
味覚のストライクゾーンを自ら狭めていないか
ご飯を食べていて「この味、嫌だな(嫌いだな)」と思ったとき、みなさまはどうされますか?
嫌いなものがひとつわかったことで、今後は食べないようにすると決めることは普通。ただ、目の前の嫌いなそれはどうする?食べられるように工夫してみる?それとも残す?食べられそうな人にあげる?
反応はさまざまだよね。私の場合はまずどうやったら食べられるか?を考えて工夫してみます。だって、嫌いになるって一時の味覚体験で決めてしまうのはもったいないし。
でも、今日の昼ご飯戦でかなり別の角度から考えてしまったことがあって。こんな体験はあまり聞かないので残しておきたい。
今日のメニューは、監修モノの担々麺といつもよりちょっとお高い唐揚げ。また監修モノ?となりますが、まぁそこはそこ、受け流してくださいな。ただこの監修モノ、有名和食レストランというだけに監修のアレンジがどこかおかしい(と感じる)。
担々麺に普通、鰹節って乗っかる?ナッツって入る?
ナッツはまだいいとしても、鰹節が乗る意味がよくわからなくて。頭ぐるぐるになりながら食べていましたが、答えは出ず。おまけに良い鰹節でもなかったので生臭い。意図がわからないんよんね。無理やり和食の麺=鰹節と決めつけた暴力的味覚を食べさせられた感覚。
ただここで、この味覚は失敗だぁ~とか嫌いだなぁとか思うのは簡単なんだ。今回も最初はそう思った。しかし!、もしかしたらこう考えられないだろうか?ということが頭に浮かんだ。
嫌いと感じたものはもしかして、
自分が今まで食べてきたモノの何かによって
味覚のストライクゾーンが狭まった結果ではないか?
なんとなく思い当たる節、ありませんか?
最初から嫌いなものなど実はなくて、自分が食べてきたモノによって嫌いなものが作り出されているという説。誰にも言われなければまず考えることはない、「嫌いという感覚」の中にいる食べモノが実は、自分の狭くなったストライクゾーンを通ることができなかった食べモノだったんじゃないかって。
今日の鰹節が乗った担々麺がそうでした。どうしても自分の味覚に担々麺の味がマッチしない。何をどうしても、唐揚げのヘルプを使っても美味しいとは感じない。ここでその担々麺が合わなかったんだ、と考える前にこう思いました。
自分がもし、旨味に慣れていない自分、それこそ色で言えば赤・青・黄みたいな原色のような味覚に慣れた状態(甘い・辛い・苦いなどのシンプルな味覚に慣れた状態)だったならば、この担々麺はおいしく感じられたんじゃないかって。
そういや少し前に書いたんだよ、こういう記事。
旨味漬けになってしまった私たちの味覚の飽きを少しでもリセットし、改めて旨味の幸せを知る食生活に戻りたい。そういう意図で書いたんだけど、そもそもこれをやることが嫌いな味覚を作ってしまっているとしたら、この方法は生きるという過程で本末転倒なのではないか?
美味しいモノを、美味しい体験を求めていろいろ試すことを、そしてそれをお裾分けできれば、読んでくださる皆様が少しでもハッピーになれるんじゃないかと思ってたんだけど、もしかしたらこれが覆ってしまうのかもしれない。
といういことで、少しの間、実験をしてみようと思います。
さぁ、明日は何を試そうか。