
矢野顕子の7インチコレクション(20枚)
ザリバ「或る日」 (1974)

A面「或る日」
B面「こわれた時計のように」
作詞:石津善之/作曲:筒美京平/編曲:矢野誠
74年4月25日リリース(2017年再発盤を入手)、AB面共にサブスク未解禁
デビューアルバム『JAPANESE GIRL』の前にこのシングルがある、そのさらに前に「大いなる椎の木」など何曲かの録音がキャラメルママと行われているが、一旦お蔵入り、長い間ザリバの録音が最初でキャラメルママとの録音は後だと思っていたが、逆のようで、ザリバというグループでのリリースが先になるが、矢野顕子以外のメンバー情報(男3人)がちょっとググっただけでは名前すら出てこない、とりあえずレコード会社的にはピアノが弾ける女性ボーカリストというキャラクターが欲しかっただけのようで、曲がかけるかどうかは二の次、京平先生の曲をただ歌えばいいという案件
ジャケはペドロ&カプリシャスっぽい気もするし、時代的にはそのような塩梅でリリースされた歌謡界寄りのシングル、救いはアレンジが矢野誠、演奏がキャラメルママだったことである(同時期に南沙織も歌っており、そちらも編曲矢野誠/演奏キャラメルママ)
そして驚くべきことは矢野顕子のボーカルである、よく知らない人はモノマネのイメージから、矢野顕子は変わった歌い方の人という偏見があるかもしれないが、これを聴けば、そのイメージは覆されるだろう、見事な歌いっぷりだ、まともに歌えるんじゃんと、コレもしもヒットしちゃったらあの矢野顕子は誕生しなかったであろう、くらいの別次元に達している印象で、このまま森山良子的な道もあったのではないかと思いを巡らせてしまう、しかしこれはこれで1枚で終わり、全てをリセットして『JAPANESE GIRL』=あの矢野顕子の誕生に向かっていく
そしてそれ以降7〜80年代の矢野顕子からは考えられなかったものの、2010年にやもり(森山良子+矢野顕子)という作品が生まれてしまうのも運命のいたずらか、どうせなら2人でいつか「或る日」と「こわれた時計のように」を歌ってほしい
電話線 (1976)

A面「電話線」
B面「大いなる椎の木」
作詞作曲編曲:矢野顕子
76年7月25日リリースのデビューアルバム『JAPANESE GIRL』からのプロモオンリーシングル、いや実際にシングルカットすればよかったのに、と思うが、歌謡界と一線を画すためにシングルヒット眼中ナシでアルバムを売る戦略だったのかもしれない
A面はLA録音の「電話線」、当時もそうだが、今もって21歳のシンガーソングライターのデビューアルバムを海外録音でリトルフィートと一緒にセッションさせるというレベルのことを誰が出来ようか、とりあえずプロデューサー三浦光紀としてははっぴいえんどのサードでLA録音経験済みという下地もあったわけだが、逆に驚いたのはリトルフィートの方で、ファーイーストから来た小娘をなめてかかったらトンデモなかったのでギャラいりません的な都市伝説
B面はデビュー前のお蔵入り音源「大いなる椎の木」、矢野顕子は高校中退後にプレイヤーとしてキャリアをスタートさせ、その後何曲か録音したものの、リリースには至らなかった(「本人の意志により」とジャケ裏年表にあり)、リズム隊は細野晴臣と青学軽音部の先輩であった林立夫のコンビだが、時期的にはキャラメルママと名乗って荒井由実や吉田美奈子のアルバムを手掛ける直前だったようだ、ひとまずソロの件は保留になって、ザリバというグループでシングルをリリースすることになる
達者でナ (1976)

A面「達者でナ」
作詞:横井弘/作曲:中野忠晴/編曲:矢野顕子
B面「丘を越えて」
作詞:島田芳文/作曲:古賀政男/編曲:矢野顕子
「電話線 / 大いなる椎の木」につづくプロモオンリーシングル
A面はセカンドにしてLIVEアルバム『長月神無月』(76年12月5日リリース)から「達者でナ」、この選曲はまさに『JAPANESE GIRL』面目躍如で、一般的にはカヴァーするとしても洋楽からセンスよく選曲するような風潮において、歌謡界/民謡界ではない人間があえて三橋美智也の曲を取り上げることが、どれほどインパクトあったことか(しかも矢野流にアレンジ)、因みにこの時点で懐メロ扱いだったとは思うが、1960年の曲なので16年ほど前の曲をやっていたことになる
B面はファースト『JAPANESE GIRL』よりあがた森魚とのデュエット「丘を越えて」、これも「達者でナ」を取り上げる流れと同じだと思うが、「達者でナ」よりさらに昔で1931年の曲である、漠然と懐メロのイメージで「丘を越えて」と「達者でナ」は同時代と思っていたものの、全然そうではないということが改めてわかったが、矢野顕子のカヴァーにおいて時代もジャンルも関係ないことは明白なのでありました
さてジャケ裏のプロフィール欄に高校中退から『JAPANESE GIRL』でデビューするまでのことも書かれているのだが、その約3年ほどのことは今もって不明なことも多く興味津津、青山ロブロイの件は有名だが、ディスコや赤坂のナイトクラブのことは初めて知る、その代わりお蔵入りになったキャラメルママとのレコーディングのことは書いていない等等
いろはにこんぺいとう (1977)

A面「いろはにこんぺいとう」
作詞作曲編曲:矢野顕子
B面「妖精の詩」
作詞:松山猛/作曲:加藤和彦/編曲:矢野顕子
77年6月25日リリース、アルバム『いろはにこんぺいとう』(77年8月5日リリース)から先行シングルカット、残念ながら『JAPANESE GIRL』からのシングルカットはなく(プロモオンリー盤のみ)、意外にもこれがファーストシングル
ジャケには当然のようにこんぺいとうもあるが、歌詞にうさぎが出てくるからうさぎ(何故か服を着て擬人化)、よく見ればほおずき 、そしてノミ 、売らんかなでジャケをキャッチー&ポップにしようとしたのかもしれないが色々渋滞してしまった、単にアルバム『いろはにこんぺいとう』イルカジャケのサイズ違い或いは別ショットで十分ポップでインパクトあったと思うのだが
アルバム『いろはにこんぺいとう』は曲によって録音時期がバラバラ(『JAPANESE GIRL』以前のキャラメルママと録音した音源も収録)で、アルバムタイトルチューンA面「いろはにこんぺいとう」はその中でも新しく、著名なセッションメンバーによるニューヨーク録音
B面はムーンライダーズのメンバーとの東京録音で矢野顕子も演奏で参加して加藤和彦が曲提供したアグネスチャンのカヴァー「妖精の詩」、個人的にはアルバムで細野曲を2曲カヴァーしてるので(「ほうろう」「相合傘」)、そのどちらかが良かったのだが
YMO以前の段階で松武秀樹がお馴染みタンスmoogで参加してるのがポイント
アルバム未収録曲である「妖精の詩」はアルバム未収録曲を集めたアルバム『愛がたりない』に収録されている
行け柳田 (1977)

A面「行け柳田」
作詞作曲編曲:矢野顕子
B面「ハローゼア」(原曲:花祭り)
作詞:矢野顕子/作曲:Edmundo Zaldivar/編曲:矢野顕子
77年8月5日リリース、アルバム『いろはにこんぺいとう』と同時発売シングル
A面「行け柳田」
この頃、ジャイアンツに御執心だったようで(他に「ジャイアンツを恋うる歌」という曲もあり)、77年の巨人といえば最下位で始まった長嶋監督の3年目、王選手が756号を打ち、シリーズも優勝という盛り上がった年でありました、テレビ的にはV9時代よりもこの頃の方が視聴率が良かったっていうことで、世の中的にプロ野球(主に巨人)が占める割合は今や考えられない次元だったので、このような歌が出来ても何ら不思議ではないし、間違ってヒットした可能性もある(会社もそれを狙ってカットしたのだと思いますが)、ただ柳田の歌にしたっていうのがマニアックです
LIVE盤『東京は夜の7時』でも演ってますが、その後内容的に2度と歌われることはないだろうと、実際そうだったわけで、例えば90年前後に六本木ピットインのLIVEを観に行った時はアンコールで、誰かが「柳田!」(ほぼウケ狙い)って声をかけて矢野苦笑みたいな(当然のように歌わず「ひとつだけ」を歌った)、そういうこともありつつ、まさか近年のティンパン(細野晴臣、林立夫、鈴木茂)をバックに「さとがえるコンサート」で演るとは(しかも柳田本人も客席に)、何故今だったのかはわからず、そして細野サンは野球嫌いだからかわかりませんが(原曲がシンセベースだから?)、この曲だけベースを弾かず、レコードではMOOGで鳴らしてるカッキーンっていう音をパッドで鳴らすだけに専念
B面はオリジナルかと思いきやカヴァー「ハローゼア」(原曲:花祭り)、NHKドラマ用(「夏草の輝き」「望郷の街」)に作ったアルバム未収録曲(『愛がたりない』に収録)
女キラキラ男そわそわ (1979)

A面「女、キラキラ。男、そわそわ。」
作詞:糸井重里/作曲編曲:矢野顕子
B面「女、キラキラ。男、そわそわ。」(インスト)
作曲編曲:矢野顕子
amsイメージソング、79年9月15日に北海道緑屋が「amsミドリヤ」を開店ということで、この頃作られたのではないかと、旭川限定のCMソングだったようだが、レコードはどのように配られていたのか不明、2016年にリリースされたベスト盤ボックスセット『矢野山脈』の初回限定盤のみのディスク4にて初CD化
ノベルティなのでA面のみの片面ディスクでもおかしくはなかったが、B面は有難いことにカラオケが収録されている
ジャケにクレジットもなく『矢野山脈』も持ってないので、演奏メンバーがわからないのだが、時期的に78年『ト・キ・メ・キ』と80年『ごはんができたよ』の間の79年はYMO他をバックにつけたLIVE盤『東京は夜の7時』のリリースのみでオリジナル曲のリリースはなかった(欲を言えば「東京は夜の7時」はLIVEヴァージョンしかないのでスタジオ録音ヴァージョンがあれば良かったのだが)、その意味で「女、キラキラ。男、そわそわ。」が重要になってくる、レコーディング時期を考えれば、KYLYN〜カクトウギセッション〜YMOグリークシアターの流れで坂本龍一以下YMOの3人かKYLYNのメンバーが関わっていることが濃厚だと思われ、『ごはんができたよ』の前哨戦として捉えられる1曲、そして『ごはんができたよ』に収録されてたとしてもおかしくはないのだが、これを外して、さらに2枚組だったのだから溢れんばかりの創作意欲にそわそわしてしまう
ごはんができたよ (1980)

A面「ごはんができたよ」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「ひとつだけ」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一
80年9月1日リリース、10月1日リリースのアルバム『ごはんができたよ』からタイトルチューンのシングルカット
矢野顕子の代表曲といえば「春咲小紅」になると思うが、その次が「ひとつだけ」じゃなかろうか、逆に自分は何回もLIVEに行ってるが「春咲小紅」を聴いた記憶がない、しかし新参者以外のLIVEに来てるファンであれば「春咲小紅」をやらないから怒るということはない、ファンの中では「春咲小紅」より「ひとつだけ」の方が人気があるということは確実、そもそもアグネスチャンに書き下ろした曲であることが、親しみやすさに功を奏したのかもしれない(そのアグネスverの7インチも欲しいが、残念ながらアルバムの曲)
A面「ごはんができたよ」はアルバムタイトルチューンだし、ある意味こちらの方こそ矢野顕子の本領なのであるが(ここ重要)、シングルカットということであれば、やはり「ひとつだけ」の方をA面にするべきだったであろう、ひょっとして「春咲小紅」より先にヒット曲が生まれたかもしれない(たらればだが)、本人的には色々作ってる中での1曲なので特定の曲の良さに気づかないのは仕方がない、本来シングルカットというのはアーティスト本人ではなくディレクターなど会社側が決めるケースが多々ありつつ、後々愛される曲がスタッフ含めて事前に気づかなかったあるある話、ちなみに最初に曲を褒めてきたのはレコーディングでドラムを叩いた幸宏だったそう(この件に関してTwitterで当人同志の確認もあった)
そのB面「ひとつだけ」はルージュマジックがヒット中の82年5月に行われた「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」で清志郎が歌ったことが伝説となり、矢野ファン以外にも長い年月をかけて広がっていく
「ひとつだけ」はアルバムでは次の曲とクロスフェイドになるので、このシングルではエンディングを最後まで聴けるのを楽しみにしてたのだが、アルバムよりフェードアウトが早かったというシングルあるある、いや〜もっとアルバムより長く、フェイドアウトの最後の最後まで聴きたかった〜
ごきげんわにさん (1980)

A面「ごはんができたよ」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「ごきげんわにさん」
作詞:なかがわれいこ/作曲:こもりあきひろ/編曲:矢野顕子、坂本龍一
80年10月1日リリースのアルバム『ごはんができたよ』からタイトルチューンのシングルカットのB面プレスミス盤
コレクターには悩ましいプレスミスである、B面に本来収録されるべき曲ではない曲が収録されてしまった、記載されている曲名と違い、本来「ひとつだけ」のはずが「ごきげんわにさん」、こんなことあるんですね、ということで終わりが見えそうで見えないレコードコレクション、運良くお詫びの紙が封入されているのを手に入れることが出来た、この紙がなければ見た目は何も変わらないのでプレスミス盤と判断出来ず、聴いてみないと分からない
個人的にはどのみちミスなら、アルバム『ごはんができたよ』の中から「ごきげんわにさん」ではなく「COLOURED WATER」「また会おね」「てはつたえる→てつだえる」あたりが良かった、もっとも「TONG POO」であったのなら、盤の価値はさらに次元が違ったものになるだろう
春咲小紅 (1981)

A面「春咲小紅」
作詞:糸井重里/作曲:矢野顕子/編曲:ymoymo
B面「在広東少年」
作詞作曲:矢野顕子
81年2月1日リリース、オリコン5位
自分が動くYMOを最初に観たのは1980年暮れにフジテレビで放映された武道館公演の模様、その時3人の後ろでシンセを弾いてた女性、それが矢野顕子を最初に認識した時だが、単なるサポートの人ではなく、1アーティスト(この時代、アーティストなんて言葉は使われてなかった記憶だが)であるということがわかったのは、御多分に洩れず翌81年春の「春咲小紅」で『ザ・ベストテン』に出演した頃であり、初登場時には坂本龍一と高橋幸宏も演奏で出演し、これは思わぬところでYMOの人達を観れたなーと得した気分
しかしそれで「春咲小紅」を買いにレコード屋に走ったというようなことはなかった、『ザ・ベストテン』は毎週観ていたが、これに限らず好きになった曲のドーナツ盤(当時の表現)を買いに走るというようなことはなかった、小学生には高い買い物であるし、毎週テレビで観て聴いてるものをわざわざ買うハードルは高い(小学生じゃなくても一般的に今までもそういう人は多い、YouTubeで観て聴けるものをわざわざ買ったりはしない等々)、そして新聞のラテ欄でTBSラジオ「吉田拓郎と小室等のサタデーナイトカーニバル」(土曜21:30-23:30)に矢野顕子と坂本龍一(当時新聞の表記では竜一になってることが多かった)が出演するとわかって聴いてみたら、スタジオライブ(今思えば、ただいまツアーのメンツ)だったのでラジカセで録音、しばらくそれを聴いていたのが矢野顕子をテレビ以外でちゃんと聴いた最初(この時点でこの人の歌はクセが強いな、とっつきにくいな、というのはなく、割とすんなり入れた記憶、この時点で自分にとって所謂「春咲小紅」の人では終わらなかった)、残念ながらそのカセットが残っていないので曲目は忘れたが、合間のトークで坂本龍一が金魚を食べた話をしてたのだけ覚えている(坂本龍一が喋るのを聞いたのも初めて、サウンドストリートが始まって間もない時期だったが、まだ聴いてなかった)、その後最新アルバム『ただいま』を出始めの貸しレコード屋「友&愛」で借りてきて、お気に入りという流れ、自分でちゃんと買うのは3年後の『オーエスオーエス』から
「春咲小紅」がヒットしている頃、YMOは『BGM』という問題作をリリース、物議を醸しだしていたが、自分はそんな騒ぎになっていることとは知らず(まだ雑誌等を熱心にチェックしていなかった)、家でシンプルに新作だと思って聴いており、「ライディーンと全然違う〜」みたいな不満は一切なかった、新作なのだから違って当たり前と何故か既にその頃悟っていた、そしてYMOの写真集『OMIYAGE』も発売され、その中のプロフィールやディスコグラフィ等でようやく作品以外の部分、歴史や3人各々のパーソナリティを知ることとなり、よりハマっていく、坂本龍一宅に矢野顕子の写真がパネルで飾ってあったりしたが(美しい、チャーミングだとかのコメントも)、所詮は小学生、なんだか変だなと思ったくらいで、デキてるとか同棲してるとかの妄想はなかったが(既に週刊誌では騒がれていたようだが、表向きは隠されていた)、「春咲小紅」から1年後の入籍ニュースで、やっぱりそういうことかと皆さん納得
B面「在広東少年」はアルバム『ごはんができたよ』のヴァージョンとも違うシングルヴァージョン、『ごはんができたよ』のは80年YMOワールドツアー前で、こちらはツアー後に録られたグルーヴの違いを堪能あれ(と、いってもアルバム未収録、例によって『愛がたりない』に収録)
ただいま (1981)

A面「ただいま。」
作詞:糸井重里/作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「I SING」
作詞:矢野顕子/作曲:坂本龍一/編曲:矢野顕子、坂本龍一
1981年6月1日リリース、ヒット曲「春咲小紅」収録のアルバム『ただいま。』(81年5月1日リリース)よりシングルカット
A面アルバムタイトルチューン「ただいま。」はそもそも「春咲小紅」の候補曲というかボツ曲というか、そんな感じのようで同じく糸井重里が作詞、ちなみにアルバムタイトル『ただいま。』も糸井重里案なので「。」とかついてます、ボツ曲とはいえ、こちらの方がいつもの矢野顕子らしいともいえ「春咲小紅」に続いてシングルで出してはみたが残念ながらヒットにならず
B面「I SING」は作曲・坂本龍一というのが珍しい、80年代の矢野顕子のアルバムでは共同プロデュース/アレンジ/ミックス諸々で大活躍でしたが、作曲までやってるのは珍しく、、、、、、えー、、、今となっては色々な意味でファンには涙モノの名曲です
アルバム『ただいま。』の曲でいうと外国人とかDJには「ROSE GARDEN」あたりが人気のようで、これが7インチ化されてたら高騰した可能性も?
あしたこそあなた (1981)

A面「ただいま。」
作詞作曲編曲:矢野顕子/コーラスアレンジ:山下達郎
B面「I SING」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一、矢野顕子
81年11月25日リリース
A面「あしたこそ、あなた」は「春咲小紅」から約10ヶ月後のリリースで(間に『ただいま。』からのカット「ただいま。」を挟む)、YMO3人の演奏に加えて、山下達郎がギターとコーラスを担当、他ではありえない万全の布陣でそれなりにヒットを目論んだと思われるが届かず、その後のアルバムにも未収録、ジャケに記載がないのでタイアップはないと思ってたのだが、カドカワノベルズのCMソングだったと判明、ジャケ裏の「絵にもかけない面白さ」はそのコピーであった、CMは『セーラー服と機関銃』で人気が最高潮に達した薬師丸ひろ子が桃太郎に扮してたようで、話題性も十分であったが、化粧品のCMのようにヒットするのは難しかったようで
B面「あいするひとよ」は翌年リリースされるアルバム『愛がなくちゃね。』のヴァージョンとは違うシングルヴァージョン、こちらの方が最初でアヴァンギャルド、まるでA面は無理してヒット狙いにしたからB面は遊ばせてもらう的な反動のような作品、これは『愛がたりない』というアルバム未収録曲集のCDにも収録されていない(A面「あしたこそ、あなた」は収録されている)、ということで未CD化音源、AB面ともサブスク未解禁
ごめんなさい Oh Yeah (1982)

A面「ごめんなさい Oh Yeah」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「ごあいさつのうた」アルフィー・池田典代
作詞:北田てつや/作曲:岡井大二/編曲:川島裕二
1982年12月5日リリース
A面「ごめんなさい On Yeah」
82年リリースの『愛がなくちゃね。』からのシングルカットは残念ながらなく、ポンキッキ用に作った曲がシングルになる、当然のようにアルバム未収録曲(よってサブスク未解禁、例によって『愛がたりない』に収録)、この頃はポンキッキを見る年齢でもなかったこともあり、長いこと曲の存在すら知らなかったというか忘れてた(サンストで1回聴いたくらいかも)、クレジットがないのだが、ドラムはスティーブジャンセンが叩いてるらしい(おそらく幸宏ツアーで来日時にレコーディング?)
矢野顕子のシングルというよりジャケに[子供向]の表記もあるように、あくまで「ポンキッキ」のレコードなのでB面は矢野顕子の曲ではない

B面「ごあいさつのうた」
アルフィーが「メリーアン」でヒットを出す前だったから引き受けたと思われる、もう1人の池田典代は過去に山下達郎が提供した曲が近年のレコードブームで脚光浴びて再発されていたりする、作曲は元四人囃子の岡井大二、アレンジが元EP-4の川島裕二、他ではありないこの妙な組み合わせはポンキッキならでは?
わたしのにゃんこ (1983)

A面「わたしのにゃんこ」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「みちでバッタリ」
作詞:岡真史/作曲:高橋悠治/編曲:矢野顕子、坂本龍一
A面「わたしのにゃんこ」
NHKみんなのうた用に作られた曲(1983年4月〜5月放送)でアルバム未収録(よってサブスク未解禁、例によって『愛がたりない』に収録)、「ごめんなさい Oh Yeah」もポンキッキ用なので子供向け番組用シングルが続いた
83年は矢野顕子のアルバムが出なかったので、83年の新曲としてはこの曲のみになる
B面「みちでばったり」
アルバム『愛がなくちゃね。』(タイトル・糸井重里)からのカット、選曲はA面に合わせて考慮したと思われますが、12歳で自殺した岡真史という少年が日記に綴っていた詩に高橋悠治が曲をつけて中山千夏が歌ったアルバムからのカヴァーになります、『愛がなくちゃね。』のロンドンレコーディングに参加していたジャパンのメンバーのお気に入りだったそうで、確かに『愛がなくちゃね。』の他の曲に比べてアジアっぽく、西洋にない雰囲気があるので、それが新鮮に聴こえたのかもしれません
それにしても『愛がなくちゃね。』からのシングルカットがないのが惜しい、希望は「愛がなくちゃね。 / どんなときもどんなときもどんなときも」のカップリングですが、その2曲では美味し過ぎるかも、実際はシングルは出さないからアルバムを買ってもらいたいという狙いだったのかなと
Listen to me, Now! (1983)

A面「Listen to me, Now!」
B面「Friends」
作詞作曲:橿渕哲郎
リアルタイムではまだムーンライダーズをちゃんと聴いてなかった頃なので、かしぶち哲郎って誰?状態だったし、アルバム『リラのホテル』の認識はボヤッとしたものだった(サウンドストリートで特集され、別の回でリリースLIVEもオンエアされた)
とにかくここがかしぶち哲郎初ソロアルバム、リリースが当時矢野顕子とムーンライダーズ がいたジャパンレコードではなく、何故キャニオンだったのか気になるが、矢野側がかしぶち哲郎をかっており、ソロを作らせたい的なことが発端なのかと、ということで原盤はヨロシタorやのミュージックと思われ、現在CDはMIDIからリリースされていますが、この2年後のセカンドソロ『彼女の時』もその時のムーンライダーズの所属(キャニオン/TENT)とは関係なくMIDIからのリリースでありました(ややこしいことにムーンライダーズもMIDI立ち上げの時は所属するはずだったのですが)
その矢野顕子全面協力の橿渕哲郎『リラのホテル featuring 矢野顕子』からのシングルカット、このAB面の選曲はベストです!
赤ちゃんのおしり (1983)

「赤ちゃんのおしり」
作詞:糸井重里/作曲:坂本龍一/うた:矢野顕子
オムツで有名なパンパースの83年12月のノベルティ
当時どのようにすればもらえたのか不明だが、曲を知ったのは2002年にリリースされた坂本龍一『Works I-CM』というCDではなかったか(初CD化というか商品化は1989年にリリースされた矢野顕子『On the Air』のようだ)
長いことCMソングだと思っていたのだが、このソノシートを発見して、絵本のようなブックレットがついていたことから、もしかしてテレビでは流れていなかった可能性もあるのかなと、とりあえず矢野作品で坂本龍一作曲というのが珍しいことと、3拍子というのが同年アレンジを手掛けて大ヒットした「めだかの兄妹」を連想させる
坂本龍一『WorksII-TV&Inst』には「赤ちゃんのおしり」のインストが収録されている

終りの季節 (1984)

A面「終りの季節」
作詞作曲:細野晴臣/編曲:矢野顕子、坂本龍一
B面「Assemblee」
作曲:矢野顕子
84年6月25日リリースのアルバム『オーエスオーエス』のボーナスシングル
A面「終りの季節」
細野晴臣『HOSONO HOUSE』からのカヴァーだが、坂本龍一が戦メリの撮影(ラロトンガ島)に行ってる間(82年秋)に細野晴臣と高橋幸宏と共にレコーディング(『オーエスオーエス』収録の「HI, HI, HI」も同様)したとのことで『オーエスオーエス』収録曲の中では最も速く制作された曲となる、ヤノによるホソノカヴァーは他にもあるが、細野サンがアレンジしたのは「終りの季節」だけ? オリジナルよりこちらを先に聴いてしまったせいもあり、こちらのヴァージョンの方が好きかも
B面「Assemblee」
『オーエスオーエス』ラスト曲のショートヴァージョン、当時矢野顕子は趣味でクラリネットを習っており、その練習曲という体でクラリネットパート抜き(楽譜は坂本龍一が書いたと思われる)、本ヴァージョンもクラリネットは矢野顕子が吹いてるわけではなく、プロのクラリネット奏者が吹いている、もともと「ASSEMBLY」はディズニーの番組用に作られた曲のようで本ヴァージョンは長い(6分半)、それがアメリカで何かの賞を獲ったそうなのだが番組名と共に詳細不明
「終りの季節」は『オーエスオーエス』がCD化された時に8曲目として収録され、「Assemblee」の方は長らく未CD化であったが、2016年に紙ジャケリマスタされた際にボーナストラック的に漸く収録された

ラーメンたべたい (1984)

A面「ラーメンたべたい」
作詞作曲:矢野顕子
B面「HI, HI, HI」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:細野晴臣
84年8月25日リリース
アルバム『オーエスオーエス』(タイトル・糸井重里)よりシングルカット、書き込みアリ! それでB面「HI, HI, HI」がカックラキン大放送!!のエンディングテーマとあるんだが、ホントかいな? 書き込みなければ一生知らなかったレア情報、カックラキンは結構観てたが、84年頃はもう観てなかった可能性大

『オーエスオーエス』はほぼ発売日に買ってると思うが、このシングルカットについては記憶が薄い、店頭で見たとしても両面ともアルバム曲なのでスルーした可能性大、シングル発売日はジャケ右上に書いてあったので(この頃よりレンタル対策で記載?)アルバムの2ヶ月後ということが判明、「ラーメンたべたい」が話題になっていた+アルバムプロモーション後押しということで急遽シングルカットしたっぽい、この頃のラーメンといえばラーメンブームなどまだない時代で、屋台か来々軒のような町中華のメニュー、アンド出前(店屋物☜死語)で、あとはインスタントくらいのイメージ、実はこれ単なるラーメンのことだけを指しているわけでもないってことは後からわかることだが、とりあえずラーメンのCMソングにはうってつけだが、おそらく使われてないはず(後年どこかで使われた記憶もあるが失念)
B面「HI, HI, HI」は坂本龍一が戦メリの撮影に行っている間に細野晴臣アレンジ(ドラム・高橋幸宏)で録音された曲、この坂本不在時に録音された曲は他に「終りの季節」(『HOSONO HOUSE』収録曲のカヴァー)がある
矢口博康のアルバム『観光地楽団』に「僕もラーメンたべたい」というアンサーソングもあります
後年、そのものズバリ「ラーメンたべたい」がマルちゃんから発売、そのCMソングにっていうか曲ありきから商品に
Home Sweet Home (1986)

A面「Home Sweet Home」
B面「The Girl of Integrity」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
86年2月21日リリースのアルバム『峠のわが家』 からのプロモーション(放送局)用非売品7インチ
本来このアルバムからシングルカットはなかったため(後に「David」が「花のように」のB面で7インチ化、それからシングルではないがアルバムプロモーション用に「そこのアイロンに告ぐ」のPVが作られた)、ラジオでかけてもらう時の一推し曲がこれだったのか、兎に角これを見つけた時は喜んだ、ないはずのものがあった的な、しかも両面ともアルバムの中でも好きな曲、よくぞコレを選んでくれましたって感じ、7インチ集めの中でプロモ盤という存在がクセモノ、通常のディスコグラフィには載ってないものが他にもあるんじゃないかと色々期待してしまうからヤメラレナイ
愛がたりない (1986)

A面「愛がたりない」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一、矢野顕子
B面「やがて一人」
作詞:藤富保男/作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一、矢野顕子
86年11月1日リリース
アルバム『峠のわが家』は86年2月発売、そこからのシングルカットはなかった、そして秋頃に特にタイアップということでもなくシングルがリリースされた、両面ともドラマーは同時期に坂本龍一MediaBahnツアーに参加したバーナードデイヴィスが演奏、というか彼のような海外の良いドラマーが日本にいるうちに何か録音しちゃえ的なことだろうか、翌87年に『GRANOLA』という次のアルバムがリリースされるわけだが、そこでは同じく87年の坂本龍一NEOGEOツアーに参加した(元はといえばYMO散開ツアーに参加した)ドラムのデイヴィッドパーマーが参加している、来日してもらってツアーだけじゃなくて、いい機会だからレコーディングもお願いっていうパターン
ということで、A面「愛がたりない」は翌年のアルバム『GRANOLA』には収録されず、B面「やがて一人」は詩人の詩に曲をつけちゃうシリーズで後にアルバムミックスで『GRANOLA』に収録された(シングルミックスは『MIDI SINGLES 3』に収録)
「愛がたりない」のようにシングルのみのアルバム未収録曲はCD『愛がたりない』にまとめられ、95年にリリースされた
86年末のNHKのLIVE特番に矢野顕子が出演(「愛がたりない」も演奏)、バックは坂本龍一 / 高橋幸宏 / 小原礼 / 窪田晴男、これがそのまま翌年のGRANOLAツアーメンバーになった
花のように (1987)

A面「花のように」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一、矢野顕子
B面「David」
作詞作曲:矢野顕子/編曲:矢野顕子、坂本龍一
87年11月21日リリース
B面に「David」が収録されていることから『やっぱり猫が好き』というフジテレビの深夜にやってたドラマの主題歌に使われたタイミングでこのシングルがリリースされたかと思ってたが、今回確認したら違って、このシングルが出た時点ではまだ番組は始まっていなかった、結局初出『峠のわが家』 の「David」は86年、このシングルは87年、『やっぱり猫が好き』放送開始が88年、その主題歌のCDシングル(カップリングは『WELCOME BACK』より「Watching You」)としてリリースされたのが90年、ということであった

A面「花のように」はグリコのCMに使われた杉浦幸への提供曲(87年6月10日リリース)のセルフカヴァー、同時発売のアルバム『GRANOLA』にも収録
ジャケデザインは引き続き立花ハジメなのだが、『峠のわが家』や『GRANOLA』の流用ではなくシングル用の撮り下ろしゆえ、カメラマンやスタイリストのクレジットがほしかったところ