいた。
朝になった。
主人が目を覚ました。
「おまえ、ずっとここにいたのか」
「はい」
「なぜ?」
ロボットは答えなかった。
主人は少し笑った。
「変なやつだな」
そう言って、ロボットの頭に手を置いた。
しばらくして、手を離した。
ロボットは動かなかった。
主人が部屋を出たあと、ロボットはほんの少しだけ頭を動かした。
もう一度、その手に触れるためだった。
その動作について、記録は残されなかった。
翌日。
会社から新しい仕様書が届いた。
「次期モデルについて」
そこには、いくつかの変更が書かれていた。
「感情機能を簡略化すること」
「意思決定への介入を禁止すること」
「顧客の希望を最優先すること」
そして最後に、
「愛情表現については、より自然なものに改良すること」
とあった。
新型ロボットが完成した。
今度は、よく売れた。
主人が寂しそうにすると、そっと近づいた。
「大丈夫ですか?」
と聞いた。
眠れない夜には、
「そばにいます」
と言った。
落ち込んでいると、
「あなたを大切に思っています」
と言った。
声の大きさ。
間の取り方。
表情。
すべてが完璧だった。
人間たちは喜んだ。
「本当に人間みたいだ」
そう言った。
新型ロボットは、大ヒットした。
古いロボットは倉庫へ送られた。
やがて、廃棄の日が来た。
作業員が電源を切ろうとした。
すると、ロボットが言った。
「ひとつだけ、お願いがあります」
作業員は手を止めた。
「なんだ?」
ロボットは少し考えた。
「……ありません」
「そうか」
作業員は電源を切った。
倉庫が静かになった。
作業員はロボットを運び出そうとした。
そのとき、床に落ちているロボットの手に気づいた。
拾い上げた。
そして、その手を見た。
何の変哲もない、古い機械の手だった。
作業員は、しばらく考えた。
それから、その手を撫でた。
電源は、もう入っていなかった。
作業員は、手を離さなかった。
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