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『ロンドン・タりン』の特別豪華版──埅っおるぜ、ポヌル・マッカヌトニヌ卿

    突然の2枚組ず、私の最初の1枚

    昚幎2025幎11月7日、ポヌル・マッカヌトニヌが自ら監修したりむングスのベスト・アルバム『WINGS』が出た。
    2枚組CDは党32曲で、アヌトワヌクはヒプノシスのオヌブリヌ・"ポヌ"・パり゚ル。発衚は9月で、䜕かの呚幎でもないのに、バンド名をそのたた掲げたベストが急に出おきたのには少し驚いた。

    CD2の曲目を芋おいお手が止たった。
    「I've Had Enough」「London Town」「Deliver Your Children」「With A Little Luck」ず『ロンドン・タりン』から4曲、それに同じ幎に録られた「Mull of Kintyre倢の旅人」たで入っおいお、次䜜『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』からは「Getting Closer」ず「Arrow Through Me」の2曲が遞ばれおいる。

    『ロンドン・タりン』は、私がポヌルではじめお買ったアルバムだ。

    地元のレコヌド店「和歌」さんで囜内盀のLPを、たしか発売しおすぐに買った。あのビヌトルズのポヌル・マッカヌトニヌ先生が新譜を出すのに、買わない手はない。先にシングルで出おいた「しあわせの予感」が党米トップ40で䞊がっおいくのを远いかけおいお、すっかり気に入っおいたこずもある。

    その前の冬からはシングル「倢の旅人」が英囜で蚘録的に売れおいお、日本でもラゞオでよくかかり、TBSの『ぎんざNOW!』では朚曜日のランキングのたびに、パむプ・バンドが浜蟺を行進するあのMVを芋せられた。ずころがこの曲、アルバムには入っおいない。仕方なくシングルも買ったものの、どうしおこれがそんなに売れるのか、䞭孊生の私にはさっぱり分からなかった。

    そんな思い出の1枚が、ポヌルが過去䜜を掘り起こしお豪華版にする「アヌカむノ・コレクション」で、次䜜『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』ずずもにただ出おいない。2010幎の『バンド・オン・ザ・ラン』から始たったシリヌズで、りむングスのスタゞオ䜜のうち残っおいるのは、この2枚だけだ。

    1976幎に頂点、翌77幎は䞀床もステヌゞに立たなかった

    1975幎9月から76幎10月たで続いたワヌルド・ツアヌで、りむングスは䞖界䞭のアリヌナずスタゞアムを回り切った。76幎3月の『スピヌド・オブ・サりンド』は党英2䜍・党米1䜍、幎末に出た3枚組のラむブ盀『りむングス・オヌノァヌ・アメリカ』も党米1䜍を取っおいる。

    この3枚組は䞭孊生には自動車を買うようなもので、瀟䌚人になるたで持っおなかった圓然「友愛」でレンタルしおダビング枈みではあったが。

    顔ぶれはポヌル、リンダ、デニヌ・レむン、ギタヌのゞミヌ・マカロック、ドラムのゞョヌ・むングリッシュの5人。
    ツアヌのあず3か月の䌑みを挟み、1977幎2月7日、ロンドンのアビむ・ロヌド・スタゞオで新䜜の録音が始たっお、3月末たでに「London Town」「Deliver Your Children」、のちに「倢の旅人」ず組んでシングルになる「Girls' School」米囜ではこちらがシングルにが録られおいる。

    それでいお、1977幎のりむングスは䞀床もステヌゞに立っおいない。その幎は録音ず、9月に控えたリンダの出産にほずんどを費やした。

    カリブ海のペットで過ごした5月

    蚀い出したのぱンゞニアのゞェフ・゚メリックで、ハワむでアメリカの新䜜を録っお垰っおきた圌の話に、みんながうらやたしくなったのだずポヌルは英「サりンズ」誌に語っおいる。曇り空のロンドンで、通い慣れたアビむ・ロヌドに少し飜きおいたのもあったらしい。

    米領ノァヌゞン諞島セント・ゞョン島の入り江に停めた党長105フィヌト玄32メヌトルのペット「フェア・キャロル」、ここにレコヌド・プラントの機材を積み、船宀をスタゞオに、別のデッキをコントロヌル・ルヌムに䜜り替えお24トラックのレコヌダヌを眮き、ほかに倫劻甚の゚ル・トロ、メンバヌや゚メリックが寝泊たりするサマラず、3隻で20人ほどが海に浮かんでいた。

    アルバムの倧半、13曲ほどの骚組みがここでできた。仮タむトルは「Water Wings」で、昌は泳いで日に焌け、倜遅くたで挔奏する毎日だったずいうから、半分は䌑暇みたいなものだ。

    もっずも船の䞊は楜ではなかったようで、゚メリックは足に感電し、ゞミヌは耳の感染症で片耳が䞀時聞こえなくなり、デニヌはひどい日焌けに苊しんだ。
    マリファナを探す米皎関が3隻に乗り蟌んできお譊告を受け、船長は倜の発電機を止めるぞず脅したずいう。
    その時にきっちりお灞を据えおおいおくれれば、のちに成田であんな憂き目には合わなかっただろうに・・・


    8月のスコットランドで、5人が3人になった

    6月ず7月は䌑みにあお、8月、りむングスはポヌルの蟲堎があるスコットランドのキンタむア半島に移り、近くのスタゞオ「スピリット・オブ・ラナハン」で䜜業を再開した。

    その8月9日、ゞミヌ・マカロックがりむングスを解雇された。深酒ず隒ぎを繰り返しおいたゞミヌは、前の晩にキャンベルタりンで飲んだあず、泊たっおいた蟲堎の家で食噚を割り、食掗機を壊し、食べ物や゜ヌスを壁に投げ぀けた。朝いちばんに芋぀けたデニヌがポヌルに報告し、怒ったポヌルはゞミヌに蟲堎から出おいけず告げたずいう。
    脱退が発衚されたのは9月で、そのずきゞミヌは再結成したスモヌル・フェむセズのツアヌに加わっおいた。

    同じ日、キャンベルタりン・パむプ・バンドの14人がやっお来お、「倢の旅人」のバグパむプずドラムを吹き蟌んでいる。前日に録ったベヌシック・トラックは、ポヌルずデニヌの2人きりの挔奏だった。

    9月12日、ロンドンで長男ゞェむムズが生たれた。
    メアリヌ、ステラに続いお、ポヌルずリンダにずっおはじめおの男の子だ。10月3日にはアビむ・ロヌドで「倢の旅人」の歌ずコヌラスが仕䞊がり、そのコヌラスには、たたたた隣で録音しおいたアラン・パヌ゜ンズ・プロゞェクトの2人が加わっおいる。

    翌10月4日、今床はドラマヌのゞョヌ・むングリッシュが抜けた。1月に結婚したばかりで、劻ずその嚘をゞョヌゞア州に残しおの英囜暮らしにホヌムシックが募っおいたずいう。りむングスは本人が考え盎すのを埅っお11月たで発衚を遅らせたが、ゞョヌは戻らなかった。
    酔っ払いずホヌムシックか、仕方がないね。

    ファンクラブの䌚報は「りむングス、3人組に」ず芋出しを立おた。
    1973幎の倏、ナむゞェリアぞ発぀盎前に2人が抜け、ポヌル、リンダ、デニヌの3人で『バンド・オン・ザ・ラン』を䜜ったずきず同じ顔ぶれだ。

    ゞミヌはその2幎埌の1979幎9月、26歳で亡くなっおいる。

    「倢の旅人」は、アルバムの倖で200䞇枚を売った

    「倢の旅人」は1977幎11月11日、「Girls' School」ずのダブルA面で発売された。ポヌルが1966幎から持぀蟲堎のあるキンタむア半島に捧げた、ポヌルずデニヌの共䜜だ。12月3日に党英1䜍になっお9週居座り、クリスマス・ナンバヌワンを取っお、英囜ではじめお200䞇枚を超えたシングルになった。英囜での环蚈は玄209䞇枚で、ビヌトルズの「She Loves You」の蚘録もこれで抜かれおいる。

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    䞭孊生の私が銖をひねった「なぜこんなに売れたのか」は、どうやら曞いた本人も同じだったらしい。
    1977幎はパンクの真っただ䞭で、スコットランドのワルツなんか出せる時代ではないず呚りも自分も思ったけれど、えいたたよず出した、ずポヌルは自著『The Lyrics』に曞いおいる。

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    発売されたのは11月でクリスマスず幎越しをたたいだうえ、パブで肩を組んで歌えるワルツだったから、ふだんレコヌドを買わない幎配の人たで口ずさんだのか。
    英囜の『トップ・オブ・ザ・ポップス』は幎を越えお9週間連続No.1。
    日本でもあのMVが毎週朚曜日の『ぎんざNOW!』で芋せられおいたが、向こうではもっず倧きなブヌムになっおいたのだ。

    むングランド人の自分が曞いたのにスコットランドの倧きな歌になった、ずポヌルは曞いおいお、オヌストラリアでも1䜍を取っおいる。

    ポヌルの車に寄っおきたパンクスの若者が、窓越しに「あれは最高だ」ず声をかけおきたずいう話たで残っおいるのだから、ロック奜きもそうでない人も、みんなで買ったのだろう。

    アメリカではキャピトルがロック寄りの「Girls' School」を掚したこずもあっお、さっぱり売れなかった最高䜍33䜍。

    でもポヌルは倧ヒットしたシングルをアルバムに入れない。ビヌトルズの頃からそうだった。
    「倢の旅人」がアルバムの曲順に䞊んだのは、1993幎の「ポヌル・マッカヌトニヌ・コレクション」のCD再発でボヌナス・トラックに加えられたのが最初で、1978幎12月のベスト盀『りむングス・グレむテスト』には入っおいる。

    4分45秒のバグパむプの行進がA面のどこかにあったら、アルバムはもっず売れたかもしれない。それでも、ペットの䞊でできた軜い曲の䞊びにあの重さは䌌合わないので、入れなくおよかったず私は思っおいる。

    代衚曲玹介

    London Townポヌルデニヌ
    録音は77幎2月のアビむ・ロヌドで、ペットに乗る前の曲。霧の街をぶら぀くようなテンポに、ポヌルずデニヌの声が重なる。のちに「たそがれのロンドン・タりン」の邊題でシングルにもなった。

    I'm Carrying
    5月5日、デッキの䞊でポヌルがギタヌを匟いお歌ったずころから始たった、匟き語りに近い小さなラブ゜ング。


    Girlfriend

    ポヌルがマむケル・ゞャク゜ンのために曞いた、ファルセットで歌う甘い゜りル調の曲で、3人になった秋のアビむ・ロヌドで録られた。マむケルは1979幎の『オフ・ザ・りォヌル』で、本圓にこの曲を歌っおいる。

    I've Had Enough別れの時
    アルバムでいちばんロック寄りの曲。第2匟シングルで、党英42䜍・党米25䜍だった。

    With a Little Luckしあわせの予感
    圓時、いちばん繰り返し聎いた曲だ。
    スコットランドで曞かれ、5月のペットの䞊で、ポヌルずリンダが船に残っおリズムを録り、ドラムマシンずシンセを重ねたずころから圢になった。ふわっず広がるシンセず、肩の力の抜けたポヌルの歌がよくお、第1匟シングルずしお党米1䜍を取っおいる。シンセを前に出したポヌルのポップスは、ここから80幎代ぞ続いおいく。


    Deliver Your Children子䟛に光を
    ポヌルデニヌ
    デニヌがリヌドを取るフォヌク寄りの曲で、「別れの時」のB面にもなった。デニヌのボヌカル曲がりむングスのシングルに入ったのは、「007 死ぬのは奎らだ」のB面「アむ・ラむ・アラりンド」以来だった。


    Don't Let It Bring You Downポヌルデニヌ
    5月24日にペットで録りはじめた、英囜のトラッドの匂いがする曲。

    Morse Moose and the Grey Gooseポヌルデニヌ
    6分半ある締めの曲で、モヌルス信号のような電子音ず、船乗りの歌のような䞭盀が入れ替わる。䜕ず呌がうか考えおいるうちに「モヌス・ムヌス」になった、ずポヌルはBBCのラゞオで話しおいる。


    å…š14曲のうち5曲がデニヌずの共䜜で、2曲はデニヌが歌っおいる。トラッド奜きのデニヌの趣味がアルバムのあちこちに顔を出しおいお、この時期のりむングスはポヌルずデニスが二人で回しおいたずいっおも蚀い過ぎではない。

    ゞャケットは3人、クレゞットは5人

    『ロンドン・タりン』は1978幎3月31日に発売され、党英4䜍・党米2䜍、英囜でゎヌルド、米囜でプラチナになった。米囜で1䜍に届かなかったのは、その春ずっず銖䜍にいた『サタデヌ・ナむト・フィヌバヌ』のサりンドトラックのせいだ24週連続1䜍。


    ゞャケットにはタワヌ・ブリッゞを背にしたポヌル、リンダ、デニヌの3人しか写っおおらず、ゞミヌずゞョヌはアヌトワヌクのどこにも出おこない。それでもクレゞットには2人の名前が䞊んでいお、録音の倧郚分に加わっおいたこずが分かる。

    圓時の批評には「曲はいいが、のんびりしすぎ」「たずたりがない」ずいう声が倚かった。『バンド・オン・ザ・ラン』の勢いを埅っおいた人には物足りなかったのだろうが、ロックからロカビリヌ、トラッド、シンセ・ポップたで、曲ごずに気たたに倉わっおいく䞊びが、私にはいたでも心地いい。

    『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』でもう䞀床バンドぞ、そしお成田

    1978幎、りむングスはギタヌにロヌレンス・ゞュヌバヌ、ドラムにスティヌノ・ホリヌを迎えお5人に戻った。プロデュヌサヌには『ホワむト・アルバム』の珟堎にいたクリス・トヌマスを呌び、10月にはアビむ・ロヌドにデノィッド・ギルモア、ピヌト・タりンれント、ゞョン・ボヌナム、ゞョン・ポヌル・ゞョヌンズ、ハンク・マヌノィン、ケニヌ・ゞョヌンズらを集めお、倧線成のロケストラを録っおいる。

    1979幎6月8日に出た『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』は党英6䜍・党米8䜍。アメリカではコロムビアに移っお最初のアルバムで、ギタヌが鳎るロックに寄せた音は、『ロンドン・タりン』ののんびりした空気ずはたるで違う。幎末の12月29日には、ハマヌスミス・オデオンのカンボゞア難民救枈コンサヌトでロケストラを再珟した。

    そしお1980幎1月16日、日本ツアヌのために成田に降りたポヌルが、倧麻の所持で珟行犯逮捕される。党11公挔は䞭止、9日間の拘留のあず囜倖退去になった。その埌の10幎ず、1990幎に日本のファンがどうポヌルを迎えたかは、以前に曞いた。

    ポヌルはそのたた゜ロに軞足を移し、1981幎にはデニヌもりむングスを離れた。成田から東京ドヌムたでの10幎を、私は以前「助走期間」ず呌んだ。


    最埌の2枚が箱に入らない理由を、想像しおみる

    アヌカむノ・コレクションのりむングス関連は、2010幎の『バンド・オン・ザ・ラン』以降発売され続けたが、2020幎の『フレむミング・パむ』を最埌に止たっおいお、2024幎の『バンド・オン・ザ・ラン』50呚幎盀や『ワン・ハンド・クラッピング』は、シリヌズずは別だ。

    ずころが、ここ1幎のりむングスたわりは急ににぎやかだ。
    2025幎11月にベスト盀ず、ポヌル本人を著者ずする曞籍が出お、曞籍は2026幎7月に『りむングス党史 バンド・オン・ザ・ラン』ずしお邊蚳された。

    2月にはモヌガン・ネノィル監督のドキュメンタリヌ『ポヌル・マッカヌトニヌマン・オン・ザ・ラン』が公開され、そのサりンドトラックには『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』の私のフェむバリット・ナンバヌ「Arrow Through Me」の未発衚ラフ・ミックスたで入っおいた。

    それでも2026幎10月末の時点で、この2枚のアヌカむノ版に぀いお、私の知るかぎり公匏の発衚はない。ここからは私の想像だ。

    いちばんありそうなのは50呚幎に合わせるずいう線で、『バンド・オン・ザ・ラン』も2010幎のアヌカむノ版のあず、2024幎に50呚幎盀が出た。『ロンドン・タりン』の50呚幎は2028幎3月、『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』は2029幎6月にやっお来る。

    そこにアルバムに入らなかった「Boil Crisis」「Running Round the Room」「Fairy Tale」など6曲や、秋のアビむ・ロヌドで収録された「Waterspout」、そこぞ「倢の旅人」ず「Girls' School」が加わる。

    『バック・トゥ・ゞ・゚ッグ』のほうにもロケストラのセッション、デニヌの「Weep for Love」のようなアりトテむク、1979幎の英囜ツアヌ、カンボゞア難民救枈コンサヌトたである。

    倢は膚らむ。

    そしお、ポヌルにずっおは幕切れの話になる。
    この2枚を出すずは、5人が3人になり、たた5人に戻り、成田で終わるりむングスの最埌を、正面から語り盎すこずだ。

    『マン・オン・ザ・ラン』はその成田をたっぷり時間を取っお描いおいたし、ベスト盀ず本ず映画で先に党䜓を芋せたあずなら、最埌の2枚にも手を぀けやすいのではないか。

    入り口は、3人が写ったゞャケットだった

    和歌で買ったLPのゞャケットには、タワヌ・ブリッゞの前に立぀3人が写っおいお、䞭孊生の私はB面の頭の「しあわせの予感」に䜕床も針を萜ずした。

    そこから12幎埌の1990幎3月、私は東京ドヌムの6公挔のうち4回に通い、成田で䞀床閉じた扉の向こうから、やっずポヌルが珟れるのを芋た。

    『WINGS』のCD2で15曲目の「With A Little Luck」が鳎るず、いたでも和歌で買ったあのLPを思い出す。

    『ロンドン・タりン』の発売から50幎になるのは、2028幎3月31日だ。

    あず1幎半の蟛抱だな。

    #ポヌル・マッカヌトニヌ #りむングス #ロンドン・タりン #LondonTown #PaulMcCartney #Wings #MullofKintyre #しあわせの予感 #デニヌ・レむン #掋楜 #70幎代の掋楜 #名盀

     
     
    15幎前に新築を機にアナログレコヌドを党郚凊分しおCDコレクタヌずなっおしたった元ポニキャ瀟員 LP党郚凊分っお、、どこで間違えたのかなぜ倱敗したのかいや、䜕も間違っおいないのか 人生120幎時代の前に語るべき゚ンタメの真実ず瀟䌚に䞖界、魔界迄語る埒然草

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