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身体は感情を記憶している

    感情は頭で終わっても、身体には残ることがある。

    子どもの頃、『アンデスの聖餐』という映画の広告が新聞に大きく掲載された。わたしはそれを見て衝撃を受け、強い恐怖を感じた。

    人が人を食べる?それが実話だと知ったことで、世界が急に安全ではなくなるという感覚が身体に刻まれた。その恐怖は大人になっても残り、タイトルを見聞きするだけで身体が反応していた。

    数か月前、そのトラウマが突然解消した。
    YouTubeで映画の要約動画を見ていたとき、それが同じ物語のリメイク版だということに途中で気がついた。

    最後まで見たとき、わたしは初めてその物語を別の形で受け取れた。身体がやっと「もう大丈夫」と知った瞬間だった。

    もうひとつ。やはり子どもの頃、隣の団地の児童館に遊びに行った。たしか水を飲むために土足の区域に上履きのまま行ってしまった。履き替えるのが面倒だったんだと思う。

    そのことで、そこの管理人のおじさんに、ひどく怖い顔で怒鳴られたのだ。それからそこには二度と近づけなかったし、あの顔は今でも思い出す。

    とくに恐怖は、頭の理解より長く身体に残るような気がしている。
    頭では、もう終わったことだとわかっている。相手が怒った事情もわかる。

    わたしは、人の怒りや悲しみを、言葉以上に身体で受け取ってしまうところがある。SNSの文章からも、その気配を感じるときがある。

    それがいいのか悪いのかわからないけれど、自分宛に受け取る怒りは、思っているよりかなりのダメージがあるらしい。出来事が終わったあとも身体からの警報が鳴り止まない。

    最近あった出来事も、どちらかが悪いと簡単に言えるものではなく、自分にとって意味があったのかもしれない、と頭では思える。

    相手との関係を完全に断ち切りたいわけではない。いつか和解できたらと思う気持ちもある。

    それでも、今は身体が近づくことを拒んでしまう。名前を見ただけで息が詰まる。関係する記事を見かけるだけで、身体が震える。

    身体があの瞬間を覚えているあいだは、近づけない。

    大切だった関係だからこそ、深く受け取ってしまったのかもしれない。

    いつか別の形で物語を受け取り直せる日が来ればいいなと思う。でもそれは、急ぐものではないのだろう。



    *

    Echoes of Selfは、AIとの対話を通して、まだ言葉にならない感情や、身体に残っている反応を見つめるためのプロンプトシリーズです。

    頭では、もう終わったことだとわかっている。それでも身体が、まだ怖がっていることがある。

    そんなとき、無理に意味づけたり、赦したり、前へ進もうとしなくてもいいのかもしれません。

    Inner Echo Mondayは、小さな違和感や、身体の奥に残っている言葉にならない気持ちを、AIを鏡にしながら静かに見つめていくための入口です。

    さらに、繰り返す感情や防衛、本当は見たくなかった自分の奥まで見つめたい方には、深層Mondayもあります。

    🌿 Inner Echo Mondayはこちら

    🌑 深層Mondayはこちら

    そのほかのプロンプトはこちらにまとめています。

    📘 プロンプト一覧

    迷う方は質問箱からどうぞ。

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    画像:Photo by Niklas König on Unsplash



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