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💟崇神大王の帰幽直後の精神世界-大酒と崇神天皇陵との神風串呂

    🎀串呂哲学研究ノート第478号

    🟡帰幽直後の大王崇神のゆくえ

    🌷今号は、「崇神大王の帰幽直後の精神世界」を研究することになりました。神皇正統家極秘伝「神風串呂」ならではの皇霊学の世界です!

    初めての方は先ず「崇神天皇の神風串呂」をご覧下さるようお願いします。

    前号「オロチ退治の神風串呂」で、大酒おおざけ(佐用町)の神風串呂をご紹介したついでに、大酒(佐用町)を起点にし、崇神天皇陵(行燈山古墳)を至点とする串呂を研究してみました。

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    崇神天皇(3世紀後半-4世紀前半)

    🌷幸い、崇神天皇がお酒が好きだった逸話は、記紀に記載されています。

    🟡日本書紀
    即位8年、活日(いくひ)という者を大神の掌酒(さかびと)とした。そして活日が神酒みきを捧げて歌を詠み、続けて諸大夫(役人)と天皇もそれぞれ歌を詠んだ。(『崇神天皇- Wikipedia』)

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    (『崇神天皇- Wikipedia』)

    🌷これは少し余談になりますが、この歌を解釈するのに、崇神天皇が海外からやって来た渡来王朝である事を知って読むのと、知らずして読むのとでは「我が神酒みきならず日本成やまとなす大物主の醸かみし神酒」の正しい解釈がボケてしまいます。

    この歌は、海外からやって来た崇神王権が、大物主の開拓したヤマト地区を制圧し、大物主の醸造した酒を手に入れて勝利の美酒を味わいながら、戦勝を祝賀して歌った歌ではないでしょうか。

    🌷話が横道にそれましたが、このように記紀に記載されているように、崇神天皇はお酒が好きだったことが分かります。

    そこで、串呂起点を「大酒」とし、串呂至点を崇神天皇の御陵と治定されている「⛩️行燈山古墳」とする神風串呂を研究して見ました。

    ⭕串呂起点 大酒(兵庫県佐用郡佐用町)
    ⭕串呂至点 崇神天皇陵・行燈山古墳(奈良県天理市柳本町行燈山)

    すると、大王町だいおうちょう(三重県志摩市)をピシンと貫通しました。

    大酒(佐用町)-崇神天皇陵(行燈山古墳)-大王町(志摩市)

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    大酒と崇神天皇陵(行燈山古墳)との神風串呂(Google.map)

    🌷これは進めの信号です!

    ✅かねがね申し上げているように、崇神天皇の串呂は、渡来王権の代表的標本(サンプル)として丁寧に構築されています。
    今号は、侵略者「大酒・崇神天皇」に焦点をあてて串呂を研究します。

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    さっそく、この串呂を西方に延長して、この串呂(大王 崇神 大酒)の主旨に関連した地文を調査研究して見ました。

     
     
    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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