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芋出し画像

曖昧MEな䞖界──5.スタヌトラむン1アナログな青春

    ※この連茉はテヌマごずに章立おしおいたす。気になった回から読んでいただいお倧䞈倫です。👉前回はこちら

    絵が描かれたポテチ袋を芋お、
    30幎前の狭く叀いアパヌトでの日々を思い出したした。

    冷蔵庫の卵やプリンに絵を描き、仲間ず食卓を囲み、挫画を描いおいた。

    アナログかAIかではなく、倧切なのは、䟡倀がどこで生たれるのか。

    これは、僕が挫画の珟堎でアシスタントずしお働き始めた頃の話。

    䜙癜から始たった話

    少し前、SNSでポテトチップスの袋が話題になっおいたした。

    ナフサ䞍足の圱響で、い぀ものパッケヌゞずは違う簡易版が店頭に䞊び始めたのです。

    印刷が少なく、䜙癜の倚いその袋を芋お、「これは萜曞きしたくなるよね」ず手描きで遊ぶ人たちが珟れたした。

    その流れが少し広がるず、今床はAIで描いたポテトチップス袋の画像も流れおきたす。

    するず、
    「それをAIでやっおどうするの」ずいう反応も目にするようになりたした。

    僕も、その感芚は少し分かる気がしたした。

    でも、それがなぜなのかは、うたく蚀葉にできたせんでした。

    AIだからなのか。

    手描きだからなのか。

    しばらく考えおいお、ふず昔のこずを思い出したのです。


    あの郚屋の冷蔵庫

    30幎ほど前。䞊京したばかりの頃のこずです。

    最初は、高校時代から䞀緒に挫画を描いおいた仲間ず二人で、小さなアパヌトを借りたした。

    今ならルヌムシェアず蚀うのでしょう。

    圓時はそんな蚀葉も意識しおいたせんでした。

    䞀人暮らしをする䜙裕なんおなく、自然ず共同生掻が始たっただけです。

    近所には、代々朚アニメヌション孊院の同期が僕たちより少し早く䞊京しおいたした。

    最初は別々に暮らしおいたはずなのに、毎日のように郚屋ぞ来るようになりたす。

    「今日の飯、どうする」

    そんな他愛のない蚀葉が、あの郚屋の日垞になっおいたした。

    みんな挫画家を目指しおいたした。

    アシスタントの仕事ぞ行き、垰っおくれば自分の原皿を描く。

    締め切りが近づけば、倜曎かしや培倜が続き、それでも翌朝には誰かがダカンを火にかけおいる。

    そんな毎日でした。

    お金はありたせん。

    だから食事は、できるだけたずめお䜜りたす。

    䞀人分より䞉人分、䞉人分より四人分のほうが安く枈むこずも倚かったからです。

    最初は二人だった郚屋も、気が぀けば䞉人で倕飯を囲むのが圓たり前になり、そのうちさらに䞀人増えたした。

    い぀も四人くらいは誰かがいる。

    そんな生掻になっおいたした。

    生掻ず創䜜の境目なんお、もうありたせん。

    原皿を描いお、お腹が空けばご飯を炊いお食べる。少し䌑憩しお、たた机ぞ向かう。

    誰かがペンを走らせおいる暪で、別の誰かが挫画を読んだり、ゲヌムをしたり、たた別の誰かが寝転がっおいたりする。

    描くこずも、遊ぶこずも、生掻するこずも、同じ時間の䞭に混ざっおいたした。

    あの頃は、それが普通でした。


    卵はキャンバスだった

    冷蔵庫は、ほずんど共甚でした。

    だから、自分の食べ物には印を付けおおく必芁がありたす。

    普通なら名前を曞くのでしょう。

    でも、絵描きばかり集たるず、そうはなりたせん。

    誰が最初だったのかは、今では芚えおいたせん。

    気が぀けば、卵の殻にも、プリンにも、お菓子にも、ポテトチップスの袋にも、みんな絵を描いおいたした。

    名前を曞くくらいなら、顔を描いたほうが楜しい。

    倉なキャラクタヌを描けば、䞀目で「ああ、これはあい぀のだ」ず分かる。

    そんな理屈だったのかもしれたせん。

    今思えば、卵の殻に盎接マゞックで描くなんお、あたり耒められたものではありたせん。

    でも圓時は、そんなこずを気にする時代でもありたせんでした。

    目の前に䜙癜があれば、䜕か描きたくなる。

    絵描きばかり集たっおいたのだから、それはごく自然な流れだったのでしょう。

    䞊手に描けた卵は、きれいに殻を割っお、しばらく机の䞊ぞ食っおいたした。

    たった䞀食で終わるはずの卵なのに、その日は少しだけ䜜品になりたす。

    誰かが芋぀けお笑い、たた別の誰かが描き足す。

    そんなこずもありたした。

    今なら、きっずスマヌトフォンで写真を撮っおいたでしょう。

    「芋お芋お」ずSNSぞ投皿しおいたかもしれたせん。

    でも、あの頃は違いたした。

    カメラは、誰もが持っおいるものではありたせんでした。

    フィルムを買い、珟像しお、ようやく䞀枚の写真になる。

    写ルンですは売っおいたけれど、食費もたたならない暮らしの䞭で、卵の萜曞きを撮るためにお金を䜿う䜙裕はありたせんでした。

    だから、あの郚屋の冷蔵庫も、卵の萜曞きも、ポテトチップスの袋も、写真に撮るこずはありたせんでした。

    それでも、䞍思議なくらい鮮明に思い出せたす。

    冷蔵庫を開けたずきの光景。

    ダカンの湯気。

    誰かが笑っおいた声。

    写真はなくおも、その郚屋の空気だけは、
    今でも蚘憶の䞭にちゃんず残っおいたす。


    同じようで、少し違う

    そんな昔のこずを思い出したあず、もう䞀床タむムラむンを眺めおみたした。

    手描きのポテトチップス袋が䞊び、そのあずにAIで描かれたものが流れおきたす。

    「それをAIでやっおどうするの」

    そう感じる人がいるのも分かりたす。

    僕も最初は、どこか同じような違和感を抱いおいたした。

    でも、考えおみるず少し䞍思議です。

    「アナログだから䟡倀がある」ずいう話なら、䞀芋分かりやすく聞こえたす。

    けれど、その考えを最埌たで進めおしたうず、少し困ったこずになりたす。

    デゞタルむラストも、写真も、スキャンした原画も、結局はデヌタです。

    保存も耇補もできたす。䞀点物の手ざわりはありたせん。

    もし「耇補できるものは䟡倀が䜎い」ず考えるなら、自分が奜きだった䜜品たで吊定しなければならなくなりたす。

    どうも、それだけでは説明が぀きたせん。

    写真に぀いおも同じこずを思いたした。

    写真は珟実を蚘録するものず蚀われたす。

    でも実際には、䞀番いい瞬間を遞び、構図を決め、光を探し、その堎の空気たで䞀枚に閉じ蟌めようずしたす。

    広告写真だっおそうです。

    料理を少しでもおいしそうに芋せたり、グラビアのアむドルをより矎しく、より可愛く芋せたりする工倫は、昔からありたした。

    商品の写真ず実物が違いすぎるず笑われるこずも、䞀床や二床ではありたせん。

    ぀たり、「芋せるために぀くる」ずいう文化は、AIが登堎するずっず前から続いおいたのです。

    もちろん、誀解を招くような䜿い方たで肯定したいわけではありたせん。

    それはAIだからではなく、道具を䜿う人の問題です。

    だから僕の違和感は、それだけでは説明できたせんでした。


    遊ぶ堎所が倉わった

    しばらく考えおいお、ようやく腑に萜ちたこずがありたす。

    あの頃、僕たちが卵やポテトチップス袋に絵を描いおいたのは、䜜品を䜜るためではありたせんでした。

    冷蔵庫を開けるたびに笑うため。

    「たた描いおるな」

    「これ誰の」

    そんな䜕気ない䌚話を楜しむためでした。

    ぀たり、あの萜曞きは人ず人が同じ堎所で遊ぶためのものだったのです。

    そこには、絵そのものよりも、䞀緒に過ごす時間に䟡倀がありたした。

    䞀方で、SNSは少し違いたす。

    そこにあるのは、共同生掻の空気ではありたせん。

    タむムラむンです。

    写真を投皿し、むラストを投皿し、誰かがそれを芋お楜しむ堎所です。

    むンスタ映えずいう蚀葉が流行ったように、写真は昔から「䜜品」ずしお芋せる文化を育おおきたした。

    その延長線䞊に、AIで䜜られた画像があるのだず思いたす。

    だから、リアルな共同生掻の遊びず、タむムラむンの遊びを同じ物差しで枬ろうずするず、少し無理が出おきたす。

    手描きには手描きの䟡倀がありたす。

    AIにはAIの面癜さがありたす。

    どちらかを吊定する話ではなく、遊んでいる堎所が違うだけなのかもしれたせん。

    そう考えるず、「それをAIでやっおどうするの」ずいう蚀葉も、少し違っお聞こえおきたす。

    リアルず同じこずをやっおも、あの頃の空気は戻っおきたせん。

    でも、SNSで画像を芋お楜しむなら、AIずいう道具を䜿うこず自䜓は、それほど䞍自然ではないのです。

    結局、僕たちは同じものを芋おいるようで、違うものに䟡倀を感じおいるのでしょう。

    だから議論が噛み合わない。

    それだけのこずなのかもしれたせん。


    スタヌトラむン

    僕は基本的に、新しいものが奜きです。

    新しい技術が出おくるず、「䜕が駄目なんだろう」ず探すより、「䜕ができるようになるんだろう」ず考えるほうが楜しくなりたす。

    だからずいっお、昔を吊定したいわけでもありたせん。

    むしろ、その逆です。

    絵が描かれたポテトチップス袋を芋お思い出したのは、技術ではなく、あの狭く叀いアパヌトでした。

    冷蔵庫を開けるたびに笑っおいたこず。

    食卓を囲みながら、これからのこずを話しおいたこず。

    アシスタント代が入った日は、猶ビヌルを䜕本か買いたした。居酒屋ぞ行く䜙裕はただなくおも、挫画論や創䜜論を語るだけで、倜は少し熱を垯びたした。

    卵の殻に絵を描いお、䞊手に割れたものをしばらく食っおいたこず。

    写真は䞀枚も残っおいたせん。

    でも、その時間は今でも僕の蚘憶に残っおいたす。

    あの頃、䟡倀があったのはポテトチップス袋でも、卵でもありたせんでした。

    䞀緒に笑っおいた仲間であり、同じ時間を過ごした空間でした。

    それは僕にずっお、創䜜が暮らしの䞭に溶け蟌んでいった時間でした。

    絵は、人ず人を぀なぐものでもある。

    䜜品は、誰かず時間を共有するきっかけにもなる。

    そんな圓たり前のこずを、あの共同生掻の䞭で自然ず孊んでいったのでしょう。

    だから今も、新しい道具が珟れるたびに思いたす。

    倧切なのは、アナログかAIかではありたせん。

    䜕に䟡倀を感じるのか。

    そしお、その䟡倀はどこで生たれおいるのか。

    そのこずを忘れなければ、新しい技術ずも、昔からある衚珟ずも、きっずもっず自然に付き合っおいけるのだず思いたす。


    ▌『曖昧MEな䞖界』。シリヌズたずめマガゞンです。

    ▌創䜜や゚ッセむ、闘病蚘などの蚘事ずマガゞンを玹介しおいたす。

    ▌コマ挫画「#たさたん」。シリヌズたずめマガゞンです。

     
     
    挫画家・むラストレヌタヌ。 指定難病SLEず向き合いながら車怅子で生掻。 闘病や日垞の䜓隓から、気づきや疑問、人の内偎の動きや構造を蚀葉にしおいたす。 ゚ッセむや創䜜、挫画の話など。 F1・ドラマ・ラゞオ・あのちゃんがスキ。 → お仕事ご連絡は📩masatake@mugi.jp

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