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Photo byvoice_watanabe

「逆らう者には予算をやらない」――簗農水相発言が暴いた、この国の政治の地金

    「ダサい」で片づけられる話なのか

    10月13日の衆院予算委員会で、高市首相は簗和生農林水産相の「道路予算カット」発言について「本当にダサイ」と述べ、行政を任せてよいかも含めて考えると答弁しました。わずか5日前には「働いて仕事で返せ」と続投を指示していた首相が、自民党のベテラン議員に追及されるや、一転して進退に含みを持たせたのです。

    しかし僕は、この「ダサい」という言葉にこそ強い違和感を覚えます。問われているのは格好の良し悪しではありません。公金の配分という行政の根幹を、選挙の報復に使ったのではないかという疑惑です。それを美意識の問題にすり替えた瞬間、事の本質がぼやけてしまう。

    何が語られたのか

    経緯を整理しておきます。週刊誌報道によれば、簗氏は閣僚就任前の今年5月、栃木県内の自民党支部の懇親会で、2月の衆院選で首長が対立候補を支援した那須烏山市と那珂川町について、2026年度の道路予算を大幅にカットしたと語り、首長が「自民党の国会議員は要らない」という行動を取ったとも述べたとされます。党の筆頭副幹事長という立場ならこういうことができる、という趣旨の発言もあったと報じられています。

    簗氏は衆院選で無所属候補に敗れ、比例で復活当選していました。そして実際に、名指しされた2市町では道路予算の配分が大きく減っています。

    「問い合わせただけ」という釈明

    簗氏は国交省への減額の働きかけを否定しています。ただ、国交省によれば、簗氏は2月中旬ごろに2市町の予算配分額を同省に問い合わせていました。例年、2月の時点で配分額は固まらず、決まるのは4月ごろだといいます。

    決まってもいない予算の額を、自分を支援しなかった首長の自治体に限って、わざわざ問い合わせる。それを「圧力ではない」と言われて、素直に信じられる人がどれほどいるでしょうか。北海道新聞の社説が指摘するとおり、首相も国交省も減額の納得できる理由を示していません。

    「当然だ」と言う声の恐ろしさ

    僕がもっと深刻だと感じたのは、東京新聞が報じた自民党内の空気です。支援しなかった自治体への「報復」を当然視する声が党内にある、というのです。

    ここに問題の核心があります。簗氏の発言は、たまたま口を滑らせた一議員の失言ではない。「票をくれた地域には予算を、くれなかった地域には冷や飯を」という論理が、少なくとも一部の政治家にとっては「当たり前」として共有されている。簗氏は、それを大きな声で言ってしまっただけなのではないでしょうか。

    斉藤淳が見抜いた「逆説明責任」

    この構造を鋭く分析した研究があります。かつて衆院議員も務めた政治学者・斉藤淳さんの『自民党長期政権の政治経済学』です。斉藤さんはこれを「逆説明責任体制」と名づけました。

    本来の民主主義では、有権者が主人であり、政治家は有権者の支持を得るために競い、自らの行動を説明する責任を負います。ところが自民党の長期政権下では、その関係が逆転していた。政権党が予算や公共事業の配分をちらつかせ、地域や有権者の側に「忠誠」を証明させる仕組みが働いてきた、というのです。

    簗氏の発言は、この「逆説明責任」をあまりにも露骨に言語化してしまった。だからこそ、党内のベテランたちは慌てたのでしょう。それは隠しておくべき「地金」だったからです。

    首相の任命責任と「全省調査」

    本来問われるべきは簗氏個人の資質だけではありません。こうした人物を閣僚に起用した首相の任命責任であり、同じことがほかの省庁や地域で起きていないかという点です。国民民主党の玉木代表が求めた全省調査は、まさにその点を突いています。

    ところが首相は当初「厳しく注意した」で済ませようとし、世論と党内の風向きが変わると「ダサイ」と突き放す。ここに見えるのは、制度の問題として向き合う姿勢ではなく、政権へのダメージをどう最小化するかという計算ではないでしょうか。簗氏には、過去の衆院選で支持者を無料のシャトルバスで送迎したという公選法違反の疑惑まで報じられています。

    有権者を「どう喝」する政治を許すな

    共産党の田村委員長は、意に沿わない首長を選べば予算が削られると有権者をどう喝しているに等しいと批判しました。まさにその通りだと思います。

    この種の政治が恐ろしいのは、表立った暴力ではなく、静かな萎縮をもたらす点です。自治体の首長は次の選挙で誰を応援すべきか、地域の住民はどこに票を入れるべきか。予算という「人質」を意識した瞬間、選挙は自由な意思表示ではなくなります。それは民主主義の土台を、内側から腐らせていく行為にほかなりません。

    一人の閣僚の首をすげ替えて終わりにしてはならない。問われているのは、公金を私物化する論理をこの国の政治が本当に断ち切れるのか、という一点です。

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