
2003年青海省同仁 | ④村人の家に飾られていた布タンカ
2003.8.26
青海省同仁(レゴン)
同仁には、もうひとつ布タンカ(堆繍)というものがある。筆で描くものとは全く製法が異なり、年都乎寺がある年都乎村の周辺に、その職人さんが多くおられる。
2003年当時のこの辺りの様子は、驚くほどに様変わりしている現在では想像もできないような辺境で、いよいよ本格的に誰ひとり外にいない、まるでドッキリにはめられているかの様なところであった。
「走着去年都乎寺」と中国語混在の自分のメモあり。黄南賓館から3.8km、標高は2500mあり、1時間程かけて歩いて行ったようだ。位置的に道の途中でロンウォ川を眺めていたはず。

この時撮ったものではないかと思う
着いた!
年都乎寺の正面入り口、山門に到着。

門をくぐった奥にマニ車の回廊が見える

ここでも僧侶に案内していただいたと書いているが、この方については残念ながら記憶がない。

年都乎寺は、こじんまりとしていながら、非常に古く濃厚なレゴン芸術の壁画や、独特の素朴な木造構造を残しているそう。
このお堂は色彩豊かで、他とは少し趣が違う。色の組み合わせが好み(あんたに聞いてない)。

宝鏡と鹿の紋様は年都乎寺のもの。
緑の柱にもこだわりが感じられる。

↑ この写真からは、周囲に大規模な改修が行われている様子が伺われる。
布タンカ(堆繍)の郷として、政府主導の大規模な整備やタンカ工房の建設が始まろうとしていたのか?と想像してしまう。
2003年とは、その直前だったのだろうか。当時はそんなこと考えもしていなかった。
布タンカとの出会いは・・・
年都乎寺を出た私は、「よーし、布タンカ!」と一人やる気になっていた。
しかし、この辺りは本当に誰もいない。
村人は全員職人さんで、全員家の中でタンカを作成しているのか!?
それともこれは本気でドッキリなのか!?
左右どちらへ行くか、何を目指してどの様に歩けばよいか見当もつかなかった。
おーい、布タンカ。
どこにあるー? 布タンカ。
こういう時は、と。
決めた道を1時間歩いて何もなかったら諦めて同じ道を引き返す自分方式。
とりあえず川沿いの土手を向こうの山まで歩くことにした。
土手を歩き始めて数分後、向こうから村人Aが一人歩いてきた。
この人を逃すまい!と必死のぱっちの私は、「ブーダ、タンカ」「ブーダ、タンカ」と繰り返した。中国語で、布はブーと言う。
布の🟰ブーダ
村人Aは怪訝な顔をするばかり。
おそらく、「堆繍」という言葉を言わなければ伝わらないと思うも、中国語読みがわからず。
これではダメか、と次は「タンカ」「タンカ」と繰り返しながら、切ったり縫ったりするジェスチャーをそれはそれは必死に繰り返した。
怪訝な顔をしながらも、村人Aは「着いて来なさい」と歩き出し、ここでもいそいそと着いて行くと・・・
辿り着いたのはその方の家で、居間にはお母さんらしき初老の女性がおられた。
その居間に、まさに布タンカが飾ってあり、村人Aは「これか?」と言う。
そうです!そうです!これを言いたかったのです。
すると、村人Aと初老の女性は、居間に飾ってあるその布タンカを譲ってくれると言う。
えっ、そういうこと?
そんな大事なものを…
しかし、鮮やかすぎて少し私のイメージとは違うのだけど…
提示された金額は、こちらとしては全く高くはないし、どちらかというと安すぎる。仏画を値切る気はそもそもないし。ただ一つ、先方にとって必要以上の高額になっていないのかが不安だった。
しかし、こんな出来事はそうそうないだろうし、これを逃して他に気にいる布タンカを探せるとは思えなかったため、有り難くこちらを譲っていただくことにした。ガラス張りの額縁は辞退し、タンカだけを新聞紙にくるくる包んで持ち帰った。
こうして、村人Aのお家を見守っていた布タンカが、今もうちのリビングに鎮座している。
こんな鮮やかなタンカでよかったよかった、と今では思っている。

どうにかこうにか、布タンカの郷、年都乎村にもうっすらながら巡礼的な再訪が出来てホッとしています。

次回は、大経堂からお経が響きわたるロンウォ寺、そしてトゲになってしまった出来事に触れて同仁の最終にしたいと思います。