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Photo bylana2

つばめの帰る駅舎で、娘はピアノを弾きたがる

    今年も、つばめが帰ってきていた。

    あの駅の旧駅舎。
    今はもう、電車に乗るための場所というより、少しだけ時間がゆるむ場所になっている。

    人が行き交う駅前のざわめきの中で、ふと見上げると、軒先に小さな巣がある。
    そこに、つばめがいた。

    「あ、つばめさんだ」

    わたしがそう言うと、娘もつられて顔を上げた。

    「どこどこ?みえない!」
    「ほらあそこ」
    「ほんとだ。かわいいねぇ」

    3歳の声は、いつも少し大げさで、まっすぐだ。
    かわいいものを見つけたとき、娘は本当に世界全部へ向けて「かわいい」と言う。

    つばめは、そんな娘の声など知らない顔で、すいっと空を切って飛んでいく。
    小さな体なのに、迷いがない。
    駅前の空を、線を引くように横切って、また巣のあたりへ戻ってくる。

    毎年、同じ季節になると、ちゃんと帰ってくる。
    それがなんだか不思議で、少しだけ泣きたくなる。

    わたしたちは日々、いろんなことを忘れていく。
    去年のこの時期に何を着ていたか。
    何に悩んでいたか。
    娘がどんな言い間違いをしていたか。

    思い出そうとすれば、たしかにあったはずなのに、指のあいだからこぼれる砂みたいに、細かな日々は消えていく。

    それなのに、つばめは帰ってくる。

    「ここだった」と言うみたいに。
    「今年もここでいい」と決めるみたいに。

    旧駅舎の中には、誰でも弾けるピアノが置かれている。
    娘はそのピアノを見るたびに、弾きたがる。

    「ピアノ、やる」

    椅子に座ると、まだ足は床につかない。
    小さな指で、鍵盤をぽん、ぽん、と押す。

    もちろん、曲にはならない。
    でも、音にはなる。

    高い音。低い音。
    強い音。すぐに消える音。
    たまに、びっくりするくらい大きな音。

    通りすがりの人が少しだけこちらを見る。
    わたしはつい、「すみません」と言いたくなる。
    でも、娘はそんなことを知らない。

    ただ、目の前の白と黒の鍵盤を、確かめるように押している。

    つばめが巣をつくるように、娘もいま、自分の世界をつくっているのかもしれない。

    まだ言葉にならない気持ち。
    まだ曲にならない音。
    まだ形にならない「やってみたい」。

    それを、指先でひとつずつ触っている。

    旧駅舎という場所には、どこか不思議なやさしさがある。
    新しいものへ急かされる駅前にありながら、そこだけ時間が少し古い。
    待つことや、戻ってくることや、誰かが残していったものを大事にすることを、静かに思い出させてくれる。

    つばめは、毎年帰ってくる。
    娘は、来るたびに少しずつ大きくなっている。

    去年は見上げるだけだったかもしれない。
    今年は「かわいいね」と言う。
    来年は、つばめについて何か質問するかもしれない。

    「なんで、おうちが上にあるの?」
    「なんで、飛べるの?」
    「赤ちゃんいるの?」

    そんな声が、今から聞こえてくるような気がする。

    そしてピアノも、いつか今とは違う弾き方になるのだろう。

    ただ音を鳴らすだけだった指が、いつかメロディを探すかもしれない。
    知っている歌を弾こうとするかもしれない。
    もしかしたら、もう弾きたがらなくなる日も来るのかもしれない。

    それでも、きっとわたしは思い出す。

    小さな駅舎の軒先に、今年もつばめが来ていたこと。
    娘がそれを見上げて、「かわいいね」と言ったこと。
    そのあと、ピアノの前に座って、世界にはじめて触れるみたいに音を鳴らしていたこと。

    つばめは空に巣をかける。
    娘は音の中に、今日の自分を置いていく。

    わたしはその横で、何も弾けないまま、ただ見ている。

    季節は、何度も巡る。
    子どもは、何度も変わる。
    駅舎は、そこに残っている。

    そして今年も、つばめが帰ってきた。

    そのことが、こんなにも心強いなんて。
    娘と一緒に見上げるまで、知らなかった。

    喜木 拝


    #ビンゴエッセイ

    凛花さんの企画に参加しています。
    お題で2ビンゴ目指します!
    今回のお題は「つばめ」。

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    5月も後半戦ですね。

    これまでのお題はこちら👇

    「苺」

    「消しゴム」

    「目玉焼き」

    「砂場」


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    本が好きなのに、今は読めないあなたへ。 本とことばで、忙しい毎日に小さな余白を届けます。 図書館司書/4歳娘の母/ブックシェアコーディネーター。 メンバーシップ「凛のことのはライブラリー」運営中。

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