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第2章 #23 神道の用語は曖昧であるせいで論理的な知能の持ち主により混同しているように思われるのであろう

    #23  I said confusion, because it will be so deemed by a logical intellect on account of its verbal ambiguity;  still,  being a frame work of national instinct and race feelings,  it never pretends to systematic philosophy or a rational theology.


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    私の訳:私は混同と言った。なぜならそれ(= 神道の用語)は用語が曖昧であるせいで論理的な知能の持ち主によりそのように思われるのであろう。しかし、それ(= 神道の用語)は決して体系的な哲学か合理的な神学体系のように装わない。

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    櫻井訳の現代日本語訳
     高天原(たかまがはら)が天のことでありながら、同時に現実の国土(国)でもあり、「まつりごと」が政治を意味しながら、同時に祭祀(神事)を意味しているようなものである。その言葉の意味が二重に重なり合っている(掛け言葉になっている)ため、私は論理学者の言葉を借りて、これを「用語の混同」と呼んでいる。しかし、神道は我々日本人の国民的な本能と、民族的な感情によって自然に発生したものであり、体系的な哲学や、合理的な神学であることを自称しているわけではない。


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    雙關 
    双関(そうかん)には、次のような意味があります。

    ・左右から閉じ合わせるように作ったとびら、二枚とびら
    ・漢文の一体で、相対する文句を交互に照応させて文章の骨子を構造する手法
    ・囲碁で、連続した二子が一間へだてて平行に並んでいる形

    双関の役割は、景物の想から人事の想への流れを作り出すことです。掛詞と同様の役割ですが、景物の想と人事の想はきれいに二行に分かれ、各自独立の文として完結できます。

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