
ディレクターになった僕は、びびっていた One Day その時僕はラジオの現場にいた 第一章 AD時代 第18話
これまでのOne Day
1986年、大学生だった僕は、開局間もないFM横浜の制作現場にADとして飛び込んだ。失敗を繰り返しながら仕事を覚え、遅刻したディレクターに代わって生放送を任されることもあった。取材や録音番組など、少しずつ仕事の幅を広げていった僕は、1988年、JFNの深夜番組で演出を任されることになった。
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1988年となった。
「条件付きディレクターデビュー」とは、ディレクターが後ろにいて見守っている形のことだった。
先輩ディレクターのH.Hさんが、本格的に僕を育てようとしてくれたのだ。
もちろん打ち合わせには参加されるし、積極的にアイデアも出される。
でも、本番が始まれば違う。
演出上の決定権は、僕に委ねてくれた。
今までの僕だったら、何かを判断し、指示を出したあとに振り返って、
「……で、いいですよね?」
などと聞いていただろう。
でも、今は違う。
すべての判断は、僕がしなければならない。
正しいかどうかは、また別の話だ。
ディレクターが「こうする」と決めれば、現場はその方向へ動いていく。
だから、びびれない。
ディレクターは、その場の監督なのだ。
自分が迷えば、現場も迷う。
もっとも、そんなことを思っていたということは、やっぱり僕はびびっていたのだろう。
ただ、それを表に出すわけにはいかなかった。
自信があったわけではない。
自分で決めて、その結果を引き受ける。
今思えば、この頃からそんな覚悟のようなものが芽生え始めていたのかもしれない。
パーソナリティーが曲紹介を間違えた。
少し噛んだ程度ではあったけど、本人は恐縮している。
僕は「だいじょうぶ、だいじょうぶ。伝わっていますから」と声をかける。
背中にH.Hさんの視線を感じる。
うん、そこはそれでいい。
決してそんなことは言われていないのだけど、そう感じた。
パーソナリティーも事務所のマネージャーも、最初はH.Hさんに同意を求めるような話し方だった。
それが徐々に、僕をメインに話しかけるように変わっていく。
その変化が、僕に自信を持たせてくれた。
堂々とすることとは、断定することではない。
相手の言葉を自分自身が受け止めて、咀嚼して、理解したうえで返す。
それができるから、堂々としていられるのだ。
この番組を通じて、初めて理解したことだったのだと思う。
H.Hさんとは、それまで録音番組で何本も一緒に仕事をしてきた。
彼は決して声を荒げて怒るようなタイプではなかった。
飄々としているとも違う。
どこか達観しているような態度を取るような方でもない。
誠実。
その一言が一番しっくりくる。
その仕事ぶりには、いつも尊敬の念を抱いていた。
まず相手の話を聞く。
考え方を受け止める。
「それはとてもいい考え方だね。でもこちらの方向から見るとさらによくなるのでは?」という引き出し方をされる。
どうすればパーソナリティーの魅力を最大限に引き出せるのか。そのことを、いつも考えられていた。
僕はADとして、そのすぐ隣にいた。
だから、技術だけではなく、その考え方まで見ることができた。
番組は、放送当日だけでできているわけではない。
企画はどう生まれるのか。
誰から依頼があり、どう番組が立ち上がるのか。
予算はどれくらいあるのか?そのうちどれくらいを使えるのか?
どのように案分するのか?
構成はどう組み立てるのか。
スタジオの予約。
出演者のスケジュール調整。
原稿はどのように作られていくのか。
構成作家にお願いすることもあれば、ディレクター自身が書くこともある。
その話題をどう選び、どんな順番で並べるのか。
その一つひとつを、僕はすぐ横で見ていた。
今思えば、本当に贅沢な時間だった。
その頃になって、ようやく気づき始めたことがある。
ADという職業は、実はない。
ADとは、ディレクターになるまでの役割であり、通過点なのだ。
もちろん例外はある。
映画には助監督として生涯を送る人がいる。卓越した技術をもって助監督を全うする方もいる。
漫画にもアシスタントという道を選ぶ人がいる。
けれどラジオでは、多くのADが「いつかディレクターになる」ことを前提に現場へ立っていた。
だから僕は、番組を手伝っていたのではない。
ディレクターという仕事を、毎日現場で学んでいたのだった。
何をテーマに話すのか。
どう話してもらうのか。
どこで音楽を入れるのか。
どこで笑いを作るのか。
FM横浜の生番組が音楽中心の番組作りだったとすれば、JFNの番組は言葉で聴かせる番組だった。
同じラジオでも、求められる演出はまったく違う。
この番組は、ディレクションを学ぶOJTとして、この上ない場所だった。
プロデューサーは、ドン上野さんだった。
この頃は、まだ挨拶を交わす程度の距離だった。
ドン上野さんとの話は、もう少し先になる。
One Day あの時、確かに僕はそこにいた。
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