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2003年青海省同仁 | ③開眼前のタンカとの出会い


    タンカ=仏画

    現在も我が家のリビングを静かに見守っている白多羅菩薩のタンカ。
    このタンカは、当時のあの「静寂と安らぎに包まれた同仁」と真っ直ぐにつながっている。

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    ロンウォ寺の緑度母殿
    こちらはグリーンタラのお堂で、
    私のタンカはホワイトタラ。この写真には自分に
    とって複数のものが凝縮されているんです。

    2003.8.
    青海省同仁(レゴン)の中心部

    ホワイトターラー(白多羅)のタンカを買って帰りたい!と意気込んで黄南賓館の自分一人だけのドミトリーを出た。

    ・・・ 誰もいない

    えっと、タンカはどこ?
    右行く?左行く?どうする?

    と、そこへ紫の袈裟を着た一人の僧侶が歩いてきた。私が話しかけるまでもなく、あちらから挨拶して下さりお話する。
    「ところで、この辺りにタンカ絵師はおられませんか?」と聞くと、

    「私はタンカ絵師ですが。工房へ来ますか?」

    と言う。
    小さなところでは、棚から牡丹餅!といった感じで、いきなり幸運が降ってくる。いえ、牡丹餅ではなくタンカへの道が即座に開けた。

    いそいそと工房へ付いていくと、

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    絵師さんが静かにタンカを描いておられる。
    瞬時に気が引き締まる思いがした。

    天国地獄、清いもの醜いもの、崇高なものから生々しいものまで全部描かれているチベットの仏画がとても好きで、寺の壁の絵などを時間をかけてよく眺めた。中には、とても面白い絵もあった。
    六道輪廻図などの中には、善悪いろいろなものが渦巻いている。人は誰しも腹の中に色々抱えており、人間が生きるこの世界も色々抱えており、宇宙はこんな風に動いているというわけか。
    そんな下界を神様は見守ってくれている。
    そして、日本人としては、祈りに準ずる思いや得を積む(世のため人のために微力でもつくすという拡大解釈にしている)ことでリセットしながら生きていくしかないのか、と自分の理解は当時も今もそんなレベルである。

    工房へ連れて来て下さった絵師さんに、白多羅菩薩の仏画が欲しいことを伝えると、

    「それなら今描いていますよ」

    と。
    白多羅菩薩のタンカへの道は初めから開いている様だった。

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    ほとんど描き上がっているものの、目鼻口はまだ。命が宿る前。
    開眼(かいげん)前の状態だった。

    「優しく穏やかな表情にして下さい」

    と、繰り返しお願いし、後日受け取りに行くことになった。

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    手に持っている新聞紙に包まれたものが、
    うちのタンカ

    ご縁に深く感謝いたします。

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    余談にはなりますが、額縁についても大変思い入れがあります。
    以前、仕事上で関わらせていただいていた当時100歳に近かった◯さんは、表装建具の専門技術者として活躍されていた方でした。
    タンカを納める良い額縁がないまま何年も経っていたため、厚かましくも◯さんに相談し、黄檗の木の額縁を譲っていただきました。
    タンカそのものの「端からヒョロヒョロと出ている糸は敢えてそのままにしました」と、綺麗に額に納めて下さいました。
    海軍訓練中に終戦を知らせる放送を聞かれた◯さん。現在もご存命であれば、100歳を超えておられます。

    この様な時代を生きた方々が超高齢になられ、いわゆる高齢者、要介護の世代も刻々と変わってきていると感じています。
    子供が成長すれば私は干からびていく。
    タンカの郷が様変わりするのも、(行き過ぎ感はあるにせよ)自然なこと。

    でも、「そんなこと何の関係もありません」と言わんばかりに、白多羅菩薩は変わらず何年も黙って見守っていてくれた。

    そういう存在の有り難きこと。

    時々やさぐれる私をいつも変わらない表情で。
    タンカの故郷へ、ようやく再訪出来た気持ちです。

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    1998〜2005年頃、スマホのない時代にバックパッカーとして旅したラオス奥地・ウイグル・チベット・雲南や中国留学…あの時あの場所の温度がある記録を残しておきたいです。「確かにあった、あの空間」に50代の私が向き合っています。

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