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💟富士谷の伝説1(神武天皇旧規を破る)――南朝正統皇位継承論10

    🎀串呂哲学研究ノート 第198号


    富士谷
    富士谷(富士吉田市、西桂町、都留市)

    はじめに

    宮下文書(富士古文献)を元に書かれた、三輪義熈 著『神皇紀』によれば、この富士谷には神武天皇以前に、古代王朝(富士高天原)があり、天都、不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)には、「三品の大御宝」(三種の神器)が納められていたという。

    この『神皇紀』については、『現代語訳 神皇紀』(神奈川徐福研究会神皇紀刊行部会)と加茂喜三著『古代日本の王都が富士山麓にあった』、『富士王朝の滅亡』など多数あるが、現在いずれも入手が困難である。

    伊集院 卿著『富士王朝の謎と宮下文書』は、入手可能であると思います。
    インターネットでは下記の資料がお薦めです。

    富士王朝の謎 緑濃き樹海に眠る神聖王朝の都、日本の歴史はここに始まった

    「富士古文献」が語る神々の大陸統治(原田実)

    1、神武天皇旧規を破る

    古来の慣例として天皇が即位するときは富士高天ヶ原の神廟(阿祖山太神宮)に参詣し、阿祖大神の御前で「三品の御宝」を拝受することに定められていたのである。この儀式を行わないと天皇はその践祚が立証されず、必ずこの儀式を行うことになっていた。

    神武天皇になるまでは、即位の大典は天照大神の遺勅に基づき、この天都「富士」で行われていたが、神武天皇はこの旧規を破り、自ら富士に出向いて神器を拝受することをやめ、阿祖山大宮司に神器を持参させ、橿原神宮で神器を拝受し即位式を行ない、終わると神器を阿祖山太神宮に返納する制度に改めてしまった。(加茂喜三著『富士王朝の滅亡』22~23頁要約)

    皇大神宮内宮

    2、神武天皇は⛩橿原神宮で即位した

    下記の神風串呂は、往昔、神武天皇が三種の神器(三品の大御宝)を天窓に捧げて即位式を行なった事を昭示しています。

    ただし、この串呂は、その伝承を証明した象徴的な串呂であり、⛩️橿原神宮が、本当の即位地であったかどうかは別問題です。

    橿原神宮

    【参照】御鏡は石鏡だった事を昭示する神風串呂(№17)

    ⛩橿原神宮-大神-西山-⛩皇大神宮内宮-石鏡町

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    (三浦芳聖著『神風串呂(165号)』50頁)
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    ⛩橿原神宮と⛩皇大神宮内宮との神風串呂(Google地図)

    (三浦芳聖の別の著書に記されていますので、「大神」と「⛩️皇大神宮内宮」との間に「西山」を追加しました。)

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    鳥羽市石鏡町(地図マピオン)

    石鏡(いじか)町は、「三品の大御宝」のうち、天照大御神の御魂代である「御鏡」が最も重要であることを表わします。

    宇陀野大神
    菟田野大神(地図マピオン)

    菟田野大神は天照大御神を、また大宇陀西山(西山岳)は、御鏡(神皇正統家)が天之岩戸籠り中であることを表わします。

    大宇陀西山

    3、神皇正統家の天之岩戸籠りの原因

    この「⛩️橿原神宮-大神-西山-⛩️皇大神宮内宮-石鏡町」の神風串呂は、上記の富士古文献(宮下文書)に記載されている事績を的確に昭示している神風串呂ですが、

    「記紀」だけを読んでいると、なぜこの目出度い事績を昭示する串呂に、「西山(西山岳)」が串線しているのか、よく分かりません。

    瀧川宗勝 著『勅語信仰の体験』その他、管見では、応永16年(1409)秋から昭和24年(1949)頃のおよそ540年間、「御鏡」は兵庫県加西市青野町の「西山」で天之岩戸籠り中であったようですので、御鏡が「西山」で天之岩戸籠り中であったとも解釈できます。

    御鏡が兵庫県加西市青野町の「西山」で天之岩戸籠り中だった事に付いては、「播州西山聖地(兵庫県加西市青野町)」を参照ください。

    富士古文献(宮下文書)に出ている「神武天皇が、天照大神の遺勅に基づく旧規を破り⛩️橿原宮で即位式を行なったことが、神皇正統家が人皇百代で天之岩戸籠りしなければならなかった原因だった」(百王説)・・・これは私の仮説ですが、

    神皇正統家がおよそ百代で天之岩戸籠りをした原因は、「神武天皇が旧規を破ったことにある」とすると、この神風串呂が構築された意図がよく理解されるのです。

    【参照】鹿島昇『日本王朝興亡史』では神武天皇は扶余王仇台(百済王仇首)であると述べている。


    🟡読者の皆様に!
    【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

    このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

    『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

    神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

    なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

    神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

    🟡祈り
    全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

    🟡神風串呂を学びましょう!

    🟡バックナンバー(総合)


    出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


    著者 鈴木超世志のプロフィール
    中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
    串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
    串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

    著 書
    「神風串呂入門」
    「ここまで解った元伊勢伝承」
    「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
    「神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言」
    「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
    など多数

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    串呂哲学研究ノート
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    🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
    串呂哲学研究会 鈴木超世志
    ブ ロ グ 串呂哲学研究会
    メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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    青年時代に、神皇正統家に極秘で伝承された神風串呂を学ぶ神縁に恵まれ、爾来、細々と串呂哲学の研究を実施して参りました一学徒です。神風串呂を紹介しながら、日本神界の神経綸(かみしくみ)を研究考察して参ります。一人でも多くの方々に串呂哲学の存在を知って頂ければ望外の喜びです。

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