
ヨーグルトの底に届くようなエッセイを書きたい|30分で書くエッセイ
昔から、自分のことを考えるのが苦手だ。
いや、むしろ嫌いだ。
え?それってエッセイを書く上では必要不可欠なのではないかと思われるかもしれない。そう。そうなのだ。全くもってその通りで、ぐうの音も出ない。
でも、これだけは言わせてほしい。
「世の中にはいろんなタイプのエッセイストがいるのですよ」と。
深く掘り進めるタイプもいれば、浅く広く掘っていくタイプもいるのだと思っている。そしてわたしは、後者のタイプなのだろうと感じている。
そう書きながらも今、小さなため息が出るのは、「その言葉で収めてしまいたくないんだよ」と、心の端っこで思っているからなのだろう。
最近よく読みに行く方のエッセイ。ご本人的には暮らしの記録みたいなつもりでサラッと書いているものたちなのだろうけれど、それでもわたしは読むたびにその思考に感銘を受け、羨ましいと思ってしまう。
わたしには何が足りないのか、自分もこんな記事を書くにはどうしたらいいのか。考えても考えても、最終的に行き着くのはいつもひとつの真実だけだ。その人はひとつの出来事を掘って、掘って、掘って。きっと限界まで掘り下げている。わたしも出来事を掘り下げはしているけれど「深さ」が足りないのだと思う。
「慣れ」もあるのかもしれない。「自分はどうしたいのか」「どう思っているのか」、自分自身を見つめることをずっと避けてきた自分と、若い時からそうしてきたその人とでは、考え方の年季が違うのだ。
それはわかる。
ジャーナリングなんて面倒だとずっとやってこなかった。だけれどその「自分を見つめる行為」がエッセイを書くものにとって…というより、わたし自身にとってどれだけ大切なものなのかに気がついていなかったのだ。
昔、大好きなヨーグルトがあった。
上の部分だけが固まって、
少し濃いめの色に変色しているヨーグルト。
わたしはその上の部分だけを
こそげとって食べるのが大好きだった。
広く浅く、
いいところだけを
集めて食べる。
あぁ、今のわたしの書き方とそっくりだ。それはそれで、間違ってはいない。楽しんでくれる人もいる。読んでくれる人だってたくさんいる。
子育てエッセイから始めた当初は、その時の感情を記録していければ良いと思っていた。でも最近は、自分の書きたいこと、表現したいものがそこから変わってきていると感じている。
それがいいことなのか、悪いことなのか。それはわからないけれど。
「好きだ」と思ってもらえる文章を保ちながらも、きっとわたしは変わっていきたいのだ。
だってさ、残されたその下のヨーグルトたちがもったいないとは思わないかい?美味しい部分はまだまだたくさんある。もっと下へ下へ。自分の感情をどんどん掬い取っていった先には、何が眠っているのだろう。
今はまだ、掬い方もぎこちないけれど、少しずつできるようになりたいなぁ。思考の底へ、底へ。ヨーグルトの底から上を眺める景色は、どんなものなのだろう。
𓊆この記事を書いた人𓊇
れいぽん|noteでエッセイを書く人
主婦でママ。4歳の息子を育てながら、エッセイを書いています。
「何気ない日々を、愛おしむ」
「感じやすさは、武器になる」
をテーマにして書く、わたしの暮らしの記録です。
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🫧わたしが子育てエッセイを書く理由