
💟爆心地広島の神風串呂ーー③天皇の御代を示す地文群
🎀串呂哲学研究ノート 第554号
爆心地広島と昭和天皇を結ぶ一本の神風串呂
広島平和記念公園と三ヶ日町鵺代を結ぶ神風串呂を調査すると、興味深い地文群が次々と姿を現す。その中には、
❇️天皇陛下御在位六十年碑
❇️神殿町(こどのちょう)
❇️広代(ひろだい)
❇️天王(てんのう)
❇️宮城(みやぎ)
という、天皇や皇居を連想させる地文が連続して配置されている。
特に広代(ひろだい)は、裕仁(ヒロヒト)天皇の御名を想起させる象徴的な地文であり、その前後に配置された地文群も含めて読むと、一本の串呂全体が昭和天皇を主題として構成されているようにも見えてくる。
本稿では、広島平和記念公園と鵺代を結ぶ神風串呂上に現れた「天皇の御代を示す地文群」を考察した。

🔶ご案内
本稿は「あの戦争は八百長だった」シリーズ第12回です。
初めての方は、まず前号をご覧ください。
🔶あの戦争は八百長だった
第543号:敵はリングの外にいた
第544号:三本の串呂が示す国家の深層構造
第545号:鵺代構造と日航123便墜落事件
第546号:日航123便撃墜事件の全容を暴く
第547号:3本の串呂が示す日航123便事件の深層
🔶聖岳と皇居を貫く神風串呂
第548号:①皇統(政治中枢)を表わす地文群
第549号:②政治中枢の正体を表わす地文群
第550号:③政治中枢のルーツを表わす地文群
第551号:④政治中枢の財力等を表わす地文群
🔶爆心地広島の神風串呂
第552号:①政治中枢の関与を示す地文群
第553号:②皇室を示す地文群
🔶本稿は著者の研究視点に基づく考察です。
💞はじめに――地文学の醍醐味
二つの爆心地と御名(ぎょめい)の符合
地文学の醍醐味は、歴史の大きな転換点において、象徴的な地名や地文の配置に気付くことである。
世界史を大きく変えた二つの爆心地
❇️広島
❇️長崎
この二つの地名を改めて見つめると、ある不思議な符合が浮かび上がる。
🔷広島(ヒロシマ) → 裕仁(ヒロヒト)天皇
🔶長崎(ナガサキ) → 良子(ナガコ)皇后
もちろん歴史学的な因果関係を証明できるものではない。
しかし地文学の視点に立てば、これらは単なる偶然の一致として見過ごすにはあまりにも象徴的である。
歴史上の重大事件の舞台となった地名が、当時の天皇・皇后の御名と響きを共有していることは、私たちに新たな視点を与えてくれる。
串呂哲学では、このような符合を「神々が残された象徴的な地文」として捉え、その意味を読み解いていく。
今回考察する串呂も、その延長線上にあるものである。
🔷追記
地文の調査中、鵺代と広島平和記念公園を結ぶ串呂上に、下記の地文を発見した。これで、大代 二串 -🔴-🔴- の串呂であることが判明し、前号の「皇室を示す地文群」を補強することになりました。
❇️大代(だいしろ/山口県下関市豊北町大字滝部)

🔴大代(下関市)→広島平和記念公園→広代→🐍鵺代→🔴大代(島田市)
大御代=爆心地ヒロシマ=ヒロヒト天皇の御代=🐍鵺の御代

目 次
はじめに
天皇の御代を示す地文群
①天皇陛下御在位六十年碑
②神殿町
③広代
④天王
⑤宮城
天皇を示す地文群まとめ

💞広島平和記念公園と鵺代の神風串呂③
前号までに「政治中枢の関与を示す地文群」「皇室を示す地文群」を見て来た。取り上げた地文を並べて見ると、これらの特徴のある地文が偶然並んでいるとは思われない。
🟡大代(だいしろ)
⬇️
❇️三宅町(みやけちょう)
⬇️
⭕広島平和記念公園
⬇️
❇️府中町本町(ふちゅうちょう ほんまち)
⬇️
❇️鏡山公園(かがみやま こうえん)
⬇️
❇️御薗宇(みそのう)
⬇️
❇️千代田町(ちよだちょう)
⬇️
🔴天下茶屋(てんがちゃや)
⬇️
🔴聖天下(しょうてんした)
⬇️
❇️大園町(おおぞのちょう)
⬇️
❇️大門(だいもん)
⬇️
⭕🐍鵺代(ぬえしろ)
⬇️
🟡大代(おおじろ)
天下 二串 -🔴-🔴-
大代 二串 -🟡-🟡-
一体、これ等の地文は何を示すために並んでいるのだろうか?
今号は、さらに一歩を進めて「天皇の御代を示す地文群」を見て行く。
🔶天皇の御代を示す地文群
①天皇陛下御在位六十年碑
(岡山県倉敷市児島稗田町 ⛩️稗田八幡宮)
昭和天皇のご在位六十年を記念して建てられた石碑を貫通している。
広島平和記念公園→🔴天皇陛下御在位六十年碑→🐍鵺代


昭和天皇は、大正天皇がご不例であったため、若くして皇位に就いた上に、ご長命であったので、在位期間は、1926年12月25日-1989年1月7日という長期に及ぶ。(足掛け64年)
天皇陛下御在位六十年碑は、昭和天皇の御代を象徴する地文と解読できる。
②神殿町(こどのちょう/奈良県奈良市)
神は天皇を表わす。
神殿(かみどの/しんでん)は皇居または天皇を表わす。
広島平和記念公園→天皇陛下御在位六十年碑→🔴神殿町→🐍鵺代

③広代(ひろだい/奈良県山辺郡山添村)
ヒロヒト天皇の御代と解読できる。
国内唯一の地名と思われる。
広島平和記念公園→天皇陛下御在位六十年碑→神殿町→🔴広代→🐍鵺代

🔴なぜ「広代/ひろだい」が重要なのか
広島(ヒロシマ)と裕仁(ヒロヒト)。
巻頭でご紹介したが、広島はヒロヒト天皇、長崎はナガコ皇后の御名を連想させる。これは単なる偶然とも考えられるが、象徴的な符号として極めて興味深い。
広島(ヒロシマ)→ 裕仁(ヒロヒト)天皇
長崎(ナガサキ)→ 良子(ナガコ)皇后
この符合を象徴するように現れたのが山添村の「広代/ひろだい」である。
「広」は、裕(ヒロ)を、 「代」は御代(みよ)を連想させる。
しかも広代は全国的にも極めて珍しい地名であり、この神風串呂上に現れていることは注目に値する。
前後に配置された
❇️天皇陛下御在位六十年碑、❇️神殿町、❇️天王、❇️宮城
さらに前号で取り上げた皇室を示す地文群
❇️三宅町 、❇️鏡山公園、❇️御薗宇、❇️大園町、❇️大門、❇️大代
これらの地文との連続性を考えると、「広代/ひろだい」は、ヒロヒト天皇の御代を象徴する中心的地文のひとつと解することができる。
🔶傍証の串呂
広代(ひろだい/奈良県山辺郡山添村)が、「昭和天皇の御代」を象徴する地文であるかどうかを確認するために、とりあえず、三つの串呂起点から串呂を引いて概観した。
その結果、広代(ひろだい)は、昭和天皇の御代を示す地文であると思われるのである。
(1)⛰️御正体山(山梨県)から広代へ
昭和 二串 -🔴-🔴- の確定立証の神風串呂
領家(愛媛県四国中央市川滝町)→宮内(愛媛県伊予郡砥部町)→穴闇(奈良県北葛城郡河合町)→⭕広代→🔴昭和(愛知県安城市箕輪町)→奥領家(静岡県浜松市天竜区水窪町)→⭕⛰️御正体山→🔴昭和の杜博物館(千葉県松戸市紙敷)→神崎神宿(千葉県香取郡神崎町)→宮中(茨城県鹿嶋市)→高天原(茨城県鹿嶋市)

(Google.Map/縮尺約192.3万分の1)
(2)皇居から広代へ
奥領家 二串 -🔴-🔴- の確定立証の神風串呂
倭文(兵庫県南あわじ市)→王寺町(奈良県北葛城郡)→伏拝(奈良県山辺郡山添村→⭕広代→上郡(三重県伊賀市)→🔶広内(ひろうち/愛知県常滑市)→🔶御幸本町(愛知県安城市)→明治本町(愛知県安城市)→百々町(愛知県岡崎市)→古真立(愛知県北設楽郡豊根村)→🔴奥領家(静岡県浜松市天竜区佐久間町)→🔴 奥領家(静岡県浜松市天竜区水窪町)→地頭方(静岡県浜松市天竜区水窪町)→猪之頭(静岡県富士宮市)→🗻富士山(山梨県南都留郡鳴沢村)→🔶宮ヶ瀬ダム(神奈川県愛甲郡愛川町半原)→🔶葉山島(神奈川県相模原市緑区)→図師町(東京都町田市)→東京多摩霊園(東京都町田市真光寺町)→千代ケ丘(神奈川県川崎市麻生区)→祖師谷(東京都世田谷区)→代々木公園(東京都渋谷区代々木神園町)→神宮前(東京都渋谷区)→明治神宮外苑(東京都新宿区霞ヶ丘町)→元赤坂(東京都港区)→⭕皇居(東京都千代田区)→⛩️香取神宮
(3)御名(兵庫県宍粟市山崎町)から広代へ
日野町(鳥取県日野郡)→🔶鏡野町(岡山県苫田郡)→一宮(岡山県津山市)→大聖寺(岡山県美作市)→🔶⛰️国見山(兵庫県宍粟市山崎町金谷)→⭕御名→護持(兵庫県姫路市夢前町)→玉野町(兵庫県加西市)→🔶王子ヶ丘墓園(兵庫県小野市福住町カラス谷)→厚利(兵庫県加東市)→神田(大阪府池田市)→北大利町(大阪府寝屋川市)→精華町(京都府相楽郡)→大里公園(京都府木津川市相楽台)→🔶天神山(京都府木津川市木津)→⭕広代→宮野町(三重県松阪市嬉野)→曲町(三重県松阪市)→大宮田町(三重県松阪市)→腹太町(三重県松阪市)
🍀🍀🍀🍀🍀
④天王(てんのう/愛知県豊橋市下五井町)
天皇を示す地文。
中央を貫通している。
広島平和記念公園→天皇陛下御在位六十年碑→神殿町→広代→🔴天王→🐍鵺代

⑤宮城(みやぎ/千葉県館山市)
天皇の住まい(皇居)を示す。
北部中央を貫通している。
広島平和記念公園→天皇陛下御在位六十年碑→神殿町→広代→天王→🐍鵺代→🔴宮城

🔶天皇の御代を示す地文群まとめ
⭕広島平和記念公園
❇️天皇陛下御在位六十年碑
❇️神殿町(こどのちょう)
❇️広代(ひろだい)
❇️天王(てんのう)
⭕🐍鵺代(ぬえしろ)
❇️宮城(みやぎ)

広島平和記念公園から🐍鵺代へ至る神風串呂上には、
❇️天皇陛下御在位六十年碑、❇️神殿町、❇️広代、❇️天王、❇️宮城
という地文が順次並んでいる。
(1)まず「天皇陛下御在位六十年碑」は、その名称自体が昭和天皇を直接象徴する地文である。
(2)次の「神殿町」は神と殿の文字を含み、皇室あるいは天皇を連想させる。
(3)続く「広代」は、ヒロヒト天皇の「ヒロ」と御代の「代」を重ね合わせたヒロヒト天皇の御代を象徴する地文として解読できる。
(4)さらに「天王」は古来より天皇を連想させる地文であり、
(5)その後に現れる「宮城」は、皇居を意味する言葉として知られている。
個々の地文だけであれば偶然と見ることもできる。
しかし、昭和天皇 → 神殿 → 広代→天王→ 宮城
という流れで並ぶことによって、一連の地文群全体が昭和天皇と皇居を主題とした象徴的構造を形成しているように見えてくる。
とりわけ、この地文群が広島平和記念公園と鵺代を結ぶ神風串呂上に配置されている点は興味深い。
これまで考察した地文群を総合すると、この串呂が政治中枢と皇室との関係を重層的に表現している可能性も見えてくる。
🟡大代→三宅町→⭕平和記念公園→府中町本町→鏡山→御薗宇→千代田町→天皇陛下御在位六十年碑→神殿町→🎯広代→🔴天下茶屋→🔴聖天下→大園町→大門→天王→⭕鵺代→🟡大代→宮城
この神風串呂は、いったい何を伝えようとしているのか。その解読は、今後の重要な研究課題と言えるだろう。
💚次号に続く
④火炎攻撃を示す地文群――爆心地広島の神風串呂
🟥改正皇室典範は「憲法違反」 漫画家・小林よしのり氏が国を提訴 養子制度は“門地による差別”と主張 「旧宮家新身分制度、恐ろしいと思うんですよ」
2026/10/26
1945年8月2日。長岡、富山、水戸、八王子が同じ夜に焼かれました。その4日前、青森では死者1,018人のうち84パーセントが防空壕の中で亡くなっています。安全なはずの場所で、ばかり死んでいる。 逃げた市民を役所が台帳と配給で呼び戻し、その期限の夜に街は焼かれました。
🟡読者の皆様に!
【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。
このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。
『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。
神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。
なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。
神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。
🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。
🟡神風串呂を学びましょう!
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ76才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。
著 書
「神風串呂入門」
「ここまで解った元伊勢伝承」
「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
「天照大御神の子育て御子三浦芳聖の教導録青春編」
など多数
ブログ
串呂哲学研究ノート
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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