
「支援を見直しましょう」って、何を変えること?
「最近は、声をかけなくても、自分で予定表を見て次の授業に移れています」
先生からそう聞けたら、うれしいと思います。
でも、そのあとに、
「そろそろ支援を見直しましょうか」
と続いたら。
成長しているのはうれしい。
でも、今までの支援はどうなるんだろう。
そんな不安が浮かぶこともあると思います。
先生の話に反対したいわけではない。
ただ、できるようになったのは、今の支援があったからかもしれない。
その支えが変わっても大丈夫なのか、少し気になるのです。
できたのは、何があったから?
例えば、次の授業へ移るのが難しかった子がいたとします。
以前は、先生が毎回「次は図工だよ」と声をかけ、机の横にある予定表を一緒に確認していました。
今は、先生が声をかけなくても、自分で予定表を見て動いています。
これは、うれしい変化です。
でも、ここで一つ確かめたいことがあります。
予定表は、今も使っているということです。
先生と一緒に確認していた予定表を、今は自分で使っている。
そこにも成長があります。
声かけがなくても動けるようになったことと、予定表が必要なくなったことは、同じではありません
支えがあるから、次のことができる
予定表は、次の活動を知らせるためのものです。
でも、使い慣れてくると、それ以外にも役立つことがあります。
次に何があるか、自分で確かめる。
それを見て、準備を始める。
予定が変わったときには、分からないことを先生に聞く。
そんな経験にもつながるかもしれません。
もちろん、予定表があるだけで、何でもできるようになるわけではありません。
予定の変更を知らせる人が必要なこともあるし、確認の仕方を一緒に練習する時間が必要なこともあります。
だから、支援を見直すときには、減らすことだけを考えなくてもいいと思うのです。
今のまま続けた方がいいものもある。
使い方を変えた方がいいものもある。
新しい場面では、別の支えが必要になることもあります。
その支えによって、本人が何を理解できて、どんなことを選べるのか。
困ったときに相談できる余地はあるのか。
できたという結果だけでは見えないことも、そこにはあります。
「見直す」の中身を、一緒に考える
学校では、授業中にどんな変化があったかを見ることができます。
でも、家に帰ってからの疲れや、本人が家庭で話していることまでは分かりません。
学校ではできていても、無理を重ねていることがあるかもしれない。
反対に、家庭では別の方法でうまくできていることもあるでしょう。
どちらか一方だけでは、分からないことがあります。
ただ、支援がまだ必要だということを、保護者が一から証明しなければならないわけではありません。
私も学校で支援を考える立場にいます。
学校が見直しを提案するなら、何を変えようとしているのか、なぜそう考えたのか、変えて困ったときにはどうするのか。
そこは学校側から具体的に伝え、本人や保護者と一緒に考える必要があると思っています。
本人がどうしたいかも欠かせません。
予定表を使っている姿は、支えになっているかを考える手がかりになります。
でも、それだけで本人の希望まで決めることはできません。
本人が伝えやすい方法で、その気持ちも確かめていきたいところです。
「できるようになった」の、その先へ
最初の予定表の話に戻ります。
先生の声かけがなくても、自分で予定表を見て動けるようになった。
その成長を、素直に喜んでいいと思います。
そして、予定表はこれからも使い続けていいのです。
もし声かけの方法を変えるなら、どんなときに必要なのかを考える。
新しい活動で困ることが出てきたら、別の支えを考える。
今の方法が合っているなら、そのまま続けることもできます。
支援を減らすことが、次の目標になるわけではありません。
「できるようになりましたね」
その報告を聞いたとき、少し気になった今までの支援のこと。
何があったから、できるようになったのか。
そこも一緒に話せたら、子どものこれからを、もう少し具体的に考えられる気がします。
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