
第354話:排除と対話
8月5日の朝日新聞に5人の首相のフレーズのランキングが載っていたが、そのうちの石破首相と高市首相を切り取ってみた。

前の記事で高市首相が自分で「高市内閣」と口にするのが気になると書いたが、ランキングではやはり1位になっている。
石破首相の1位は「私どもとして」。「ども」は謙遜の接尾語。自民党の議員数もバックの力も違うからそれだけでどうこう言えるとも思えないが、二人の「顕示」と「謙遜」の違いを表していると言えば言えなくはない。
全く個人的に言えば石破首相の方が好きだった。それは至って感覚的な好き嫌いのレベルの話であるかもしれない。が、今の政治の突っ走り方には危険を感じる。「決まらない政治」という言葉が懐かしいくらい・・?
国家情報局設置、国旗損壊罪、防衛装備移転5類型撤廃、非核三原則の見直し。熟議が必要なものがポンポンと決まっていく。しかも議論を重ねず数がそれを押し切ってゆく。キックバック議員の復活、皇室典範の改正、挙げればキリがない。
憲法九条2項はどうなるのか?どこに連れて行かれるのか不安は尽きない。
自分の思いを実現するのも大事だが、国は個人のものではない。立ち止まり、引き返すことも大事だろう。
あの前代未聞の石破辞めるなデモは、少数与党、旧勢力の圧力の中で右往左往しながら迷う「人間」石破茂への応援メッセージであったかもしれないし、今の政治のような専制的な保守への傾斜の匂いを予見した憂慮であったかもしれない。石破首相もかつては超鷹派だったが・・。
民主主義とはなんだろうか?
人情劇でもないし、きれいごとだけでも成り立たない。
でも、対話を重ねる意味はある。
例えば、そういう意味で印象に残った二つのNHKスペシャルを思い出す。
一つは「混迷の世紀:第9回:ドキュメント国連安保理 〜密着・もうひとつの戦場〜」(2023年2月19日)。
国連の機能不全が叫ばれる中でシリアへの支援継続に対するロシアの拒否権発動を必至の交渉によって抑えた人々の姿が描かれる。
ドキュメントに挿入されたポール・ケネディ氏への言葉には、排除ではなく対話への模索の必要性が滲んでいる。
(要約)国連は猛獣たちを留めおくためのサーカスのテントのようなもの。猛獣を野に放てば何をするか分からない。それは第一次世界大戦の反省。対話の機会を維持し続けるのが国連の役割。
チャーチルの言葉も。
交渉は、常に、戦争よりましだ
世界は今、猛獣が荒れ狂っている。
排除しない努力・・。
日本はどういう道を歩むのか?
もう一つは「未完のバトン:第2回:秩序なき世界 日本外交への遺言」(2025年5月4日)。
冷え込む日中関係の中で日米同盟を基軸としながらもアジア諸国との関係づくりを重視する隣交という考え方を展開した政治学者・五百旗頭真の存在を描いていた。
小泉首相の靖国神社参拝批判
村山談話を封じ込めたかった安倍首相への諫言
田母神航空幕僚長の歴史認識への批判
現実を踏まえた外交の必要性の提言、対話の重視、本音の議論、信念を貫く強さが印象的だった。そういう人が政権には必要だろう。
戦略的互恵関係という言葉をよく耳にする。事前の外務事務次官による日中関係のあり方の議論の中で生まれ、2006年の安倍・胡錦濤首脳会談で初めて使われたということだが、その背景にはこの五百旗頭真の存在があったと番組は伝えていた。
実は、この言葉にずっと違和感があった。
戦略は、もともとは「戦いに勝つための方法」であって、その作為性が互恵という言葉の温かさ?とどうしても矛盾するように感じられたからだ。
ただ、このドキュメンタリーを観て、現実をなんとか打開する対話の努力がこの言葉のねじれに現れているような気がした。(実際の経緯はこちら)
敵を作れば、敵は敵になる。
僕は政治に詳しいわけでもない。ここに書いたことも正確さを欠いた未熟なものなのだろう。
ただ長い教員生活を経て、生徒たちに何を伝えるかという視点で考える「癖」があって、それが軍備増強が抑止につながるという考え方に違和感を持たせる。
子供たちに「銃を持って身を守れ」、もちろん「人を殺せ」とは言えない。「排除せず対話をしなさい」と誰もが伝えるに違いない。
甘っちょろいと言われそうな気もする。実際にどうすればいいかわからない厳しい国際情勢である。でもだからこそ言葉を尽くして対話し交渉するのが人間であろうと思いたい、と僕は思う。
◾️土竜のひとりごと:第354話