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「親だから」の先にある、その人との御縁

    枕経の際、僕はご家族に故人のお話を伺います。

    どこで生まれ、どんな仕事をして、何が好きだったのか。どんなお人柄だったのか。そうしたお話を聞いたあとで、もう一つ尋ねることがあります。

    「あなたにとって、故人はどんな存在でしたか?」

    この問いには、すぐに言葉が出てこないこともあります。

    親、子ども、兄弟姉妹。関係を表す言葉はあっても、その人が自分にとってどんな存在だったのかは、少し違う話だと思います。

    僕が考えていただきたいのは、その方との御縁によって、自分に何が残っているのか、何が広がったのかということです。

    一緒に過ごしてきたことが、自分の人生にどんな影響を与えているのか。身近な人だからこそ、あらためて考える機会は少ないのかもしれません。

    枕経の場には、故人のお子さんだけでなく、ご兄弟やご姉妹も集まることがあります。

    そこで、子どもの頃はこうだった、と幼少期の話が出てくる。お子さんにとっては、自分の知らなかった親の姿を聞くことになります。

    反対に、大人になってからの故人について、お子さんが話してくださることもあります。その話を、一緒に育ったご兄弟やご姉妹が聞いている。

    「そうだったの?」

    同じ人の話をしていても、一緒に過ごした時期や関わり方が違えば、知っている姿も違います。

    お互いの話を聞くことで、自分の知らなかった故人の一面に出会うのです。

    以前、ご自身にとって故人は反面教師のような人だった、と話してくださったお子さんがいました。

    一方、ご兄妹のお話からは、故人はその人なりに、いつも子どものことを思い、一生懸命に自分のやり方で向き合ってきたのだと伺いました。

    ただ、不器用だったのだと。

    お子さんも、その思いはわかっていたようです。それでも、世代による考え方の違いなどから、すれ違うことが多かったそうです。

    そのお子さんはあるとき、故人からこう言われたことがあったと話してくださいました。

    「もう、あなたに伝えられることはない」

    そのときには、年を取ったのだな、と思ったくらいだったそうです。

    けれども、故人はご兄妹や友人には、こんなことを話していました。

    「あいつはすごい」

    お子さんは、その人なりに自分の背中を押してくれていたのだと気づいた、と話してくださいました。

    親子で直接向き合っていたときには、伝わりきらなかったこともあったのかもしれません。

    周りの人の話を通して、かつて聞いた言葉を、違う意味で受け取ることができたのだと思います。

    反面教師のような存在だったという実感も、すれ違ってきた時間も、その方にとっては本当のことです。

    それがなくなるのではなく、そこに、自分の知らなかった親の姿が加わった。僕は、このお話をそのように受け止めています。

    ただ、こうした思いを、すぐに言葉にできる方ばかりではありません。

    人に話す恥ずかしさや、まだ気持ちが言葉にならないこともあると思います。言葉が出ないからといって、その方との御縁が薄かったわけではないはずです。

    実際、枕経のときには答えられなかった方が、お葬式当日には、ご自身の言葉で話してくださることもあります。

    その場ですぐに答えを出していただきたいのではありません。

    故人との間にどんなことがあったのか、ご自身の中に何が残っているのか。そうしたことを考える時間を、大切にしたいと思っています。

    葬儀の場で、故人への思いや感情、考えを言葉にする。それは、その人との御縁を、目に見える形にすることでもあるのではないでしょうか。

    「親だった」「兄だった」「親戚だった」。その関係の中で、自分はどんな時間を過ごし、何を受け取ってきたのか。

    自分に残っているものを見つめると、関係の名前だけでは伝えきれない、その人とのつながりが見えてくるように思います。

    そして、そのつながりを考えることは、これから自分たちがどう生きるのかを考えることにも続いています。

    その人との御縁で広がったものを、これからどう大切にしていくのか。自分の中に残っているものと、どのように生きていくのか。

    葬儀は、故人を見送る場です。僕はそこを、故人との御縁を見つめながら、残された自分たちの人生についても考える場にしたいと思っています。

    もちろん、こうしたことを考えるのは、葬儀のときだけでなくてもよいはずです。

    家族は、自分にとってどんな存在なのか。

    「親だから」「家族だから」という言葉の先にあるものを、日頃から少しずつ考えてみてほしいと思います。

    しょうえい


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