
『耳をすませば』――踏み出した先、広がる世界
『耳をすませば』のIMAX版が公開される――。
この発表を聞いた時から、映画館で観る日を楽しみにしていた。
数年前にも、一度映画館で観る機会があった。
それだけでも幸運なのに、また、しかもIMAXで観れるなんて…。
子供の頃から多くのジブリ作品に触れてきたが、特に思い入れのある作品のひとつ。
図書館で借りたDVDをノートPCで見ていた高校時代。
数年前まで暮らしていた街も、遠くに見える新宿の高層ビル群に『耳すま』を重ねたのが決め手のひとつだった。
*『耳すま』の記事はこちらから
何度も見ている作品ではあるが、やっぱりIMAXで見たい。
半ば引き寄せられるように、映画館へと足を運んできた。
IMAXならではの迫力と繊細さ
オリビア・ニュートン・ジョンの『Take Me Home,Country Roads』が流れる冒頭。
コーラスの厚みが違う。
その瞬間から感じるIMAXの凄さ。
遠くに見える都心の高層ビル。
多摩川を流れる京王線。
聖蹟桜ヶ丘駅と人々の営み。
上映開始から1分も経っていないが、映画館で観れる喜びを強く噛み締めた。

『耳すま』の時代設定は1994年。
僕はその前年、1993年に生まれた。
作中で描かれる時代、風景の記憶はない。
それでも『Take Me Home,Country Roads』は郷愁を誘う。
今ほど暑くない夏、雑誌の並ぶコンビニ、携帯電話のない時代――。
心の奥底を刺激し、あるはずのない記憶が4Kデジタルリマスターで鮮明に蘇るようだ。

音楽はもちろん、日常の何気ない音も心の琴線を刺激する。
夏の日の蝉、野球部の練習する風景。
新たな発見があったのは、今回のポスターにもなっている、雫と聖司が『カントリー・ロード』をセッションした後の帰り道。
これまでは気づけなかったが、自転車のタイヤが静かに回転する音が聞こえる。
二人の時間を静かに刻むようだった。

昨年から『もののけ姫』『魔女の宅急便』とジブリの過去作のIMAX上映が続いている。
『もののけ姫』も素晴らしかったが、全体的に音の厚みと迫力が凄すぎて少々疲れてしまった。
もちろん、それも魅力的だが、日常の繊細な音を感じられるのも、贅沢な楽しみ方だと気づかされた。
主観の世界で生きていた雫
これまでは特に気にしなかったが、雫のことが心配になってしまった。
前を見ずに車道に飛び出す。
猫を追いかけて、立ち入り禁止区域に入る。
夏休みには夕子を炎天下で15分も待たせる。
机にかじりつくも勉強はしておらず、テストの順位を100位も落とす――。
一体、この子は大丈夫なのだろうか。
正直、親だったら頭を抱えてしまう。

僕には雫の姿が、姉・汐が言うように「現実逃避」をしているようにも見えてしまった。
しかし、それは思春期の雫が成長の過程にいることの表れとも言える。
夕子との会話を聞く限り、塾や習い事をしている様子もない。
生活のほとんどが家と学校で完結し、外の世界の広がりを知らない。
遠くに見える新宿も、聖司の向かうクレモーナも、雫にとっては現実味のない遠い世界だったのだろう。

そんな主観の世界にいた雫は、聖司と惹かれあっていくなかで、小説を書くことを決意する。
頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな
お前はずっと、その中から出られないんだよ
朝井リョウの『何者』の一節にもある通り、主観の中にいる限り、何だって傑作になりかねない。
雫は小説を書き出すことで、一歩を踏み出す。
完成したものを聖司のおじいさんに見せることで、幾層にも世界が広がっていることを知るのだろう。

踏み出した先、広がる世界
踏み出していたのは、雫だけではない。
バイオリン職人になることを目指し、クレモーナへと向かった聖司。
不意打ちのタイミングではあったが、雫へ思いを伝えた杉村も。
あの場で告白もしない選択もできたと思うが、踏み出したのだ。
結果、振られてしまうが、エンドロールでは夕子と付き合っていることが示唆されている。
思いを寄せていた夕子から告白したかは分からないが、付き合うことを決めたのも杉村と夕子が踏み出した結果だ。


自分が雫たちと同じ中学生の頃。
付き合っては別れる友人を見ては「なんて不誠実な!」と憤慨していた。
ひとえに自分がモテないことへのあてつけである。
とはいえ、付き合ってみないと分からないこともあるはず。
ましてや、恋愛初心者の中学生となれば尚のこと。
何にせよ、踏み出した先に世界は広がる。
「やらなかった後悔より、やる後悔」
すべてがそうだとは思わない。
やらずして救われた事も多々ある。
ただ、やりたくても、踏み出せなかった時に後悔は残る。
とりあえずやってみる。
やれるところまでやってみて、出来ない時はまた考える。
そのトライ&エラーの精神こそ大切なのかもしれない。

音源でも繰り返し何度も聴いた
心の声に耳をすまして
とはいえ、大人になるにつれ、重い腰があがりにくくなるのも現実だ。
だからこそ、悩みながらも軽やかに踏み出す姿は輝いて見える。
もっと早く気づけていたら、今の自分も違ったんじゃないか。
懐古するのも「未来への一歩」だと思っているが、結局は後悔と変わらないのだろうか。
いや、そんなはずはないと信じたい。
今の職業、なるまでの道も、踏み出す選択の先にいる。
他にも興味のあることは沢山あったが、得意ではなくとも「やってみたい」と思う選択をした。
noteを続けているのもそうだ。
中学生の頃は、小説を書く雫の姿をみて「自分にはできない」と思っていた。
ましてや誰かに見せるなんて。
もしも、雫の立場だったら「じゃあいいです」と言って、書くこと自体を諦めていただろう。
それが20年の時を経て、自分の文章をネット上で公開しているなんて…人生何があるか分からない。
振り返ってみると、自分なりに踏み出した先に、今の自分がいるようだ。
すべてを「やってみる」のは難しい。
それでも、その時々に考え、選択していきたい。
まずは、心の声に耳をすまして。
*以前のnoteにも載せましたが、こちらでもGoose houseの『カントリー・ロード』を共有させて下さい。