
それを維持するコストまで計算してこそ、楽園を築く理論と言える。
過去回を貼り出すことからはじめる。180回中の第1回目で、私の一番得意な分野と次に得意な分野がかけあわさった話だ。



今回は、前回の内容を受けた上で、2つの得意分野をかけあわせてみようと思う。
私たちが覚えておくべきなのは、見学ツアーに行っても残念ながら遭遇できなかった野生動物のことではなく。実体験でなくとも、以下のような情報の方なのかもしれないが。

私たち人間は「それ」だけではない。他の生物に比べ、あらゆる方向にもう少しだけ、拡張し得る存在だ。
そのような存在であるからこそ。私たちは、私たちの偏見(ポジティブなものであろうがネガティブなものであろうが)について認識しておくべきであるし。必要に応じてそれに抵抗すべきでもある。
ヒトラーは、常に枕元に『君主論』をおいていたと言うが。
一部の学者らはこのように考えている。マキャベリは、読者に言葉をそのまま受けとってもらうことを意図していなかった。『君主論』は実際には風刺的な作品で。あれは警告の類(権力が抑制されないとどんなことが起こるか)だった。

古代ローマをモデルに、新たな秩序や制度や生活様式を構築する能力について考察する中で。マキャベリは、政治的対立の生産性について語った。貴族側の元老院と平民側の護民官間の対立を再考し、混合的な存在論を構築することを示唆していたのだから、彼は二元構造のアポリアを克服しようとしていたのではないか。

ヨルシカの曲?そうだね、『チ。』に使われた曲のタイトルだね。行き止まりを意味するギリシャ語で。解決の糸口が見えない難題だとか問題解決能力の欠如だとかを表してもいる言葉。


制度間の対立の蔓延が秩序の全体的な性格を決定する。つまり、誰に有利な世界かを決める。
マキャベリ的な特徴をもつ存在論は、対立を、多様性を組織化する手段・調停の0段階としてとらえる。分離とは部分Aや部分Bを組織化することーーこんな感じ。

秩序に対する覇権をめぐる対立が繰り返されて構築される、次の段階があるということでもある。
衝突の幾何学。構造化という非中立的な概念。各部分の特徴的な記号。部分間の力関係。
衝突という部分間の関わりあいを経て、再結合や共存や存続があり得る。これは三元論……いや、混合だ。
他の人たちが、どう読んでどう感じたかは知らないが。

10代の頃、マキャベリが神秘的な表現をさしこんできた部分を読んだ私は、結局この人も目に見えない力の話をし出した・みんな「神」を必要としているのだと思った。
それは、彼に対して矛盾を見出すところなどではなかったのかもしれない。そこから考えはじめるためのタネ・大事なカギの1つだったのかもしれない。

単に、読解力がなかったと言うより。違和感を放置した私はセンスがなかった。楽な方(他人をわかったような気になること)へ逃げた私は、クリティカル・シンカーとは程遠い存在だった。
Uncanny Valley(不気味の谷)について。
前回も、これ系の話を少ししていた。

私は観ていないし、不気味の谷系作品ではないと思うが。ホラー好きの友人曰く、『Banshee Chapter』という映画がいい感じに不気味らしい。
バンシーはアイルランドとスコットランドの民話に出てくる妖精で、人の死を叫び声で予告する。実際にあったむごたらしい虐殺事件:スコットランドのグレンコー村(意味は嘆きの峡谷)で、ある氏族が皆殺し(?)に。その前夜は、この妖精が特に泣き叫んでいたと言い伝えられている。これからとったのだろう。
不謹慎だが、イケてるタイトルだ。邦題もまんまでよかったのに。

超低予算で製作されたと言うこの映画↓、なかなかおもしろいよ。こちらはハッキリと不気味の谷作品だ。深い考察をするような内容ではないが。ラストどんでん返し系で、全容がわかった上で見返したくなる。

こういうデーターがとられたことがあるようだ。
死体よりもゾンビ(動く死体)の方が不気味。だろうね。動く人型ロボは不気味がられていない。かなり不気味がられているのは義手だ。作動する義手は死体よりも不気味がられている。

予測不可能的な理由で。言うならば、生物か無生物かわからない領域が嫌なのだろう。猛獣なら猛獣として・ロボットならロボットとして、警戒なりなんなりすることができる。
この領域は可変的なものである。人々の感覚は変わる、さまざまな影響で変わる。それゆえ、結局、生物か無生物かという話ではなくなる。
その枠代表と言えるであろういわゆる犬型ロボットを、今観ても。何年か前より不気味に感じなくなっているはず。ある程度見慣れて。初見よりは確実に、ギョッとしなくなっているはずだ。
子どもたちは大人たちよりも、人型や動物型ロボットに抵抗感をもたない傾向にあるだろう。生まれた時から世界がこのようであれば、当たり前のことになりやすいため。
2025/10/29に出たこのCM↓を観てほしい。
ノスタルジックな雰囲気の映像をさしこんでいること・全体的にナチュラルな色みで構成されていることは、絶対にわざとで。人々から親しみやすいと感じられるよう、工夫している。
「新しい」を「古い」で相殺しようというのは、安直すぎて滑稽に感じるかもしれないが。これはワークする。
マルボロはそれをカウボーイに決めた。実際、マルボロと馬に何か関係があるか。ない。だが、イメージは人々にしっかりと植えつけられる。

話を戻す。
家庭用ロボット「NEO Home Robot」を販売するのは、ノルウェー発のスタートアップ企業。今の円で300万近くで購入するか・毎月約7万円でレンタルするか、選べる。
洗濯物をたたんだり散らかった物を片づけたり、してくれるらしい。
身長168cm 体重30kg。器用に動く手指。冷蔵庫より静かな動作音。やわらかな樹脂でおおわれたボディー。自然色のカラバリ。

手頃 便利 安全 自然 と、とりそろえても。狭い家には普及しないけれどね。




私はマシーンのことはぜんぜんわからないが。マーケティングに関して、会議室で一部どのような話しあいがなされたか。また、どういう類の専門家からヒヤリングしたか。それは手にとるようにわかる。






結局、何の話かって?超ざっくり言って、本能にうったえかけるコントロールの話だ。

「可変的な不気味の谷」の話の途中であることを思い出して、続きを読んでほしい。
日本にはわかりやすい例があっていい。ミギーは不気味キャラか。否。愛されキャラだ。読者らは彼が「義手」ではないことを知っているからだ。

(イントロで書いた)用心しておいた方がよいという法則以上に、読者らが彼の「人間性」を信頼しているからだ。

ある学者が言っていた。人間に似ているものの、親しみやすさを喚起するにはいたらないロボットは、不気味な生物のように見えることがあると。
このロボットも人の心理を考えてうまくつくられているに違いない。この子たちを不気味だと思う人はそうそういない。

笑い話も入れないとな。
ヒール靴をはいて踊る彼女に体幹すご!と思うこと・この曲をかけると全赤ちゃんが泣き止むという伝説(笑)にばかり気がいって、見落としてしまいそうだが。このビヨンセは、マシーンの左手と左手薬指をもっている。

流れ的に。こういうこと↓も見せかけだパフォーマンスだと、私は言うべきなのかもしれない。だが、思いもしないことを言うわけにもいかない。彼女はすばらしい行いをしている。

大学に通う女性たちを支援したり、東アフリカの国に衛生設備を備えたりと、彼女はさまざまな慈善事業にたずさわってきた。
このような研究結果もある。
人々から 人間に近い × 不気味 と思われたロボットは、想像上の社会的相互作用のスコアが低く、感情表現の認識が困難なものであった。
不気味の谷仮説やメディア方程式仮説を裏づけるものとなっているわけだ。

意味がわかるだろうか。おそらく私たちは、集団の利益に貢献しないこと~それを損なうことが予想されるもの・何をしでかすかわからない得体の知れないものが、嫌なのだ。
仮面ライダーやウルトラマンが、英雄的行為をしたりアタシを悪から守ったりしてくれないのなら。特に女性は、彼らをキモ……ブキミだと思うかもしれない。これはまじめな話だよ。
私が好きなのはあらゆる生物であって、昆虫×人間のような姿に変身して・常人ではあり得ないパワーを出せる成人男性ではない。仮面で表情もうかがえないし。

私は『シン・ウルトラマン』でしかウルトラマンを知らないが。彼を最高にカッコイイと思った。理由はもちろん、見た目や力そのものではない。

文化人類学に熱心に向きあう様子に感動した。
動画をお借りする。
トーマス・リゴッティ「全ての超自然的な恐怖は、私たちがこうあるべきだと信じていることと、こうあるべきではないと信じていることから生じる」
米国のホラー小説家だ。過去回でとりあげたことがある。


ジャスティン・バーネットという人が書いた『傀儡王とその他の贖罪』(14篇の短編集)に、興味深い一節がある。この後、紹介する。

Justin A. Burnett
彼の作品のジャンルはコズミック・ホラーなどと呼ばれるもので。宇宙や超常的な存在と対峙した時の、人間の恐怖や孤独感をあつかう。得体の知れないものや理解できないものの恐ろしさーー人類に対する非人間的な影響・運命と必然など。
私たちは見る。見たいもの・見ていても耐えられるものを。私たちは見ない。認識したくないもの・知るのが恐ろしいものを。
私たちは、自由に動き回り・いつでも好きなことをすることができると、基本的には信じている。また、私たちは、自分たちだけで何とかやっているとも信じている。


運命か必然かというのが怖いと。私は半分わかるし半分わからない。
探っていくと物事の流れが見える時、運命に見えたものの何割かからはヴェールがはがれ、必然だったことがわかる。実験と同じだ。
思いこみかもしれないけれどね。いくばくか、ましな気持ちにはなれる。

人はこの世の一部を把握することができるし。全てを解き明かしたりなど永遠にできないため、探求が無限に続き得て楽しいのだし。

本当に申し訳ないが。バーネット氏の文章を私が少し要約して紹介する。彼の言葉のままでは、難解で理解されない可能性があるため。主旨は違えないと約束する。

人形は、無生物の中で最も人間的であると言うか、人間よりも人間的である。誕生のトラウマに着眼する時、人形の苦しみは人間のそれを凌駕するからだ。生まれた後、人形は代理として生きる。人形は「観客」の夢であり、逆に「観客」は人形の夢である。未完成な人形というものは、人間のはかない性質にあこがれることしかできないし。人形は「私たちのかたち」に閉じこめられているにもかかわらず、死という空虚さをおびてもいる。人形は究極の別物である。神のような存在とも言える。私たちの分身。根本的に外化された私たちの死んだバージョン」
深い。私は、逆立ちしてもこんな言葉をつむぎ出せない。
リゴッティも言っていた。操り人形は、心や意志をもった操り人形 = 人間の、操り人形だと。アンデッドよりも人形の方が、人の正気を乱すパラドックスを含有していると。







カナダ総督文学賞を2度受賞したマーガレット・アトウッド。彼女の『マッドアダム』という作品において。

未来は、キノコ雲も天使のトランペットも救済への英雄的なカウント・ダウンもなく、到来する。文明は、実験室で小さな実験が1つ失敗するように、静かに淡々と終わる。
『ループ』みたい?『ループ』の方がおもしろい(主観)。小説を読む時間がない人へ、解説してくださっている動画をお借りする。

アトウッドの黙示録は、上からの審判ではなく下からの最適化で、起こる。
再度、前回から。


彼女のビジョンが典型的なディストピアと異なるのは、反乱を神話化していない点だ。作中に特定の革命家は登場せず、多くの目撃者たちだけが存在する。口調はドライだが、彼女は道徳的な説教をしない。

破滅の後に起こるであろう再生は、たしかに、救済云々でなく地球の機械的なプロセスだ。
登場人物たちは救済されるのでなく、ただただ生き残る。彼ら彼女らは英雄などではなく、滅びた世界の生き証人にすぎない。


あ、これ↓は救済だよ。


この物語は、国境の壁を強固にすることを望むような人たちにとって、リアル感のあるストーリーなのだろうよ。

危険なウイルス・猛暑・治安の悪さなどから身を守るための「箱舟」は、現に、世界のいたるところで築かれているもんな。

物語の冒頭で巨人が現れること・虹は天候の武器に近く幸せのアイコンからは遠いこと・7つがい説などは、一般的に知られていない。
創世記6:20で。神はノアに、陸生動物はそれぞれ2匹ずつ来ると告げているが。7:2-3では。全ての清い動物と鳥をオスとメスで7つがいずつ・清くない動物をオスとメスで1つがいずつ連れて行くようにと言っている。
これは大しておかしくない。追って、詳細を伝えるーーというやつだ。自発的にノアのもとへやってくる生物夫婦の話と、ノアがさらに乗せる生物たちの話は、別の話だ。
ヘブライ語原文から。7匹ではなく7ペア(14匹)だと推測できる。7匹の方だったら、パートナーがいない1個体がいることになる。よかったねと思うだろう。
「そこでノアは主のために祭壇を築き、あらゆる清い動物とあらゆる清い鳥をとって、祭壇の上で全焼の供え物をささげた」(8:20)
え……じゃあ、14匹中の最低1匹は犠牲になって、パートナーのいないオスかメスが……
この部分からは目をそらそう。急いで「こんな歌」は止めて、ビヨンセの明るい曲を脳内で再生しよう。All single ladies All single ladies ~♪


オリーブの枝をもち帰ったハトの親族も、祭壇で焼かれたわけだ。ハトはカラスとは違って、清浄な動物だから。

いや、私は見て知る。イントロでした『君主論』の話を思い出してほしい。神話のこういう部分に大嫌いだとなる、そんな誤ちを私は繰り返さない。私はもう熟慮することができる。
この歌はすばらしいけれど(皮肉なのだろうし)。私はこのフェーズを超えたからな。
先週、ここへ行った。
木漏れ日のテラスで。複数のワンちゃんと飼い主さんらが、それぞれ幸せそうにしていた。左には、赤ちゃん連れで旅行に来ているご夫婦がいた。右には、日本文化の教科書のような分厚い本をもったカップルがいた。
いつもどおり私は言った。世界のパーツパーツが幸せそうだと私も幸せだと。私の人生は私が主役であるため、他は全て世界の構成パーツだ。(あなたの人生はあなたが主役であるため、私を含む他は全て世界の構成パーツだ)。彼が笑いながら言う。でもモブなんて呼んじゃあダメだと。じゃあ背景。背景もダメ笑。
最小で最大の幸福だ。
目の前の鉄柵にカラスがとまった。本当に美しかったため、美しいねと話しかけた。彼か彼女が私を見てきて目があった。





思考や想像を止めるべきではない。
箱舟には、清い動物と飛ぶ生物の方が汚れた動物と飛ばない生物よりも、ずっと多く乗っている。
この理由は明確に書かれていない。来た。自分で考えてみる箇所だ。

「清い動物」には、家畜に分類される動物が多い。
大洪水後の数ヶ月、ノアの家族は陸地から食料を得ることができない。生き延びるには、また作物を植えたり育てたりできるまで、それらを食べる他ない。
飛翔生物は、大洪水後の世界の環境を整備するために、多く乗っている可能性。より速くより広く。飛翔生物は、島などの遠隔地にも到達できる・排泄物を通して種子を散布できる。
鳥類の消化器系を通過した種子は、通過しなかった種子よりも、生存率が370%高いという研究結果がある。

その後、ノアは、子どもの内の1人を「永遠の奴隷」にする。
世界を偵察するために放たれたカラスが二度と戻ってこなかったことは、まったくもって不思議ではない。白い友だちがどうなったのか、知っていたのだろう。人間の行いをどこかから見ていたか。

アトウッド作品に教訓があるとすれば。人類社会の終焉は罰ではなく結果。我々は、自らの成功の副作用的な失敗の結果(これが最適な表現だと思う)、エンディングをむかえる。こんな感じだろう。
信徒の中でさえ意見にくい違いが出る時、個々人の読解力や想像力には差があるということを実感する。そのこと自体を問題だとは思わないが。異なる見解をもつ者どおしで、いがみあったりしてしまうかもしれない。それは本末大転倒だ。
楽園を築く論理は、それを維持するコストも計算するはずだろ。それをしないでいて、世界の終わりがやってきてショックを受けるだなんて、おかしいだろ。ロボットが人類に反乱を起こす?論点ずらしの極みだろ。
めずらしく次回予告を。次回は黙示録について書く。オリジナリティーのある文章にできるよう、努力してみる。
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