
私じゃなくて、イマジナリー母さんが言っていた
私は夫と二人暮らしをしています。
夫は私と正反対で、細かい事を全く気にしないタイプです。
ある時、外出しようと思い化粧をしました。
ですがどうしても気分が乗らなくて、
「やっぱり家にいよう」と思い直しました。
そして、「外出しようとしたのがバレたら何か言われる」と思い、
急いで化粧を落として夫の帰りを待つことにしました。
そこで我に返りました。
「私は誰の目から逃れようとしているのか。」と。
夫は、私が化粧をしようがしまいが、
外に出ようが出まいが気にも留めないはず。
では私は誰の声に怯えていたのか。
私を攻撃していたのは、頭の中で聞こえた「母の声」でした。
母は何に対しても減点法でものを見る癖があります。
家族でも友人でも芸能人でも、気になったことがあれば口にする人でした。
もちろん娘の私にもその矢は飛んでくるので、私は小さい頃からそれをかわすのに必死になっていました。
どうにか減点されまいと、母が納得しそうな理由を先回りして考えたり、いったん自虐してから話し始めたり、
日々「どのように伝えたら母に加点してもらえるか」の研究に勤しんでいました。
ですがその努力はたいてい報われることはなく、
何度挑戦しても、私の自虐には同意されたり、
友達の話をすれば私を引き合いに出されて貶されたり。
それでもやっぱり諦めきれず、母に認められたい一心で、
来る日も来る日も言い訳を考えていました。
言い訳をしては、期待した反応が得られず落ち込む。
その繰り返しの中で、いつの間にか
「私が思う母の正解」が「私の正解」になっていったんだと思います。
「化粧を落とさないとバレる」
そう思った瞬間、母と離れて暮らすようになってからもなお、
私は「母がどう思うか」を基準に行動していたということに気づいたのです。
私はよく、他人の「理由のない行動」に対して疑問を覚えることがありました。
なんとなくやる、なんとなく話す、なんとなく置く。
「なぜ効率のいい方法でやらないのか?」
「なぜ次の人を考えて物を置かないのか?」
人間が行うすべての言動に、理由があって然るべき、と当然のように思っていました。
それも母に納得してもらうために、自分の言動のすべてに対して理由を考えていたからなのだ、ということに気づいてハッとしました。
悲しいかな、今でも前日と違う時間にお風呂に入れば、「今日は何で早くお風呂に入ったの?」と聞かれることがあります。
いまだにそれを聞くと、身体がビクッとして、脳みそがフルスピードで回り出し、母ウケしそうな答えを考えだすのです。
「今日はどうしたの?」
「なんで?」
「誰と会うの?」
母にとってはただのコミュニケーションだったんだと思います。
でも私はずっと「母が欲しい答え」を求められているような気がしていました。
どう感じたかより、どう説明するか。
何をしたいかより、なぜそうしたのか。
もしかしたら、母は私の言葉を通して私を理解しようとしていたのかもしれません。
でも私は、理解できない私ごと、受け止めてほしかったんだと思います。
最近鏡を見ると、シワと白髪が増えた私が映ります。
すると頭の中で母の声がするんです。
「すごいシワでさ~」
「白髪もすごくてさ~」
私が老けたって、父に告げ口するんだろうなぁ。と落ち込みます。
そのあと急激に不安になって、アンチエイジングについて調べたりします。
でもそこで立ち止まります。
それは、私の声ではないから。
私は、老けた自分もまるごと受け止める自分になりたい。
「すごいシワだなぁ。」と思っても、
それが私の声なら、それでいい。
「自分の気持ちを聞いてあげる」って、
こういうことなのかもしれないな、と思いました。
【”自分”とはなんぞや、と色々考えた時の話です】