
あの世で、仲良く:エピローグ
上記のエッセイでは、主に父が愛犬のスクラフィに抱いていた深い愛情に焦点を当てました。
ここでは、スクラフィに食事を与え、毛並みを整え、何よりも献身的に世話をしてくれていた人物、つまり母について書きたいと思います。
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母は小学校の教員免許を取得していましたが、専業主婦であることを望んでいました。
幸いなことに、1960年代のアメリカでは、中産階級向けの結構多くの職種において、片働きでも家族を養えるだけの給与が支払われており、父は母のその希望を叶えることができました。
子供の頃、学校から帰ると母が家にいて、手作りのおやつを提出し、学校での出来事について尋ねてくれるのが嬉しかったものです。今振り返ると、帰宅時に母が必ず家にいてくれるという安心感は、若き小生の心の大きな支えとなっていました。
母は小生が生まれた後に教職を離れましたが、小生と妹が中学生になってからは、ロサンゼルスにある400以上の小学校のいずれかで、時折、代用教員として働くようになりました。ある日、母は甥っ子 (こちらから見ると、従兄弟) が通うクラスに派遣されました。教室に入って教卓にいる叔母の姿を目にした従兄弟は、あまりの驚きに呆然としてしまったとのこと。
それで、思い出した。ちょっとした余談を許してください。
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小学校の同級生の一人、ブライス (仮名) の母親も代用教員をしていました。偶然にも、ブライスの母親と小生の母親は、体格や顔立ち、髪型がよく似ていたのです。
小学3年生のある日、担任の先生が病気で休んだため、ブライスの母親が代わりに授業を受け持つことになりました。授業中に質問があって手を挙げた際、若き小生は “Mrs. 〇〇?” と尋ねるべきところを、うっかり “Mom?” と呼んでしまったのです。そのせいで、その後何週間にもわたって、クラスメートから容赦なくからかわれることになりました。
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小生と妹が大きくなって家を出た後、母は短期間、事務でパート勤務をしていました。とはいえ、人生の大半は専業主婦として過ごしました。それは、母が好んだ穏やかな暮らし方でした。
こちらの知る限り、母の毎日の日課は次のようなものでした。
・早起きして父の朝食を作る。(小生と妹は、準備のいらないシリアルを好んで食べていた。)
・我々子供が学校へ持っていく昼食を用意する。昼食はサンドイッチ、果物、缶入り飲料という内容でした。時折、お楽しみとしてポテトチップスの小袋を添えてくれることもあった。
・夫と子供がそれぞれ仕事・学校へ出かけた後に、自分自身の朝食をとる。
・食器を洗う。
・シャワーを浴びる。
・洗濯や家の掃除をする。
・ミステリー小説や伝記を読む。週に一度、食料品の買い出しに行く。
・昼食をとる。
・読書をしたり、クッキーやパイ、ケーキを焼いたりする。
・学校から帰ってきた小生と妹を迎える。
・夕食の準備をする。(ただし、ほぼ毎週金曜日、父は家族を夕食に連れ出してくれた。)
・仕事から帰ってきた父を迎える。
・夕食を出す。
・食器を洗う。
・テレビでドラマを見る。
・深夜0時頃に寝る。
そうして60年以上にわたり、静かに、そしてこれといった波乱もなく、歳月は過ぎていきました。
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母の人柄を説明するとすれば、次のような点を挙げます。
・愛情深い・快活・前向きな考え方をする・親切・穏やか・忍耐強い・物腰が柔らかい・聞き上手・信頼できる
総じて、素晴らしい人柄。父同様。
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両親は長く、概ね健康な人生を送り、二人とも100歳に近い同じ年齢で亡くなりました。
父は認知症の兆候こそ見られたものの、亡くなるその日まで自分の足で歩くことができました。一方、母は最期を迎える少し前に歩行能力を失いましたが、意識は最後までしっかりしていました。二人とも、息を引き取るその瞬間まで普通に会話ができていました。実にたくましい二人でした。
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天国の「生物」は皆、言葉ではなくテレパシーで意思疎通を図っていると確信しています。そうだとすれば、今まさに両親は、天国での最初のキャンピングカー旅行の行き先について、スクラフィと相談していることでしょう。
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I love you so much, Mom. Adieu, until we meet again.