
27. 教会を離れても、夢の中にまで来るのか
教会を離れた後も、宗教的な人間関係が自分の仕事や将来にまで及びかねないという恐怖。そして、教会とは無関係だった結婚相手の家族との信頼関係まで変わってしまう経験。
前回までに書いた、そうした出来事が重なっていた頃から、私は夢の中でも、かつての宗教的な世界に向き合うようになりました。
教会を離れて長い時間が経ち、仕事を持ち、家庭を築いても、夢の中には、あの世界が現れるのです。
夢の中の暗い空間で、私は地獄を背にして立っています。
目の前には、イエス・キリストが立ち、私に問いかけます。
「なぜ私を信じないのか?」
すると、イエス・キリストの顔を覆っていた仮面が外れ、その下から、私が幼い頃から関わってきたSDA教団のクリスチャンたちの姿が現れます。
夢の中で、彼らは二枚の聖なる舌を持っています。
一枚目には、次の言葉が掲げられています。
「世界で最も欠乏しているものは人物である。それは、売買されない人、魂の奥底から真実で、正直な人、罪を罪と呼ぶのに恐れない人、磁石の針が南北を指示して変わらないように、良心が義務に忠実な人、天が落ちかかろうとも正しいことのために立つ人――そういう人である。」
――エレン・G・ホワイト著『教育』P.54
しかし、もう一枚には、まったく逆の言葉が書かれています。
正直になるな。
罪を罪と呼ぶな。
死ぬまで黙っていれば大丈夫だ。
被害者は見捨てろ。
そして、次のような言葉が続きます。
「信じないのか?」
「赦せ、感謝しろ、よろこべ。これは試練だ。」
「言うことを聞かないと、お前の未来がつぶれるぞ。」
もちろん、これは夢の中の光景です。私が経験してきた言動や恐怖が重なって現れたものであり、夢に登場した人々が現実にそのような発言をしたという意味ではありません。
しかし、私には、この二枚の舌が、子どもの頃から見続けてきた矛盾と重なります。
表では、真実、正直、良心、正義を語る。
一方で、実際の人間関係では、沈黙や服従を求められ、疑問を口にすることさえ難しかった。
正直であれと教えられながら、正直に話そうとすると黙るよう求められる。
私は、その矛盾を理解したかったのです。
しかし、理解しようとすると、「信じないのか」と問われる。
子どもの頃に感じた恐怖と、大人になってから経験した出来事が、夢の中で一つにつながっているように感じます。
教会を離れても、夢の中にまで来るのか。
私が恐れているのは、夢の中のイエス・キリストそのものではありません。
聖なる言葉を掲げながら、それとは異なる行動を繰り返してきたと私が感じる人々の記憶が、今も恐怖として残っていることです。
夢から目覚めた私は、もう、あの頃の子どもではありません。
何を信じるのか。何を疑うのか。そして、何を正しいと考えるのか。
それは、これからも自分自身の言葉と判断で決めていきたいと思います。